時事旬報社

時事問題を合理的な角度から追って行きます

かが(加賀)とワスプ(Wasp)

 昨日、トランプ大統領国賓としての来日日程を終了し帰国した。最終日のハイライトとして大統領は安倍首相と共に航空母艦改装が決まっている海上自衛隊護衛艦「かが」に乗艦、日米の結束をPRした。

 その後両首脳は米海軍強襲揚陸艦「ワスプ」に移動、訓示を行なった。ワスプは正式空母ではないが、ヘリコプターや垂直離着陸機の運用を前提とする航空艦船である。

 二人が航空甲板に揃って立つのは勿論、緊張が高まるアジア状勢へのメッセージを意図する。しかしそれとは関係なく、かが(加賀)とワスプ(Wasp)という軍艦名に数奇な天運を感じた向きもあっただろう。両艦はいずれも太平洋戦争を戦った宿敵であったからだ。

 

 加賀はいうまでもなく帝国海軍の主力空母であり、赤城、蒼龍、飛龍、瑞鶴、翔鶴とともに連合艦隊海上航空戦力を担った。真珠湾攻撃もこの六隻から発艦した350機により決行されたが、真珠湾からわずか半年、ミッドウェー海戦において加賀は米空母艦載機により撃沈された。

 

 ワスプ(Wasp)はワシントン条約で割り当てられた保有空母排水量の残り枠で建造された軽空母で、日本軍のガダルカナル侵攻に応戦するため投入されたが、戦域に展開する間もなく日本海軍潜水艦(イ-19)の雷撃を受け沈没した。ミッドウェー海戦より三か月後のことである。

 

 77年前、敵の攻撃によって二隻は沈んだ。その過去を知ってか、知らぬか、今、両国首脳が同名後継艦の甲板に立ち並ぶ。

 

 話は外れるが、軍艦の数奇な運命として思い出すのが「長門の最後」である。長門は帝国海軍の旗艦であった。開戦当初、大和、武蔵は海軍の最高機密であり、その存在を知るものは一部に限定された。長いこと海軍のシンボル戦艦として国民に人気であったのは、長門陸奥であった。陸奥は戦争中、謎の爆発事件が起こり沈没したが、長門終戦まで生きながらえ、戦後アメリカに接収された。

 

 敗戦から一年、長門は米軍によってビキニ環礁に回航された。原爆実験の標的艦となったのである。いかなる天運か、長門の隣には戦艦プリンツオイゲンが、そしてその隣には戦艦ネバダが並んだ。彼らもまた標的艦なのである。

 

 海戦ではあまり武勇伝を聞かぬナチス・ドイツ海軍であるが、唯一戦艦ビスマルクと僚艦プリンツオイゲンが、勇名を馳せた。ビスマルクはイギリス艦隊に撃沈されたが、僚艦は可動艦として終戦を迎え、長門と同じ運命をたどった。

 

 ネバダは、アメリカ海軍の主力戦艦であり、真珠湾奇襲時、日本軍の最優先攻撃目標であった。激しい空襲で大破したが、懸命の復旧作業で一年後、アッツ島攻略支援として戦線に復帰、その後ヨーロッパ戦線に転用され、ノルマンディ上陸作戦に参加した。

 

 1946年7月、時代遅れとなったかつての主力戦艦3隻は、原爆の水上艦破壊力を検証する実験に供され、今でもビキニの海底に眠る。

 軍艦を擬人化できるのであれば、あと寸刻で頭上から巨大な火の玉が落ち、自らの命脈が潰えようとするその時、三人は何と声を掛け合ったであろうか。

 

 現役の「かが」と「ワスプ」。この二人が、天寿を全うする前に絶命の辞句をこぼす日が到来しないことを祈るばかりである。

 

時事短観(2)

令和天皇の即位と女性・女系天皇問題

 

 

 今月より令和がはじまった。先代である平成天皇の第一皇男子が即位したので男系男子が承襲する皇室典範は維持され、万世一系を唄う皇室伝統も守られた。一方、男子の皇位継承資格者が不足し、将来の天皇制存続を危ぶむ危機感から、「女性・女系天皇を認めるべき」との議論も加速している。

 

 神武天皇を太祖とする日本の天皇制は今上天皇をもって126代となる。「実存した天皇は何代からか」は、専門家の間で議論が分かれるが、仮に存在が間違いない第26代継体天皇を起点としても1500年に渡り連綿と続いた世界無比の単一王朝であることは間違いない。これは奇跡といえる。無論、長きにわたって継続することができたのは、この国の多くの人心が天皇を慕い、無くすべきではないと考え続けたからに他ならない。皇室にたいする敬愛は現在でも続く。奇跡は国家開闢から今に至るまで、日本人の心に天皇が存在しつづけなければ生まれるものではない。

 

 その皇室の血統が途絶える可能性がある。女性・女系天皇議論が起こるのも当然である。有事の対策を怠るべきではない。しかし、その議論の「一部」には少々「危険」を感ずる。「一部」とは、「男女平等が当然である現代に皇室の性差別はおかしい」という主張である。

 

 女性天皇女系天皇は異なる。女性天皇とは、単に性別が女性である天皇のことであるが、女系天皇は父型の先祖が最終的に神武天皇に到達する血筋でなければならない。つまり女系天皇の場合は、血統が問題となるのである。過去に女系天皇は8人(10代)存在した。しかし女性天皇の前例はない。

 

 女系天皇は18世紀の後桜町天皇を最期に事例がなく、8人の内6人(8代)は平安時代に集中することを勘案したのか、現在の皇室典範は、皇位継承を男系男子に限定した。この皇位継承の定めから、「女性の天皇論議吹き出したのである。

 

