時事旬報社

時事問題を合理的な角度から追って行きます

ベーシックインカム:日本が天国となる日(3)

 前号(3月2日)で大雑把に計算したように、国民全員に無条件で月12万円を支給するというベーシックインカムが、いかに突拍子もない話であるかは明白です。プライマリーバランスなど財政収支を考えれば、議論の余地もないようにも思えます。しかしなぜベーシックインカムが国際的な関心を集めるのかと言えば、AI等の技術革新が早晩、人手を必要とする「仕事」を激減させる現実が迫ってきている事情によります。


 一部識者が主張する「今後20年以内に人間が行なう仕事の90%は消滅する」は、極端な意見かもしれません。ですが、それが半分だろうが、三分の一だろうが激変が避けられない生産社会や労働市場に備えねばなりません。見方を変えれば、仮に現状のまま大失業時代に突入すれば、天文学的な失業保険や生活保護費が必要となり、結局のところ「どうするか」をいつかは、決めねばなりません。今、ベーシックインカムを議論しておくことは、社会の大混乱や矛盾、無秩序や破壊を緩和あるいは予防する処方箋を準備する作業と言えますし、上手い処方箋が見つかり、誰もが「やろう」と同意すれば、日本は天国となるかもしれません。今暫く「天国ニッポン」とはどういう社会かを追ってみましょう。

 

国富の源泉

 

 さて財政問題をともかくとすると、ベーシックインカム最大の懸念は、「人間が怠惰となる」という労働倫理の問題です。「働かずとも、文化的最低限度の生活は出来る」、つまり無職となっても飢死ぬことはない、となれば、多くが「楽をしよう」と考えるのは当然です。「いい仕事を得よう」という動機がなくなれば、「いい大学に入ろう」、「いい大学に入るため、受験予備校に通おう」といった動機も連鎖的に消滅します。しまいには「勉強なんか必要ない」との境地に至るかもしれません。


 通貨発行益などテクニックを多用したとしても、国民の殆どが何もせず、日がな一日、ベーシックインカムで食いつなぎ、「ブラブラしているだけ」ということであれば、国家は存続できるものではありません。金や石油といった地下資源が豊富にあるどこかの国であれば、全国民のブラブラが許されるかもしれませんが、人的資源だけを頼りに今日まで来た日本においては、国民が労働と生産を止めてしまえば滅びるほかないのです。
 、、、と、かくのように話すと正論を主張しているように思われるかもしれませんが、実はこの議論には、ベーシックインカムの本質を考える際の落とし穴が潜んでいます。この主張は半分正しく、半分間違っているからです。


 例えば、10人の労働者が一日かけて商品を一つ生産していたとします。そこに製造ロボットを導入して一日一つの商品を労働者一人でできるようになったら、経営者であれば不要となった9人を解雇して、利益率を向上しようとするかもしれません。

 しかし成果物は維持しながら労働者を解雇しないのであれば、労働者は10日に1度働けばいいという勘定になります。商品がこの会社の独占品で、従来と同じ値段で「売れる」というのであれば、計算上は「10日に一日勤務で給料は同じ」が実現できるはずです。

 技術革新で仕事が激減するベーシックインカム時代の発想には、このような視点も含まれます。この会社の社長を「日本政府」に、10人の社員を「日本国民」とすると、ベーシックインカムの本質が透いて見えてきます。

 


 とはいえ、市場経済の社会では生産の効率化は価格競争に転化しますので、合理化は避けられません。それはそうなのですが、「商品がこの会社の独占品であれば」との前提は、ベーシックインカムを実現するリアリティを予見させます。グローバル時代の今日、資源小国「日本」は、技術やサービスで国際競争力を維持しなければなりません。9人の不要社員が「新規の商品・サービス開発(独占品開発)に投入される」のだ、とすれば、国富を低下させることなく、ベーシックインカムを実現できるのではないか、と思えます。

 

職業倫理

 

 さて、職業倫理の話です。10日に一度勤務で随分楽になります。ですが、ベーシックインカムで「10日に一度も働きたくない」、という人もでてくるでしょう。それがどれほどの割合であるのかは検討もつきません。2000人を対象としたフィンランドの実験(2017年~)でも勤労意欲にベーシックインカムがいかほどの影響をもたらすかは、大きな検証項目となっています。


 最低限の生活を保証するだけですから、「豊かな生活をしたい」という勤労への動機が奪われるわけではなく、大方の人は「仕事をしよう」と考えるとも思えます。ただし、生活のために働く必要は無くなりますから、転職が激増するなどが起るかも知れません。

 


 個人的には勤労という社会参加を捨て、孤高の脱俗を選択する人は、そうは多くないように思えます。昨年、国内の自殺者は22000人を数えましたが、その動機は、家庭問題、経済問題、学校・職場関係であり、殆どが社会生活に関連しています。対人関係に悩み、死ぬほど辛いのであれば、世捨て人となり、人里離れた奥山で仙人生活をする選択もあり得るのですが、大方は社会の中(街中)での死を選らぶことから、人は本質的に社会から隔絶されることを嫌う存在であると考えられ、勤労という社会集団参加の定番を失いたくない、という欲求は本能であるように思えます。

 

 勿論、仕事の絶対数が激減するベーシックインカム時代では就職が困難であるのですが、それは「利益に直結する仕事」がないということで、儲けを伴わない(ほとんどボランティアのような)職務であれば無尽蔵といえ、自ら創出することもできます。


 一銭の稼ぎにもならない業務であっても、10年、20年と継続することによって新しい価値や文化、技術を産むのであれば、日本の国力の次世代の源泉と期待できます。新しい技術の開発のように資金や設備がないとできない自発的職務もあるでしょうが、好きなだけ大学に在学できるようにするなど制度を整えることによって方策はあると思います。


 来たるべきベーシックインカムの制度設計は、そのような視座から組立てねばなりません。

(つづく)

 

社会部デスク

 

 

 

f:id:jiji_zyunpo:20180323194237j:plain