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ベーシックインカム:日本が天国となる日(5)

 ベーシックインカム社会で暮らす、とは

 


 「日本国民である」との資格だけで誰もが、自動的に生活費の最低額(12万円)が支給される社会で人々はどのように暮らすのでしょうか。仮に12万円をもらったとしても半分が税金として徴収されるなどというのでは意味がありません。単に支給額の問題だけではなく、ベーシックインカム社会で暮らすためには、税制他社会制度も対応するよう整備されていなければなりません。

 

 今回は「ベーシックインカム社会で人々はどう暮らすのか」を空想してみましょう。

 

 世界で議論される「ベーシックインカム」ですが、その背景にはAIを初め、高度に進歩した技術革新によって「ほとんどの人手が不要となる社会の到来が近い」、つまりこのまま無策であれば大量失業時代が到来するとの切迫感があるのでした。「市民のほとんどがスラムで最低限の生活をする」、どこかの映画のシーンにでも出てくるような頽廃した絶望社会を回避するための一案がベーシックインカムなのです。

 

 この議論で注意したいのが、「技術革新が人手を不要とする」という点です。従来10人で100の価値(成果物)を産みだしていたところ、機械が導入された結果、人手(労働力)は不要になったというのであれば、「労働力ゼロでも100の価値は生産され続けている」という状況です。極端な話をすれば、国民全員が無職となっても「国家としてのGDPに変化がない」という状況がベーシックインカムの着眼です。
 不況で工場閉鎖(つまり価値の生産も中止)、その結果、労働力を対価とする収入も奪われる「失業」と、ベーシックインカムの「無職」とは議論すべき構造が異なっています。無策であれば街中に失業者が溢れるかも知れません。しかしベーシックインカム無職が大勢であっても、従来型の雇用とは別の「新しい価値」を産む役割を付与される「無職」が出現することになります。
 ベーシックインカムは弱者救済・扶助制度との一面がありますが、この施策は大量のベーシックインカム無職をいかに今後の新しい価値や経済市場を生み出す担い手とするかという国家的マスタープランを一体として導入せねば機能しないとの意味で単なる弱者救済とは次元が異なります。「ベーシックインカムが国力の源泉となる」との青写真が描けなければ、この議論は荒唐無稽の一言で終わってしまうのです。

 したがってベーシックインカムを持続させるためには、ベーシック無職を次世代経済の大黒柱へとシフトさせる社会システムの整備を推進しなければなりません。そのためには従来とは異なる「勤労」と「報酬」に対する発想の転換が求められるように思われます。

 

労働者との概念


 ほとんどのサラリーマンは「生活のために働く」のであって、「お金の問題はない」とならば、「仕事は辞めたい」、「転職したい」と考える人は多いと思います。ベーシックインカムはこの拘束を開放しますので、離職や転職は激増することでしょう。
 就業人口の数パーセントは「生涯仕事をしない」、「最低限の生活でよい」と割り切るでしょうが、おそらくその割合は、現在でも「生産年齢でありながら、生活保護で暮らす」人々の割合と大きく違いはないように思えます。
 多くは例え現職を辞めても、より豊かな生活のため、あるいは社会で生きる張り合いを得るために職を求めるでしょう。勿論、再就職者の間でも離職・再々転職は日常となるには違いありません。それでも「自分に与えられた使命を全うする=勤労する」は、人間の本能と専門家は指摘します。つまり、大方は、いかなる状況であっても「仕事をしたい」と願うはずで、必要なのは「働きたい」と「ここで働いてください」をいかにベーシックインカム社会で組み合わせるのかの仕組み作りです。

 

 とはいえベーシックインカム時代となると(旧来型の)就職先絶対数が激減していますので、「何の仕事をしようか」を自ら切り開く必要もあります。一部の天才的な起業家や漫画や小説家として一芸に秀でる人であれば、「何を」を探すのに苦労しないかも知れませんが、人並みの万人にはそうも行きません。
 ですから、「何を」については、その仲介をする社会システムが整備されていなければ一般人としては身動きがとれなくなります。そのためには、社会を躍動させる新エンジンを掘り起こさねばなりません。後継者がいなく消滅しようとしている日本の伝統工芸や耕作放棄地として廃れ行く地方の農地や山野に隠れたエンジンがあるかもしれません。当座は一銭の稼ぎにもならない仕事であってもとりあえず生活費は心配ありませんので、各地で地道に「取り組む」には好条件です。「廃れ行く」と「何を・・・」を結びつけるシステムが上手く機能すれば、「廃れ行く」を食い止めるだけではなく、新しい価値が生まれるかもしれません。

 

 また、ベーシックインカム時代では大学の役割が益々重要になると思えます。古典や現代文学、歴史といった人文学や法律、経済学といった実用社会科学も単なる愛好から本職へと考える人もいるでしょう。「どんな学問でも10年続ければ専門家」との例えもあります。真面目に「究めたい」と考える人には半生を大学で過ごせるよう門戸を大幅に開いても構わないのではないでしょうか。様々な専門分野に学会が存在し、学術の研磨を担っていますが、大学半生層が大挙して学会加入し研究に加わるというのであれば、それを「国益」といってもいいように思います。

 

 一方、理系の学部について、です。産業立国を支える技術革新は民間企業と大学の研究室が牽引しますが、理系に心得がある大学半生者が倍増すれば、新発見・新開発の可能性は向上するでしょう。民間の研究開発部門と理系大学半生が連携する仕組みも有効です。産業立国として国際競争力維持が国策なのであれば、むしろこちらの方が優先であるといえます。技術革新には製造装置や実験設備などの環境が必要で、この意味でも理系大学半生層が実験生産設備にアクセスできる制度が不可欠です。

