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日韓ビジネス指南(1) :韓国企業と付き合うビジネスマン心得

 近年、政治の問題でどうも「韓国」と上手く行きません。とはいえ過去数十年、経済、文化、社会において日本と韓国は過去に比類がない程、関係が深化しました。それに伴って多くの日本人ビジネスマンが韓国企業と交わるようになってきました。
 ビジネスのことですから、お互い不用意に政治の話を持ち出し、商談を台無しにしようとは思わないでしょうが、「知らなかった」が故に、意図せずに相手の不評を買ってしまうこともあり得ます。
 例えば、外国人が玄関から土足で畳の上に上がれば、「文化が違うにしても、日本では玄関で靴を脱ぐ位の最低のマナーは、事前に理解しておくべき」と憤慨するでしょう。しかし、「オンドル部屋にスリッパで入ってはいけない」という韓国マナーを知る日本人ビジネスマンは殆どいません。
 韓国企業が下請業者という弱い立場であれば、叱責を受けることも無いかも知れませんが、不評を敢えて行なってもビジネスに得することはありません。

 今回からシリーズで、韓国企業とビジネスする上で、知っておいたほうが韓国人と上手に付き合えるというポイントをお届けします。何かと上手く行かない日韓関係ですが、ひょっとすると、チョットした知識で、不必要な反感や衝突を回避できるかもしれません。 

北韓

 韓国では、北朝鮮のことをよく北韓(【북한】プッカン:北韓国)と呼びます。「北韓国」と聞くと、なにやら「北」を武力統一するという韓国の尊大さを連想しそうになります。しかしその連想は、長年築いた韓国パートナーとの信頼関係を瞬時に壊す「危険」を孕んでいます。
 もし折もあろうに少し年長の韓国人ビジネスマンを囲んだ商談の最中、お節介にも「あの国は北朝鮮でしょ」などと異論しようものなら、途端に取引は破談に瀕するかもしれません。万一、本当に破談となってしまっても、「なぜ、あれだけ積極的だったのに…」とずっと悩みつづけること受けあいです。

 「北韓」との呼称に韓国人の傲慢さは混入してはいません。この「危険」に気付く日本人が殆どいないことは、以下の質問に答えられる日本人が滅多にいないことと比例します。

〔質問〕日韓併合(1910年)当時、日本が併合した隣国の正式国名は何ですか。

 

 答は「大韓帝国」です。日本が大日本帝国と称していたとき隣国の正式国名は大韓帝国でした。試みに「昭和17年(1942年)度版朝日年鑑」を紐解くと、その「植民地」編には、「朝鮮は、元の韓国で、古来我国と密接の関係があったが、・・・合併と同時に朝鮮と改称された。」と記されています。
 当時は日本でも隣国を韓国と呼んでいました。勿論、韓国とは北も南も併せた半島全体としての韓国です。少し想像をお願いしたいのですが、もしある日突然、強国が日本を併合してしまい、「今日から君達は、日本人と名乗ってはいけない。ヤマト人と称しなさい」などと強いたら、どういう心境となるでしょうか。
 「ヤマト」が日本列島を意味する由緒ある呼び名であったとしても愉快なことではありません。ですから植民地時代が終わり独立を回復した隣国が、元の国名「韓国(正式には大韓民国となりましたが、)」を復活させたいと思うのは人情というものです。そもそも日朝併合ではなく、日韓併合なのですから、その経緯が漂ってきます。

 

 この話題にはもう一つ日本人が陥り易い韓国との認識のズレが潜んでいます。それは日本の歴史教科書では14世紀末から約500年続いた韓国最期の王朝を李氏朝鮮李朝)と教えることに起因します。
 日本の教育が「李朝」と学ばせることに何ら他意があるわけではありません。ただ、李朝と習うので、何となくペルシャにはアケメネス朝やササン朝があるように、「朝鮮」という国家的領域としての連続性があり、李朝は一連の王朝のひとつと考えてしまいがちです。
 確かに韓国には、箕子朝鮮、衛氏朝鮮という時代もあるのですが、韓国人にとって(北朝鮮をともかくとすると)、「朝鮮時代」とは「李氏朝鮮」を意味しています。

 

 「韓国では李氏朝鮮とはいわず、単に朝鮮時代といいます」、韓国の人と歴史の話をしている最中、そう諭されて私はハッとしました。日本では朝鮮という歴史領域の上に王朝の興亡が続いたと早合点しますが、韓国では「朝鮮」という名称は、「三韓時代」、「三国時代」、「統一新羅」、「高麗時代」、「朝鮮時代」、「植民地時代」という韓国史の一部分に過ぎず、日本史で言えば「江戸時代」と歴史の一時期を呼ぶのに類する程度といえるかもしれません。
 ですから、日本人がイメージするように「朝鮮」という歴史的地域の一部に韓国があるわけではありません。逆に「韓国」という地域的連続性に朝鮮時代が存在するといえば、それは「言いすぎ」となりますので、ここはチョッと複雑です。

 