 もし「女性天皇は否定するが、女系天皇を受容する」ことになれば、今上天皇の第一皇女子(愛子内親王)は、次代の皇位継承順位一位となるが、その場合でも即位後、一般男性と婚姻するとなると、愛子内親王の実子は(父方血統の問題で)皇位継承権がなく、神武天皇に繋がる誰かを次次代天皇として見つけなければならない、という関係となる。

 

 それではいっその事、「女性天皇も認めてしまえばいい」となれば、間違いなく世継ぎ問題は解決する。しかしそれは、血統は関係なく「誰でも天皇になることを認める」ことに他ならない。

 

 民主主義の理念からして、皇室の男女差別は「間違っている」と主張はできよう。しかしそうであれば、「選挙によらず天皇が決まる」こともオカシイに繋がる。選挙で天皇を決めるのであれば、もはや天皇制はなくなったに等しい。日本人の心に続いた天皇とは、そんな天皇ではない。

 

 「今日の常識」との理念に惑わされがちとなるが、事、天皇制については、現代人であるわれわれとしても、過去数千年に渡って先祖が温め守ってきた伝統を子孫に受け継ぐ義務がある。

 天皇制に関しては、現代社会の課題、つまり私達の問題なのではなく、1000年、2000年後の日本という視座を等閑にして考えてはならない問題なのである。「選挙で天皇を決めるなどナンセンス、、、」と誰もが思うだろう。しかし「1000年後の日本人もソウ思うに違いない」などと断言できるものもいまい。

 

 だとすれば、変質、解体を回避するために、「今までやってきた通りに今後もやる」が最善である。伝統に論理的な解釈を求めるべきではない。仮に非効率であったとしても、「昔のまま」現在に繋がるから「伝統」なのである。

 「男系」を守り抜いたから1500年天皇制は存続できた、ともいえる。日本史に名を残すいかなる英傑、武将、権力者であっても「天皇」にはなれなかった。例外なく、男系血筋のみが資格者であったからだ。この原則を撤廃していれば、とうの昔に天皇制は消滅していたに違いない。

 

 一見、非合理と感ずる男系男子に関しても、故はある。

 

時事短観(1)

 

老齢介護と向き合う(3)

施設介護の完全機械化

 おそらく「家族に見守られ家庭で最期を迎える」が理想的な人生でしょう。しかし介護者に過酷な労苦を強いる老齢介護が長引くとなれば、第三者の手助けが必要です。次策として訪問ヘルパーも考えられますが、24時間365日、ヘルパーに任せる訳にもゆきません。


 本格的な高齢社会の到来を控え、施設において効率的、集中的に介護することは避けられないと思います。前回は肉体的にも精神的にも「する方、される方」ともに負荷の大きい大問題「排泄介護」をいかに機械介護で支援できるかを追いましたが、今回は施設における介護をイノベーションでどこまで省人化できるかを考えてみたいと思います。



 施設介護においても排泄介護は重要な任務ですから、前回の装置支援は前提となるでしょう。日常、入所者はトイレ機能付自走車椅子で生活しますので、基本的に各々任意の場所でボタン一つで「用を足す」ことになります。介護の度合いが重く、意思の表示や肢体が不自由な入所者については、センサーによる排泄の検知によって、スタッフのボタン操作もしくはリモート操作、あるいは装置の自立機能によって「済ます」ことになります。


 自走車椅子はIotで集中管理され、充電やタンクの貯水や使い捨て下着の補充なども自動化されるべきです。可能であれば電気、水、消耗品は一日分が搭載され、入所者の就寝中に補充・交換されるのがベストですし、更には排尿の数や体温、心拍数など健康管理情報もIotで集中的に管理されるべきです。

 


入所者の移動

 

 記者が義母の介護でスタッフの大変さを感じたのが、入所者の集合分散など各々の「移動」です。施設は二階建てで、入所者は30人程。日常、下の階と上の階で過ごすのですが、食事時間は全員を一階の食堂に集めねばなりません。エレベータは一基で、無理しても車椅子4台を乗せるのが限界ですので、食事時間はいつもドタバタで、全員を食堂に移動させて、それぞれ内容の異なる食事トレーを各人のテーブルに運び、食事が終われば、再び二階の入所者を4人づつエレベータでもどさねばなりません。


 自動運転が可能な車椅子であれば、各員の集合分散に人手を不要とすることができます。二階三階等階上をエレベータではなくスロープで行き来できる建築構造とするべきと考えられますが、イメージとしては自動車やトラックの自動運転と同じです。特定の時間、任意の場所に自動運転で車椅子を移動させることは現在の技術でも実現できるように思えます。


 電動車椅子は通常、入居者本人の意思で自由に行きたいところに行くのが前提ですが、集合する必要がある場合は、管理センターで集中制御することが求められます。技術的には問題ないでしょうが、入居者の意思とは無関係に移動を強制させることとなるのですから、本人には愉快なことではないかもしれません。車椅子にマイクとスピーカーを設置し、「お昼の時間となりましたので、車を食堂に移動します」などと毎回丁寧なアナウンスをする程度はしかるべきです。


 食事は食堂のテーブルを前提とする必要はありません。各々に定められた食事はトレーを膝上に置き固定、そのまま車椅子で済ますことができれば、基本的に食事の場所に制約を設ける必要もありません。勿論、自力ではスプーンを口元に運ぶこともできない重度の入居者は人的介護ができる場所への移動が求められます。そして食事が終われば、トレーの回収場所に再び自動運転します。
 全入所者を一斉に自動移動できるのであれば、火災などの非常事態にも役立つはずです。

 

 

 自動運転自走車椅子ですが、利用者の状況を確認する監視カメラもしくは何かしらのセンサーを設置することが必要となると考えられます。プライバシーの問題があるのですが、入居者が車椅子に正しく着座していることを確認しなければ、むやみに自動走行させられません。移動中に突然起立し、転倒すれば一大事です。食事が終わったかを確認するにも入所者の手元の映像が必要です。マイク、スピーカーでいつでも入所者とコミュニケーションできる装置に加え、入居者の「今」を管理センターが目視する機能も装備されねばなりません。

