時事旬報社

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ベーシックインカム:日本が天国となる日(1)

 

 

 

 日本国憲法第25条には、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあります。戦後、立憲主義(Constitutionalism)を導入した日本では、憲法とは国民が政府を統治するために定めた最高法規であり、「国民が国家権力を縛る」ために存在するのであって、(有力な憲法論によれば)国民には憲法擁護義務は無く、政府執政者(具体的には天皇国務大臣国会議員、裁判管その他公務員)の行為を規律するものだとされています(同憲法第99条)。

 

 この考え方に基づき、国は失業保険や生活保護費の支給など「セーフティーネット」と呼ばれる弱者救済政策を運営してきました。ところが近年、ベーシックインカムという全く異なる視点から第25条の社会保障を実現するべきだ、との意見があらわれました。そこには、ヒタヒタと従来とは根本的に異なる事態が迫っているという事情があります。

 

ベーシックインカム

 

 昨年10月の衆議院選挙に際し「希望の党」は、ベーシックインカム(Basic Income)実現を公約に掲げました。その後希望の党は惨敗したので、この話も立ち切れとなりましたが、この時はじめて、「ベーシックインカム」という聞き慣れない用語に出会った多くの有権者の印象は様々でした。
 ベーシックは「基礎」とか「基本」、インカムとは「収入」とか「所得」との意味ですので、ベーシックインカムは「基礎所得」とか「国民配当」などと邦訳されるのですが、要するに、政府が全ての国民に無条件で毎月、一定額の現金を支給する社会保障制度のことです。失業保険や生活保護と比べると、全員に無条件に配る点が大きく異なっています。

 

 希望の党は、生活保護費を算定基準として国民一人に月額12万円支給を検討するようなことを匂わせました。具体的な制度設計に入る前に惨敗したので、希望の党公約は絵空事と流れてしまいましたが、額面通りに受け取れば、無職でも夫婦二人で24万円、子供が二人いれば48万円支給となる勘定ですから悪い話ではありません。いや、悪い話どころか、一夜にして、この世が天国となる驚天動地とも呼ぶべき快挙です。


 にもかかわらず希望の党は大敗したのですから、多くの有権者は、「そんなことが出来るはずがない」と読んだか、仕事もせずに収入を得ることは不謹慎である、と考えたのでしょう。当の希望の党でも公約に掲げながらPRはごくごく控え目で、自信の無さが漂うあたりは、自分たちでも「そんなことが、、、、」であったように感じます。

 


 荒唐無稽な話と見えるベーシックインカムですが、世界の政界、財界の間では真剣に議論が始まっています。大統領選挙に敗北したヒラリークリントン国務長官は、選挙戦回顧録の中で「財源を確保し、アメリカでもベーシックインカムを導入するべきことを夫(ビル・クリントン元大統領)と検討していた」と明かしています。フェイスブックのマーク・ザッカーバークCEOやテスラ(全米NO1の電気自動車メーカー)のイーロン・マスクCEOも熱心にベーシックインカム導入を主張します。日本では、ホリエモンこと堀江貴文氏(元ライブドアCEO)が強力に擁護し、私財を投入して一部実験を開始したことが知られています。
 政財界でベーシックインカム論議が活発となるのは、急激なICTとAIの技術革新が、従来型の労働市場経済モデルが今後は成り立たなくなるとの危機感があります。

 

大失業時代

 

 自動運転技術が確立してしまえば、トラックやバス、タクシーの運転手は失業です。産業ロボットの進化により無人の工場はすでに珍しくはありません。医療分野では経験を積んだ医師よりも、膨大な医学論文と治験情報、無数の患者臨床ビッグデータディープラーニング(深層学習)した医療AIの方が、正確な診察と治療に貢献するようになりつつあります。高給取りとして花形であった為替・株式ディーラーも今日ではスーパーコンピューターの仕事となりました。作曲や小説の執筆といった人間でなければ不可能と考えられてきた職域にもAIはどんどん進出しています。

 