 

 いずれにしても、「労働」という概念を「押しつけられる」から「率先して」に転換できるかが重要です。もし失敗すれば、ベーシックインカム社会の生産性を確保できず、新社会は立ち上がることなく潰えるでしょう。

 

使用者との概念


 ベーシックインカム社会では、労働者に対する使用者(雇用主)の立場についても大転換が認められるべきと思います。その一つは労働者の自由解雇です。「目つきが悪い」、「ウマが合わない」などこれまででは到底合理的な解雇事由と認められないような理由であっても雇用主の自由判断で解雇できる、その解雇による法的なペナルティもない、としてもいいように思えます。
 労働者はベーシックインカムによって嫌な職場はとっとと離職するでしょうから、使用者にとっても「一緒に働きたくない」と思える社員はさっさと退場してもらう、が結局は生産性に結びつくと思えます。非常識な話です。ですが、心底身勝手で最低な経営者(使用者)であれば、誰もそんな会社で働こうとはしません。その会社の勤務を続けるかどうかは、本人の自由意志だけに任されている社会です。社員が誰一人居着かない会社は自滅するしかありません。
 一方、社長との「ウマが合わない」が理由で社員が次々退職する会社でも、時として社長と意気投合する社員が現れるというのであれば、辞職と解雇を繰り返しながらも最終的に「ウマが合う」仲間だけが残れば、生産性は格段に向上するでしょう。
 好きな仲間と仕事ができるまで「何度も転職する、何人も社員を解雇する」が労使双方の日常であっても、「社会とはそういうものだ」と誰もが納得できるのであれば、それが常識となり、特段「人生は苦行」という根性論に固執する理由もありません。

 

 また、賃金に関しても新しい制度を導入すべきと思えます。ベーシックインカム分は、企業が支給する給与から控除してもいいのではないでしょうか。月給が30万円であれば、ベーシックインカム12万円を差し引いた残額18万円を企業の支給分とするということです。
 ベーシックインカムを実現するためには法人税や消費税など大幅な増税が必要となるでしょうから、財力の乏しい中小企業の経営を逼迫します。個人にとっては、生活保障金としてのベーシックインカムですが、法人にとっては販管費の助成制度とし機能させる。控除ではなく、ひと思いに現在の最低賃金を半額に切り下げるなどの荒技も一考かもしれません。
 東京都の最低賃金は現在958円、その半額となれば479円です。労働基準法が定める週40時間のフルタイムで一ヶ月労働した場合の月額最低賃金は約8万円となります。勿論、ベーシックインカムがありますから、個人としての最低月額所得は20万円(8万+12万円)です。個人としては月額20万円の収入、企業としては8万円の月給支給。この最低基準は、労使共に納得できる線ではないでしょうか。

 

 政府による人材派遣業


 以上のように想定すると、ベーシックインカム時代は現在の労働市場の常識はもはや成り立たない社会となることが予見されます。おそらく会社経営者以外の一般人は、政府が胴元となる人材派遣業の登録者のような身分となり、本人が納得すれば派遣先で働く、仕事が自分に不向きと思えば、次の派遣先の紹介を受ける。「派遣」という言葉にマイナスイメージがあり不適切というのであれば、特任公務員といった身分といえるでしょうか。
 特任公務員の基本給は月額12万円。この基本給は無条件に生涯保証です。基本給に加え、実績(赴任先企業での勤労)分が加算される。一芸を極めたいとか研究を大学で続けたいとか、地方に行き農業、林業、漁業に従事するというのであれば、合理的な評価基準に基づく相応の手当を受け取る。同時に従来型の労働市場が激減しているベーシックインカム時代ですから、新しいビジネスを掘り起こすシステムを整備し、ベーシック無職のアイデアを吸い上げ、起業へと誘導する政策を国家が牽引することも必要です。
 特任公務員を受け入れる会社経営者としては、ウマが合う人を自由に選別し、特に重用したい人材を役員とし、企業拡大へと繋ぐ。ベーシックインカムが成熟すると、企業は「固定人材:ウマが合う経営者(社長+役員)」と「流動人材:派遣された特任公務員(社員)」で構成されるなどの形となるかもしれません。

 

べーシックインカムで暮らすとは

 

 ベーシックインカムで暮らすとはこういった社会となるでしょうか。所得税地方税といった個人の税負担や社会保障費の支出については触れませんでしたが、月額12万円の基本給に賦課することは回避すべきと思われます。わずかでも基本給に手をつけると財政悪化となるや容易に増税し、果てはベーシックインカムを破綻させるおそれがあるからです。
 ベーシックインカムを始めるからには、途中で放棄・変化させないとの強固な意志と国家財政を賄う永続的なシステム整備が伴わねばならず、更には日本という国家の国際競争力も維持される仕組みでなければなりません。

 

 ヘソが茶を沸かすような空想と映るでしょうか。しかしベーシックインカムの議論は迫り来る巨大地震に備えることと似ています。見方によっては大地震よりも着実かつ広域に迫る危機であるとも言えます。地震の備えと異なりベーシックインカムは社会の構造を一変させることになります。
 その時、私たちは「どういう社会に暮らすことを望むのか」。誰も見たことも経験したこともない社会です。それを実現するというのであれば、大いに空想を繰り返し、全員で議論し、次なる社会の青写真を準備せねばなりません。

 

(社会部デスク)