 

 集中管理による完全自動化であっても、当人の状況は、現在の技術をもってしても最終的にはヒトが目で確認するしかなく、プライバシーを一定度制限してでも、自動化の安全性や施設の適切な業務を担保することが求められます。つまり「誰か」は、集中的に入居者各々の状況を見守っていなければならないのです。

 

 Iot自走車椅子各々GPS等で位置情報を管理することは言うまでもありません。場所が集中管理されていることを前提とすれば、入所者は自由に屋外を散歩できます。常に車椅子で行動しなければなりませんが、位置情報が管理され、自動運転で帰宅可能な場所であれば、河原に釣りに出かけるのも自由です。無論、門限となれば自動的に強制帰宅となる制度はいたしかたありません。

 

就寝

 

 日常を自動車椅子で生活するのですが、就寝するときはベッドに横たえねばなりません。就寝準備(車椅子からベッドへの移動)も介護スタッフの労苦です。ストレッチャー式の車椅子として、着座姿勢から簡易ベッド的な寝台を兼ねることができたとしても、狭い簡易ベッドで就寝するのは苦痛です。床に就く場合は、ダブルベッド位の広さと安楽さが必要です。

 

 ベッドへの移動を自動化するには、ストレッチャーがそのままベッドに収まるドッキングベイ方式が有効であると考えられます。凹型のダブルベッドに車椅子毎収め、ストレッチャーを立てることにより、そのままダブルベッドとなるのであれば、車椅子とベッドの移動が不要となります。


 深夜の排泄介助が必要であれば、再び車椅子の着座姿勢に戻すことになりますが、就寝介護の負荷は大幅に軽減されるはずです。

 

 

 就寝介護でもう一つ考慮しなければならないのが「床ずれ」です。重度の入所者となれば、自ら寝返りをうつこともできず、同じ姿勢で長時間、横たわり続けることにより特定箇所が床ずれとなってしまいます。床ずれを回避するために施設スタッフは一晩中、定期的に入所者の就寝姿勢を変えていたのですが、これがまた重労働です。
 ドッキングベイ・ダブルベッドには自動的に就寝姿勢を変える床ずれ防止機能を装備しなければなりません。

 

 


 これらの機械介護を実現しようとなると技術開発もさることながら、施設の初期投資も相当なものとなるでしょう。しかしソレで、一人で50人を担当できるのであれば、投資の価値はあります。法令の定めにより現在は、入所者一人に対する介護職員の人数規定があるはずです。しかし今後、日本最大の年齢層である団塊の世代が介護時代へと突入すると、前回触れたように日本経済を支える若手の大半を介護へ投入せざるを得なくなります。しかし若手の生産力は介護に奪われるべきではありません。

 

 政府は外国人労働者に活路を求めているようですが、自国の介護を外国に頼るというのもおかしな話です。そうであれば、AIやIotなどマンパワーに代わるイノベーションを動員し、介護を乗り切る他に道はないと考えられます。

 

 普通の人であれば、「自分のことは自分でやりたい」と考えるのは当然です。例え高齢となり「助け」が必要となったとしても、第三者に助けてもらうよりは、機械を使い「自分でやる」ことを優先するに違いありません。ヒトによる介護は暖かく、機械の介護は冷たい、とステレオタイプで決めつけるべきではありません。記者には、AIやIotなど社会を一変させる技術革新が、最優先で克服するべき緊急課題が「介護」であると思えてならないのです。

 

(社会部デスク)

老齢介護と向き合う(2)

人間の尊厳

 記者が経験した介護から考えると排泄介助ほど負荷が大きいものはないと思います。肉体的に大変であるというだけではなく、精神的にも辛い役目です。留意したいのは身内や介護施設の職員などの介助者だけではなく、介護してもらう本人にとっても排泄にヒトの助けを借りることが、いかに苦痛であるか、との点です。


 「自分のことは自分でやる」は、人間の根源的な情操といえ、それを奪われることはヒトとしての尊厳にも反します。とはいえ、高齢となり肢体の自由が制約されるとなれば、介助を求めるほかありません。それでも、「自分のことは自分でやる」に最期まで固執するのは「トイレを済ます」ことだといえます。

 

 真心が本旨の介護として美辞麗句を飾ることはできるでしょうが、こと排泄介助に関しては、「する方、してもらう方」いずれも出来れば避けたいに違いありません。とても不謹慎で、非難されるべきことですが、義母の介護をしていた時、一日そのまま便座に座らせておきたいとの衝動に駆られました。ウォシュレットが普及したおかげで、介助も随分と楽になりましたが、シャワートイレ内蔵のソファーのようなものがあり、居室で用を済ますことができれば、などと夢想したものです。


 もし機械介護技術が進歩し、ボタン一つで、誰の助けも借りることなく完全に「トイレを済ます」ことができれば、本人と介護者の負荷は、それだけで半減すると記者には思えてなりません。排泄という労苦と羞恥心を機械介護は、最優先に解決するべきです。

 

トイレ一体形車椅子

 

 そこで完全自動化の排泄介護装置ですが、(1)日常生活を維持しながら、ヒトに悟られず用を足すことができる。外形的に悟られないだけではなく、消臭装置なども必要です。(2)ボタン一つで完全に自動化される。(3)下着交換など衛生面が維持される、などが条件と考えられます。寝たきりとなる重度の要介護者で、尿意便意を自ら申告できないような場合は、排泄を検知する装置も必要です。

 