 生産、物流、教育、文化、社会活動全般に渡り、今後20年以内に人間が行なう仕事の90%は消滅し、現行スタイルで「働く」労働者は、2045年までに全世界の人口の1割程度に激減するとの研究報告もあります。ICTや自動運転の技術革新を進める大企業の経営者からベーシックインカム推奨の主張がわき起こるのも、彼らが思い描く近未来では「如何に労働力が不要となる社会が近づいているか」のリアリティがあるからとも言えます。


 技術革新により旧来の産業が衰退すれば、新技術から生まれる新しい市場に労働人口をシフトさせることがこれまでの国策でしたが、労働力そのものを不要とする技術革新の到来は、発想の異なる新しい政策が求められることを意味しています。「働く必要がない」社会がやってくるのですから、国民が「どう生きるか」、「何をするか」を考えねばなりません。
 ベーシックインカムの議論は、そういった文脈から考えてゆかねばならないのです。

 

財源をどうするか

 

 論理的にベーシックインカムに正当性があったとしても、財源がなければ実現できるものではありません。この点については、いくつかの私案が提案されています。経済評論家の山崎元氏の試算によれば、現在の年金、生活保護費、雇用保険、児童手当や各種控除資金をベーシックインカムに転用すれば、日本国民全員に毎月46000円の支給が可能であり、不足分のみ他の財源を開拓すればよい、とします。

 現在の消費税率8%から35.8%に引き上げることによってベーシックインカム原資を確保できるとの計算もあるようです。中には「政府の通貨発行益で賄う」という奇抜な案もあります。通貨発行益案とは要するに、ベーシックインカムに必要な資金は政府が紙幣を印刷して国民に配ってしまえ、という型破りな方法です。

 

 日本はバブル崩壊後の「失われた20年」に国債を大量発行、公共投資を拡大し、景気の腰折れを回避してきました。この間、政府債務は1000兆円を超え、大量発行した国債の取引価格が暴落し信用不安を引き起こさぬよう、中央銀行(日銀)が市中の国債を回収(買取)、大量の国債を塩漬け(非売品化)し、信用低下を防いできました(現在約400兆円の国債を日銀が保有)。このテクニックは、実質的には政府が通貨発行益で財政を支えているのと同じです。

 

 日本の年間税収(歳入)は約60兆円なのですが、歳出は100兆円となっています。現在でも年40兆円は国債発行(その後の日銀回収)を繰り返している状態です。1000兆円の政府債務とは、全国民に5年間、毎月15万円を支給したことに相当します。「日銀回収で、これまで済んだのであれば、今後は公共投資ではなくベーシックインカム財源としてでも成り立つであろう」との主張に、このテクニックを多用してきた政府としても反論はしにくいでしょう。


 ただし政党別に眺めると、ベーシックインカム推進を提唱しているのは野党のみで、与党の自民党公明党は反対の立場をとっていますので、現実問題としては、ベーシックインカムの法案が具体的に審議される可能性はほとんどありません。

 

職業倫理観

 

 勿論、ベーシックインカムは財源の問題だけではありません。職業倫理観との視点からの議論もあります。働かずとも収入があれば、人間は堕落してしまうのではないかとの懸念です。


 2016年6月スイスでベーシックインカム導入の是非を問う国民投票が実施されました。スイス国民全員に無条件に毎月2500スイスフラン(約28万円)を支給する法案の賛否を問う国民投票です。第三者から見れば、「こんなイイ話はない」と妬ましいほどですが、投票結果は意外にも反対77%の大差で否決されました。勤労意欲の低下がスイスの国際的競争力を奪うと考えた人が多かったのでした。

 

 2017年1月からフィンランドでも2000人を対象にベーシックインカムの実験が始まりましたが、就労観の変化は検証項目の一つとなっています。しかし専門家の一部は心配する必要はないと反論します。「労働する」は人間の本能(欲望)の一種であり、ベーシックインカムが始まれば、「儲けを伴わない業務に従事する人が増える。新しい価値や文化、技術は一銭の利益が無くとも10年、20年と継続するところから生まれることが多く、それが国富の源泉となる」というのです。

 

 

 いずれの主張が正しいのかは分りません。しかし検証に余り時間は費やせないかもしれません。長引けば、10年後、20年後とされる大失業時代が先に始まってしまうかもしれないからです。

 次回はもう少しベーシックインカムの実現可能性を考えてゆきましょう。

 

(続く)
                                 社会部デスク

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