時事旬報社

時事問題を合理的な角度から追って行きます

平成天皇の太陽

 来年の5月1日に年号が変わる。言うまでも無く今上天皇の譲位があるからだ。あまりにも不敬なことであるので、話は表にだすべきではないとも考えたが、やはり平成が終わってしまう前に筆者の体験を記録しておこうと思う。

 

25年ほど前の話である。当時私は都内の会社に勤め、事務所は赤阪見附にあった。確か4階か5階かのフロアで、目の前に首都高4号線が通る。丁度目線が道路の高さと一致し、窓からは首都高を往来する車がよく見えた。

 フロアの片隅には室内の喫煙場所がある。首都高との距離はおそらく30メートルぐらいで、ここからは運転手の姿まではっきりと分る。

 

 毎日この部屋でニコチンの補給をしていたのだが、ある日、いつものように一服しようと入室すると首都高の異変に気がついた。日中慢性的に渋滞している首都高が、この日に限って、車が一台も走っていないのだ。

「どこかの国の大統領でも通るのか」。外国要人警護のため交通規制された首都高はこれまでもあった。ほどなくパトカーに先導された黒塗りの高級車が近づいてくる。しかしVIPは外国要人ではなかった。車は両陛下の御料車であったのだ。

 

 大学時代、社会主義が好きであった私は、天皇制については懐疑的であった。出生により異なる身分が存在するということは非合理であり、自発的な民意によって伝統家系を繋ぐというのであればいざ知らず、憲法で殊更、異なる身分を顕示するのは筋違いではないか、それどころか「内閣の助言と承認」なくば、公に内心も「口にできない」などはむしろ人権問題であり、それこそが憲法違反である、と考えていたのだった。

 

 御料車はますます近づき、車中もうかがえる。運転手後席の天皇陛下は、前方を見据え目をそらすことがない。助手席後席の皇后陛下は車窓からの景色を観察されているようだ。

 「この人達が、かの天皇家なのだ」、偶然の遭遇に、憲法抽象論と俗物根性的な好奇心とで混乱し、漫然と通過を見守っていたが、まさに御料車が目の前を通り過ぎる瞬間、私は衝撃を受けた。 

 その瞬間、私と皇后陛下の目と目が合い、皇后様から先に会釈をされたのだった。

 

 直後の記憶が私にはない。気がつくと最敬礼の姿勢のまま、喫煙室で固まっていた。首都高はすでに普通車が走っていたので、瞬間からは15分20分が経過していたのだろう。

 戦後の平和教育を受けた私であったが、先代の倫理は体に染みついていた。しかしこの時、私は心に決めた。「二人が皇室である限り、天皇制のことを悪く言うのはやめよう」。そして悟ったのだった。「美智子妃殿下が平成天皇の太陽なのだ。やさしく、暖かく平成天皇を煌めかす後光であるのだ」と。

 

(編集部主筆