 (1)に関しては、健常者のようにトイレで用を済ますことができないことを前提に居室で過ごす間でも、その場で「済ます」装置が求められます。本人が羞恥心を抱かぬように、周囲が気を遣う必要もなく自然に隠密に「終わる」装置であるべきです。そのためには、室内で過ごす車椅子にシャワートイレを内蔵するような装置が想定されます。理想をいえば、家族一緒にテレビを見ながら、誰の手間も借りずに「トイレが終わる」ことです。

 

 温水を供給せねばなりませんから、バッテリーと水タンクを搭載する必要があります。水タンクは上水と下水タンクが必要で、水洗トイレで流す水量は6リッターほどですから、一日平均6~7回のトイレ利用分の水タンクとなると42リッター、卓上型の小型冷蔵庫ほどの大きさとなり、これが二つ必要となります。場合によっては小型化のため、半日に一度、給水と下水排出などが必要となるかも知れませんが、室内を無理なく移動できるサイズに車椅子の背部や股下のスペースを上手く工夫する必要があります。

 

 上水の補給や下水の排出なども手間のかからない、清潔さを維持する装置としなければなりません。痴呆がすすんだ場合など、無意識に不必要な温水を出し続けるなどもあるでしょうから、補給排出が必要な場合は第三者にも容易に分る仕組みが求められます。

 

 寝たきりの状況などでは、通常はベッドとして使い、ストレッチャー型車椅子のように必要に応じて座面を起こし、機械排泄装置を動かすなどの応用も必要ですし、外見上、ソレを悟られないよう膝掛けブランケットで車椅子下部を覆うなどの工夫も一考しなければなりません。

 

下着をどうするか

 

 車椅子・シャワートイレ一体型は新しいアイデアではありませんが、実現するためには幾つか課題があります。必要な時に座面が陥没し、自動的にO型便座に着座しているような姿勢となる構造が求められますが、それにもまして大問題なのが「下着をどうするか」です。画期的な下着もしくは下着的なモノの開発が必要となります。

 

 意志の伝達が困難な被介護者の場合、準備する前に「用を足してしまう」ことはあり得ますから、現在広く使われている使い捨ての介護パンツのようなモノが適切であると考えられます。介護パンツは前開き、前止めが一般的ですが、車椅子・トイレ一体形の場合は、後開き、後止めとする方が機能的であるかもしれません。

 

 パンツの着脱を自動化する必要もあります。「脱ぐ」と「はく」を機械で行なわねばなりません。そのためには、何かしらのセンサーで被介護者臀部脚部の位置・角度と介護パンツの四隅を立体的に検知し、安全に無理なく、しっかりと着脱を行なう工夫が求められます。容易くはないでしょうが、現在では食品加工機械など人手でなければ不可能とされた作業も自動化が進んでいますので、現在の技術力でも解決できるのではないでしょうか。

 

AI、Iotを総動員

 

 隠密性と清潔さを保つため、脱臭機能や防音性能に加え、介護パンツは、1日分程度を想定し、4~5枚は積載しておきたいですし、消費したパンツも上手く車椅子に収納し、簡単に廃棄できるようにせねばなりません。

 

 トイレットペーパーを不要とするため温風乾燥が望ましく、この意味でもバッテリーは必需品です。車椅子は電動走行機能を前提としていますが、一日の移動にシャワートイレ関連消費電力を勘案しても、電気自動車を動かすバッテリーの先進技術を思えば問題ないように思えます。

 

 細かいところでは、操作が困難な被介護者のため汚物の洗い残しがないか、温風乾燥が完了したかなどを検出するセンサーも求めたいところです。状況によっては横漏れ、はみ出しなどがあるでしょうから、そうであっても本人を不快としない下着の素材や装置の改良などに小技を考えるべきかもしれません。

 

 一方介護者の便宜として各装置にIotを施し、心拍数や体温、排泄状況を掌握して健康管理をする、介護パンツの使い切りや水タンク補充通知など装置のメンテナンス機能も必要です。

 

 これら条件を実現するとなると、相当大掛かりな装置となるはずです。装置のコストも軽自動車並となるかもしれません。ですが、例えそうだとしても、介護保険を適用するリースなどの国家政策として推進するのであれば、方策はあるでしょう。


 とにもかくにもソレで、本人しても介助者にしても最も辛い排泄介助の「悩み」から解放されるのであれば、AIやIoT、ロボット技術、全てを動員して最優先に取り組むべき課題といえます。

 

(社会部デスク)

 

老齢介護と向き合う(1)

介護という聖職

 


 今月(2月)3日、岐阜県の老人施設に勤務する33歳の介護職員が逮捕されました。入所していた91歳の女性に暴行し、肋骨を折る大怪我を負わした(その後死亡)との容疑です。この施設では、80代から90代の男女5人が一昨年から相次いで死亡や大怪我をしており、警察は5人全員の介護をしていた容疑者の関連も調べる方針です。

 

 事の真偽はまだ分りませんが、類似の事件は後を絶ちません。もし容疑が事実であれば言語道断ですが、考えてみれば逆ピラミッド型の年齢人口の日本にあって、老齢介護を絶対数の少ない若年層の体力に依存する政策は早晩行き詰まるに違いありません。

 

 800万人を越える団塊の世代が介護期となれば、多くの若年層が投入されざるを得ません。そうなったら誰が国の社会・経済を支えるのでしょうか。政府は、外国人労働者マンパワー輸入に活路を見いだそうとしているようですが、外国人に負わすべき問題でもないと思えますし、正論とはいえないでしょう。

 
 言うまでも無く理想的な施設介護は、介護者が自分の両親と接するような、人としての真心や思いやりが動機となる聖職であるべきです。しかし社会の構造として、理想の維持に限界があれば、現実問題として「どうするか」を考えねばなりません。もし「人手をかける」に限りがあり、且つまた「施設による集中介護によって介護の巨大需要に対応する」ことを前提とするのであれば、消去法的に残される方策は、AIやIoTなどのイノベーションを動員する機械(自動)介護を実現する他、道はないように思えます。