 では何故、日本は「併合と同時に朝鮮と改称」したのでしょうか。併合直後に出された勅令には「韓国ノ国号ハ之ヲ改メ爾今朝鮮ト称ス。本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス」とあり、国号の名称変更は、当時の明治政府としても緊急度が高い政策であったことが推察されます。
 以後、国号に止ます、韓国人、韓国語、韓民族など凡そ「韓」の字がつくものはことごとく朝鮮に塗り替えられます。学者の研究によれば、この政策にはEmperor(皇帝)がKing(王)を統治するという勢力圏管理上の問題が関係していたようです。大韓帝国大日本帝国という同格の国号・国体が並存するのは具合が悪いので、併合と共に大韓帝国皇室、公族、重臣を日本の皇族、華族に編入し、管理制度として韓国の日本帰順を明確にする必要があったというのです。
 しかしいきさつはともかくとして、多くの韓国人は「韓」の排除を民族の否定と受け止め、もはや独立国家ではない、との意識的隷属強制だと心に刻み込みました。解放後、「韓」の復権は、韓国のアイデンティティの回復でもありました。ですから、韓国の人が北を北韓国と呼んだとしても、北朝鮮に対する特段の思惑があるわけではありません。北も南も併せて韓国だったのですから。

 

 事情を知らず「あそこは北朝鮮でしょ」と反論したとしても、早々ビジネスに影響するというものではないかもしれません。今日では、韓国も新人類の世代となり、大韓帝国の経緯を知らないという若手も少なくありません。年配者であっても憤慨を露にするということもないでしょう。しかし不用意な一言で、韓国のビジネスパートナーの失笑を招いても何の得もありません。
 勿論、失笑された日本人に悪意があるわけではないでしょう。ただ「知らない」だけです。「ビジネスと私情は別物」と思われるかもしれません。しかし、少なくとも商売が、人と人との信頼関係で成立するからには、金勘定だけの信頼関係には、底力がありません。人間は感情に左右される動物なのですから。

 

 一方何故、北朝鮮は「朝鮮」を国名として継続したのでしょうか。この点ははっきりしたことは分かっていないようです。北朝鮮は、韓国のことを南朝鮮と呼びます。一説に拠れば、封建時代(李氏朝鮮)に続く日本の植民地時代を解放して共産主義国家が誕生するという歴史の発展段階の概念秩序として僅か13年しか存続しなかった大韓帝国は、ダイナミックな歴史転変の尺度には調和しなかった、などと解釈されています。
 ともあれ李朝を建国した李成桂も、中国、明王朝に即位の承認(冊封)を仰ぎ、国号を「朝鮮(チョソン)」とするか、「和寧(ファニョン)」とするかの選定を請願、明朝によって朝鮮国号が下賜されたのが「李氏朝鮮」の起こりですので、李氏自らも「朝鮮」国号を自明なことと考えていたわけではありませんでした。
 隣国の国号を追究すると何とも深みにはまります。しかし、こと韓国とのビジネスを進めるのであれば、少なくとも韓国の人にとっての「韓」へのこだわりは、知っておくべきだと思えます。

どこよりも近く、どこよりも遠い

 さて、話題は変わりますがイ・ビョンホン主演の韓国ドラマ『オールイン』は日本でも大ヒットしました。このドラマの中に欧米人であれば、のけぞる程、違和感を覚えるシーンがあったことを想像できるでしょうか。
 それはスヨン役のソン・へギョが、私宅としていた教会の居室で布団に横たわるシーンです。何故、それが「違和感」なのでしょうか。答は、床に布団を敷いて寝てしまうという風習は、日韓共通の独自文化であるということです。欧米であっても中国であっても、基本はベッドで就寝です。床に直接「寝る」ということは、欧米人にとっては、文化の遅れた民族か、ホームレスのように生活困窮者と映るようです。
 床に寝るためには、玄関で靴を脱ぐことが前提です。家には玄関がなくてはなりません。日本と韓国は玄関文化の国ともいえます。同じ文化を共有する日本では、スヨンのワンシーンに誰も違和感など感じません。共通なのは玄関だけではありません。漢字・仏教・儒教を教養と思考秩序の基礎に置く、米を主食とする菜食主義、ウチとソトの区別、風呂敷の使用、敏捷性、感受性など日本と韓国は、最も近い関係にある外国です。
 韓半島対馬までは約60キロ、北九州までも約200キロ。もし日韓海底トンネルがあれば、新幹線を使えば40分で到着する外国であるのですから、社会・文化・価値観、様々が類似するのは当たり前です。
 しかし、お互いのコミュニケーションに何かもやもやしたものが、日本人、韓国人いずれの側にも澱みます。もし相手が、アラブ諸国とかアフリカのある国とか、途方も無くかけ離れ、文化・思想が根本的に異なっていれば、抵抗も無く受け容れられる「違い」が、なまじ近い関係、同質であると信じていたがために、時として遭遇する「異質」に我慢ならない、なども起こりがちです。
 同じ布団文化でも日本は、布団を布団カバーで包み、布団の絵柄が汚れないように保護するのが美徳と考えるのですが、韓国の人は「何故、綺麗な布団の模様を隠すのか」といぶかります。布団カバー・枕カバーを使う韓国の家庭はほとんどありません。どんなに類似していても、異質な点は異質です。

 

 おそらく外国と交わるビジネスマンであれば、一様に両国の「架け橋」となりたい、と思うのではないでしょうか。繰り返しになりますが、地勢的にも、文化、習俗、価値観に至るまで、韓国ほど近い外国は他にありません。にもかかわらず、多くが、心の奥底に違和感を漂わせながら隣国とビジネスします。
 違和感を緩和するには、隣国との「近い」を知り、「遠い」を認めなければ上手くゆきません。次回は、「日本語と韓国語の不思議な関係」を眺めます。近くて、遠い関係を、この不思議ほど実感するものはありません。

 

(つづく)

【ソウル通信】2017.10.30配信