 

 遠い将来であれば、人型ロボット(アンドロイド)が聖職を担うかもしれません。しかし差し迫った問題は、5年後10年後という近時の現実対処を求められます。現存する技術で理想的な介護に近づけねばなりません。では、実現が見越せる技術をもって、いかなる理にかなう介護が実現できるでしょうか。

 

人間の尊厳


 記者も義父義母の介護を経験しました。共に痴呆が進み、車椅子生活で自宅と施設を行き来する状態となり、義父は半年、義母は二年余で他界しましたから、長期の介護が強いられるケースよりは幾分負担が少なかったかもしれません。

 

 この介護期間で記者には忘れられない痛恨事が起こりました。義父の最期です。肺癌であった義父は、自宅介護中に容態が悪化、緊急入院となりました。医師は今夜が限界と宣告します。意識無くベッドに横たわる義父を傍らに、間近に迫った「その時」に備え、妻(実娘)が夜通し病室に待機することとなりました。


 しかし医師の診断通りとはなりませんでした。義父はガンバリ、「今夜が危ない」がその後、一週間続いたのです。この一週間が家族にとっては過酷でした。家族持ち回りで看病をするのですが、とりわけ妻の負担が大きく、すでに3晩病室で夜を明かしていました。
 仕事帰りに病室を見舞った記者は、疲労困憊した妻に「今日は自分が代わるから自宅に帰って休め」と告げましたが、それから30分、容態が急変、なすすべもなく義父は死んでしまったのです。

 

 この時、記者はほとんど確信的に悟りました。「私の不用意な一言で、義父はこれ以上生きていることは迷惑となるを観念し、死んでしまった」に違いない、と。「意識もなかったのだから何を言っても聞こえない」と妻は記者を弁護しますが、「意識がない」は医療機器が意識を「計測できない」に過ぎず、「痴呆が進んだ」、「外界に反応しなくなった」とは無関係に、義父の深い心奧の意識は呵責に苦しんだであろうし、少なくとも本人を前に病室でアノようなことを話すべきではなかった、と記者は今でも消沈します。

 

 類例は義母でもありました。自宅介護となりベッド生活をする義母ですが、トイレの世話は妻(実娘)が行なっていました。痴呆も進み、無表情となっていましたが、人の見境がつかなくなるほどひどくはありません。尿意便意を申告することはできますので、おむつをするまでもなく、トイレまで妻が抱きかかえ移動し、用を足していました。

 

 ところが、たまたま義母と二人だけの日に義母がベッドの上で排便してしまいました。一瞬記者は戸惑いますが、義母は全くの無表情です。「気がつかなかったことにする」もあり得ましたが、相手はおそらく羞恥心もなくなった痴呆老人であろうから、このまま不快な状態とさせるべきではないと考え、用便の後片付けを始めました。

 

 汚物を拭き取り、ベッドの敷布を変え、下着を履き替える。義母は終始無表情でした。その日より今日に至るまで、悔やんでも、悔やみ切れない大失態が、この時、記者の態度がお世辞にも「心がこもった」ようなものでもなく、それどころか嫌悪感丸出しであったことです。マネキンのように見える義母に感情的な気遣いが必要であるとは思えなかったのです。

 

 しかしソレは大きな間違いに違いありません。義母の奥深い内面では、記者の態度に憤慨し、どれだけ恥ずかしい思いであったか、と想います。ほどなく義母の介護度は進み、やがておむつとなり、次第に介護施設で過ごす期間が長くなり、その施設で亡くなりました。

 

 教訓は、感情的な反応が無い、あるいは会話が成立しない支離滅裂な状態となった末期の痴呆老齢者といえでも「人間としての尊厳」を自覚しているに違いない、ということです。義父と義母には申し訳ないことをしました。

 

完全機械介護 

 

 崇高なヒューマニティが求められる「介護」を工場オートメーションのように「自動化する」、と言えば誰もが不謹慎と思うでしょう。しかし機械化は必ずしも非人間的とは限りません。人間の尊厳とは、「他人からヒトとして接遇される」との意味もあるでしょうが、その前提として「自分のことは自分でやる」を土台としていると想えば、人生最期の一呼吸まで、「自分の面倒は自分でみる」が理想なのであって、もし肢体が不自由というのであれば、機械を道具として肢体を補助しながら「ソレでも自分でやる」が、第三者の仁愛に優先するべき価値がある、といえます。

 

 AIやIotなどの技術革新は駆け足で進んでいます。運転士のいない無人運転も10年後には実現されるとの予測もあるほどです。生産や物流に関しては、一切、無人化に抵抗がないのに、聖職である「介護」に関しては、全面的な機械化が倦厭される現状が、記者にはもどかしい限りです。

 

 無人運転を実現するほど技術が進むのであれば、体の不自由な高齢者がボタン一つで誰の助けも求めず一人で「用を足す」システムも出来るはずです。アノ時、そのシステムがあれば、いかほど死んだ義母の尊厳が保たれたであろうか、と記者は悔います。

 

 次回は「機械による介護は不可避」を前提として、AIやIotなど現在見通せる技術を総動員すれば、どこまで完全自動介護が可能か、どこまで省力化が可能か、どこまで機械を道具とする「人間的」な介護が実現できるかを追います。

 

(社会部デスク)

心に残る昭和の名画とドラマ

 

 

 「これまでの人生で最も感動した映画とドラマは何か」、この質問に即答できる人は少ないでしょう。名画や名作と呼ばれる映画、ドラマは無数にあります。とても一つに絞れるものではありません。ところが記者の場合、「アレとコレ」と断言できる一作があります。
 もとより文芸や演劇には、ほとんど関心が無く、「見た」作品も圧倒的に少ないのですから「アレとコレ」と確定できるのでしょうし、社会経験が未熟な多感な時期に「見た」ので、殊更印象深いということもあるでしょう。
 ともに「こぼれる涙を抑えることができない」感動のラストシーンであることが共通し、「生きるとは」を考えさせられる一作であることも共通しています。
 その「アレとコレ」は、「喜びも悲しみも幾歳月」(邦画)と「ROOTS」(米国TVドラマ)です。平成も残り僅か、昭和は遠のくばかりですが、記者が知る昭和の30余年間で出会った自己中な感動の巨篇2作を記録に残しておきます。

 

喜びも悲しみも幾歳月


 「おいら、岬の灯台守は、、、」の主題曲で有名な「喜びも悲しみも幾歳月」(松竹:木下恵介監督)が封切られたのは1957年、戦後の復興から高度成長へと繋ぐ過渡期でした。テレビ放送はすでに始まっていましたが、総天然色の映像娯楽といえば、圧倒的に映画の時代でした。記者がこの一作を観たのは、どこかの名画座だったと思います。二時間を越える大作ですが、登場人物にはタダの一人も「悪人」がいないという希有な作品で、出演者全員が純朴に誠実に自らに与えられた人生を全うします。


 物語は戦前戦後、日本の僻地へと転勤を繰り返しながら、過酷な駐在生活を送る灯台守夫婦(有沢四郎と妻きよ子)の生き様を描きます。灯台守とは、航海の安全を守るため灯台の灯火を維持する職員のことです。職員は3-5年のローテーションで転勤を繰り返し、台長(灯台長)他2-3組の職員夫婦で現地の灯台を守ります。


 殆どの灯台は岬の先端や離島など人里から隔絶された場所にあり、今のように交通機関も発達していないので町に出ることも容易ではありません。きよ子夫人は、夫(有沢四郎)と見合い後、即日嫁ぎ、結婚日の夜行電車で赴任地に赴く慌ただしさで、灯台勤務が何たるかも知らず夫との灯台守生活をスタートさせます。


 赴任日の当夜、きよ子は宿舎を兼ねる灯台官舎で、発狂した醜女と鉢合わせとなり怖気立ちます。僻地であるがためまともな医療を受けられず、目の前で息子を亡くし発狂した同僚の妻です。きよ子は今後の辛苦を予感します。


 その洗礼は直ぐに訪れます。雪深い北海道の赴任灯台で初めての出産を迎えますが、産婆が間に合わず、長女は夫が自ら取り上げました。体調を崩した同僚の妻は、病状が急変、ソリを仕立てて急遽町の病院へと向かいますが、ソリの中で息絶えました。離島灯台での勤務では真水が慢性的に不足しており、海水を含んだ水でつくる料理が夫に不評で、仲のいい夫婦にも亀裂が走ります。別の灯台では、上司の台長が暴風雨の中、故障した風速計を修理中に転落死しました。戦争中、灯台は米軍艦載機の攻撃目標となり何人もの灯台守が国内で「戦死」しました。


 危険と不便、更には社会との隔絶という押しつぶされそうな暮らしの中で、二人の子供だけが夫婦の唯一の生きがいとなります。しかし職員家族数人だけの閉鎖された暮らしで、同年代の子供友達も居ない不憫、もっと高等な学問を修めるため進学もさせてやりたい、と願い夫婦は、子供を東京の知人宅に下宿させることを決めます。


 ところが別居先で長男は町のトラブルに巻き込まれ命を落し、夫婦の生きがいは娘一人となってしまいます。その娘も縁があり学校卒業後、貿易会社に就職した青年と結ばれます。娘の帰郷を心待ちにしていた夫婦は落胆します。それどころか追い打ちを掛けるように娘婿最初の転勤地が、カイロ(エジプト)となってしまいます。一般人が移動に飛行機が使えるような時代ではありません。赴任するだけで何週間もの船旅ですから、もはや盆暮れに娘夫婦と出会うことも叶いません。「よりにもよってアフリカとは」、、、。


 そして映画はクライマックスを迎えます。

 勤続27年にして有沢四郎は静岡県御前崎灯台に初めて台長として着任します。ある日の夕刻、漆黒の大海を一直線に照らす巨大な灯火を背に、灯塔の露台手すりには双眼鏡を手にした有沢夫妻が身を投げださんばかりに居並びます。「やってきた」の声にきよ子も後を追うと遠方から一隻の客船が向かってきます。カイロに向かう娘夫婦が乗る客船です。


 一方、船上デッキからも娘夫婦が並んで灯火を見つめています。「あれがお父さんとお母さんの灯台」を確信した時、灯台から霧笛が届きます。霧笛とは灯台設備の一つで、風雨や霧で灯火の到達輝度が低下する場合、灯台の存在を船に知らせるために鳴らず信号音のことです。おそらく霧笛の連呼は、規則違反であったことでしょう。
 しかし娘婿夫婦にとっては、この霧笛が自分達への祝砲であることは明確です。「ボク、船長さんと掛け合ってくる」と言い残し娘婿は新婦をデッキに残し走り出します。

 

 灯台から響き渡る霧笛を浴びながら「お父さん、お母さん」を繰り返す娘の背後からほどなくして汽笛の連呼が始まります。灯台の祝砲に対する客船の返砲です。何度となく霧笛と汽笛を贈り合いながら、客船は大海の闇へと消えてゆくのでした。

 

ROOTS

 

 ROOTS(「ルーツ」)は、アメリカの黒人作家アレックス・ヘイリーの原作を元に制作された大河テレビドラマで1977年全米で(同年に日本でも)放映され大ヒットとなりました。出所や生い立ちを意味する「ルーツ」という言葉が日常用語となったのも、このドラマからです。


 黒人としてアメリカで暮らすアレックス・ヘイリーは、ある日「自分の出自を知りたい」と決意します。以後、12年の歳月をかけ彼はアフリカを起源とする自分の来歴を調べ上げ、執念で自分の祖先が1765年奴隷狩りによってアフリカ西海岸からアメリカに連れてこられた「クンタ・キンテ」であることを突き止めます。

 

 15歳のクンタ・キンテ(渡米後は「トビー」に強制改名)は、売買奴隷として南部の農場を転々とします。逃亡が失敗し足首を切り落とされる刑罰を受けるなど過酷な虐待にも屈することなくクンタ・キンテは奴隷ではなく故国の部族の一員としての誇りを忘れませんでした。その後、奴隷仲間のベルを妻として、キジーという長女を授かります。
 しかしキジーは若くして他の農場へ売却、そこで強姦されジョージ(チキン・ジョージ)を生みます。商才に長けたジョージは波乱の人生を過ごしますが、妻マチルダとの間に長男トム(トム・ハービー)が生まれます。このトムがアイリーンと結婚し、末娘シンシアが誕生、アレックス・ヘイリーに繋がるのです。

 その間、独立戦争や奴隷反乱、南北戦争、あるいは奴隷解放宣言後に出現した黒人差別運動、更には第一次大戦と一族はアメリ近現代史の荒波に翻弄され、数え切れない苦難に襲われます。


 ただしドラマは白人支配(悪)、黒人弱者(犠牲者)という単純なステレオタイプで一貫させず、白人社会は白人社会として黒人社会は黒人社会として、それぞれ葛藤や矛盾があったことを並行して描き、社会が善悪二元論に収まるほど単純ではないことを伝えてゆきます。

 

 そして大河ドラマのクライマックス(Roots2:Roots The Next Generations)です。

 

 アレックス・ヘイリーは並ではありません。彼はアメリカにおける一族の来歴解明に飽き足らず、アフリカにおける先祖の「ルーツ探し」まで乗り出します。調査の結果、クンタ・キンテは現在のガンビア(西アフリカ)北岸地域に存在する「ジュフレ」という村落の出身である可能性が高いことを突き止め、村に乗り込みます。


 「遠い縁者が来た」と村人はアレックス・ヘイリーを歓迎してくれますが、当然300年前のクンタ・キンテを知る者などおりません。過去の戸籍や住民票なども整備されていませんから調査は難航します。しかし村には「語り部」がおり、部族の遍歴を代々口伝えで継承していることを知ります。


 広場の一角、炎天の下で通訳を交えながら古老の語り部が神話時代から始まる部族の歴史を語り出します。二時間、三時間、語り部の物語は止むことがありません。アレックス・ヘイリーの気力も朦朧となりはじめた時、通訳の一言に衝撃を受けます。
 「ある日、木を切りに行ってクンタ・キンテはそのまま戻らなかった」、古老の口述を通訳がそう伝えたのでした。「この村」と「この部族」がアレックス・ヘイリーと繋がった一瞬でした。


 翌日、大いに満足したアレックス・ヘイリーは別れを惜しむ村民を後にして帰路につきます。桟橋からはしけに乗り移った時、彼は取り囲んだ村民の後方から走り寄る一人の青年に気がつきます。
 「キンテ、キンテ」と叫びながら手を振り、半分踊るように向かってくるその青年。アレックス・ヘイリーは何事かといぶかります。そして息を切らせながら青年は目の前ににじり寄り、アレックス・ヘイリーの胸元を指さしながら「キンテか」と尋ねます。
 「そうだよ。オレの祖先はクンタ・キンテだ」と状況が分らないまま応えたアレックス・ヘイリーは、続く青年の一言に愕然とします。
 青年は今度は自分を指さし、「オレもキンテだよ!」と言ったのです。

 この青年は何百年か前に生き別れた親戚だったのです。全てを理解したアレックス・ヘイリーは、その巨漢で細身の青年を思いっきり抱きしめ、号泣したのでした。

 

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 アレックス・ヘイリーはこの一作でピューリツァー賞を受賞しました。そのテレビ・ドラマ版は、アメリカだけで1億3千万人が視聴したとされます。彼自身がこの物語をファクト(史実)とフィクション(創作)を合わせた「ファクション」であると称すように「ルーツ」はドラマです。


 ですが事実に忠実であるかは余り問題ではありません。「喜びも悲しみも幾歳月」がそうであるように多くを感動させる芸術であることに意味があります。完成度が高いからこそ、黒人の物語でありながら、人種や民族を超越して涙を誘うのです。史実よりも芸術のほうが時間や地域を飛び越す普遍性があり、よほど人間味があると見ることもできるのです。

 

(社会部デスク)

韓国の「死に至る病」

消された過去


 軍用機や軍用車両には、各国独自のマーキング(国籍識別マーク)を施します。韓国空軍の国籍マークはアメリカ空軍のマークに類似し、中央に太極旗の赤青陰陽表彰をあしらったデザインとなっています。記者はかつて、このマークは北朝鮮軍の空軍マークであると誤解していました。原因は『慕情』という映画です。

 

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 慕情(Love Is a Many-Splendored thing)といえば、年配者であれば誰でも知っている往年の名画です。アメリカ人の従軍記者エリオットと香港の女医スーインとの悲恋を描いたこの映画は、エリオットの戦死が報道されたにもかかわらず、戦時郵便の遅配で、死後、スーインの元に毎日のようにエリオットからの恋文が「届く」という悲劇的なラストシーンでクライマックスを迎えます。失意のスーインが駆け上った香港市を見渡す丘(ビクトリアピーク)は一躍世界的な名所にもなりました。

 記者がこの映画を観たのは小学生であったと思います。映画の公開は1955年ですから、封切りを観たわけではなく、名画座か、テレビ放映であったはずなのですが、記憶が定かではありません。当時、ラブロマンスには何の関心も無く、専ら朝鮮戦争を舞台とする映画の端々に登場する軍用車両や小銃などを観察するという誠に不純な動機から映画を「見ていた」のでした。
 そこで「誤解」なのですが、エリオットが戦死するシーンです。従軍中突然、戦闘機が来襲し、空爆によってエリオットは斃れます。古い記憶なので少々曖昧ですが、確か戦闘機は、P.51で、機体には韓国空軍マークが描かれていました。
 アメリカ人ジャーナリストが同行する一群を国連軍(韓国軍)が空爆するはずはなく、アノ空軍マークは北朝鮮軍なのだ、とソノ時思い込んだのでした。それが誤解である、と知ったのは随分後のことです。

 この空襲シーンですが、何故か、今日見ることができるフィルムは全てカットされ、記憶を確かめる術がありません。しかし暫くの間、あのマークは北朝鮮軍だと信じていたのですから、問題のシーンはあったのだと思えます。

 そのような些細な誤解はほどなく記憶の奧底に埋もれてしまったのですが、1999年、AP通信がスクープした事件で再び「慕情」を思い出すことになりました。「老斤里(ノグンリ)事件」です。

 

老斤里(ノグンリ)事件


 朝鮮戦争の勃発時、不意を突かれた米韓軍は総崩れとなり大混乱となりました。優勢な北朝鮮軍の大攻勢に防衛ラインを死守できないと悟った一部米国部隊は、地域住民に安全な南部に避難するよう発令します。
 この指示に呼応した永同郡の村民500名が老斤里にある京釜線鉄橋に到達すると、突然米軍機の無差別爆撃が始まりました。人々はなす術もなくなぎ倒されてゆきます。生き残った者は鉄橋下の水路用トンネルに逃げ込んだのですが、米軍はトンネル出口に銃座を据え、執拗に一斉射撃を開始、婦女子を含む殆どが射殺され、死体の間で息を潜めていたわずかな生存者が救出されたのは空襲から3日後、地域を制圧した北朝鮮軍の「米軍は撤退しました。安心して出てきなさい」との呼びかけによるものでした。

 最近の資料に拠れば、似たような惨事は老斤里だけではないとされます。明白な戦争犯罪であり虐殺といってもいい事件です。一件は極秘扱いとなり、事件の負傷者や遺族は、補償はおろか、事実そのものの沈黙を強制されました。

 事が公となったのは、1994年事件の生存者が初めて手記を発表、この手記を元に1999年AP通信が米側資料等を発掘し世界中に報道したことによります。今思えば、エリオットが死んだのは老斤里だったのかもしれません。朝鮮戦争終結の2年後に「慕情」は、封切りとなっています。

 なぜ、このような事件が起きたのでしょうか。日本の敗戦とともに半島の南半分を統治した米軍は、韓国民の扱いに苦慮していました。韓国(朝鮮)は勿論、連合国ではありません。国土は大日本帝国編入されていましたから、独立国として参戦できる主権はなかったのです。
 例え国土が外国軍に占領されていたとしても、フランスのように本国政府のドイツ降伏(1940年)後も正規軍本体がイギリスに脱出、国内のレジスタンスと一体となり反抗を続けたというのであれば、戦勝国としての資格があったかもしれません。しかし韓国の抗日パルチザンには統一的主体はなく、それどころか連合国から見れば、1944年以降、徴兵制によって編成された韓国軍(朝鮮軍)は日本軍と共に英米と戦っているのですから、連合国の心証としては「敵(枢軸国)」に近いものがあったでしょう。

 韓半島南部を統治した米軍は、当初、朝鮮総督府の行政機構を活用して軍政を敷いたことからも、連合国は韓国を一旦は敗戦国と見做した、ともいえます。米軍としては韓国民は敵か味方を図りかねていました。

 朝鮮戦争が始まる数年前より済州島事件(4.3事件)のように李承晩政権に対する民衆蜂起が各地で発生していましたから、避難民とはいえ、戦局が不利な状況で敵性勢力が米軍本隊後方に進出するのは驚異です。
 1950年7月27日ウィイリアム・キーン現地軍師団長は、「戦闘地域を移動する全ての民間人を敵とみなし、発砲せよ」と各部隊に命令しました。この命令により老斤里他の惨劇が起こったのです。

 

 徴用工判決


 先月29日、韓国最高裁新日鉄住金に続き三菱重工にも元徴用工の賠償を命じました。すでに同様の訴訟は14件あり、被告となっている企業は80社に及びます。韓国政府機関は299の戦犯企業が現存する、とします。ここに至っては、最高裁としてはその全て、一切合切に賠償を乱発する他ないでしょう。

 しかし、韓国現代史の戦慄すべき悲劇は、むしろ日帝の植民地時代以降に発生しています。韓国市民としては怒髪天を衝く話でしょうが、客観的に現代韓国史を追えば、植民地解放後、韓半島流入したソ連軍による略奪や破壊、軍事政権(韓国政府)や北朝鮮軍、あるいは中国人民解放軍や米軍による人命や財産の損失は、植民地時代とは比べものになりません。

 その間、無数の戦争犯罪がありました。徴用工や慰安婦問題について、協定や合意による外交決着を反故にしてまで、徹底した糾弾を続ける韓国市民の意識は、日帝問題を片付け、引き続き日本以外の賠償請求へと突き進むのでしょうか。それとも市民意識は、「日本」のみを特別視し、それ以外の「問題」は無関心であり、忘却すらできるのでしょうか。
 もしそうだとすると、日韓関係の問題の本質はソコです。「なぜソウなのか」が掴めない限り、問題が不可逆的、最終的に片付くことはないでしょう。

(ソウル通信)

 

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