時事旬報社

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ベーシックインカム:日本が天国となる日(6)

業火の火種

 確か天声人語だったと思うのですが、タリバンに爆破されたバーミアンの石窟大仏を痛むコラムが掲載されました。筆者は破壊された大仏を擬人化し、爆破される自らの境遇を描いたのですが、貴重な古代遺産がこのような形で消滅することを嘆きながらも、「慈悲と救いがわが身(大仏)の使命であるにもかかわらず、世界で最も貧しいとされるこの地域(アフガニスタン)で自分は何も出来なかった。せめて、この身を犠牲にすることによって世界の注目を集め、人々の救済を次の世代に繋ぐのだ」、といった内容でした。

 

 タリバンが大仏を爆破したのが2001年3月でした。1991年にソビエトが崩壊、冷戦が終結したことより国際社会は平和と繁栄の時代を迎えるものと期待が高まったのですが、突として、その後の世界はタリバンアルカイダイスラム国と国民国家を構成単位とする伝統的な世界秩序からは想像できない新手の業火を生み、その炎は旧来秩序を壊しながら世界中に飛火しました。

 

 国民主権基本的人権といった普遍原理、あるいは自由選挙、三権分立罪刑法定主義など近代国家に不可欠とされる社会統治システムや価値観が、新しい業火には通用しません。今、市民革命から現代国家へと連なる欧米型国家発展のプロセスとは全く異質の経路に由来する新社会勢力が生まれはじめたといえるかもしれません。

 

 キリスト教勢力とイスラム教勢力との対立、あるいは民主主義と全体主義、資本主義と社会主義との対決など業火反業火の抗争は「イデオロギーの違い」との面があります。しかしイデオロギー云々の前に、この対立が「持てる国」と「持たざる国」という国家や地域的経済格差を背景としていることも明白です。
 極貧が続き、自分も自分の子孫さえも「全く希望は無い」という絶望感が地域を巻き込む業火の火種であることは疑いようもありません。

 

 一方、巨大な経済大国であっても同様の火種がくすぶります。例えば現代中国史の専門家 遠藤誉東京福祉大学国際交流センター長が伝える「チョコレート女子事件」です。
(以下、同センター長がNewsWeekに掲載した記事の一部を転載します)

www.newsweekjapan.jp


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 昨年(2015年)12月28日、甘粛省金昌市永昌県の13歳になる少女が華東超市(華東スーパーマーケット)東街店でチョコレートを万引きした。少女はその日の昼、水しか飲んでいなかった。昼食のために学校から家に戻ってみると、テーブルの上にはわずかな小銭が置いてあるだけだった。華東スーパーがある広場でポップコーンを売っている父親に電話すると、その金で何か買って食べてくれという。少女は家で水だけ飲むと、その小銭で父親のためにうどんを買い、父親に届けた。お前が食べろという父親に「おなか空いてないから、いらない」と言い、その場を離れた。父親は無理やり別の小銭を少女に渡した。

 

 目の前には何でも売っているスーパーマーケットがある。

 少女は思わず店の中に陳列してあるチョコレートに手を伸ばしていた。

 家は貧乏で、チョコレートを買うお金などない。

 スーパーの監視カメラが少女の行動を撮っていた。

 店員に捕まり、客の前で激しい詰問が始まる。

「名前は?」「さっさと名前を言いなさい!」「学校はどこなの?!」「親の名前は?!」「親の電話番号を言いなさい!」

 店主も出てきて、容赦なく罵声を浴びせた。

 周りの客が、「もう、その辺でいいだろ?品物も返したんだし...。学校に戻してあげたら?まだ子供なんだし...」とかばうが、店主は引かない。

 少女は屈辱のあまり何も答えられず、ようやく母親の電話番号を言った。

 

 母親が来ると、店側はチョコレートの10倍はする150元を出せという(1元は約18円)。払わなければ警察に通報し、学校に通知すると脅した。

 しかし母親は10元しか持っていない。

 母親は娘を店で待たせ、ポップコーンを売っている夫のところに飛んでいき事情を話した。二人合わせてかき集めた金額は95元。急いで店に戻り、店主に有り金ぜんぶを渡した。

「だめだ! 足りない! 150元出さなければ警察に通報するぞ!」

 押し問答をしている内に娘の姿が消えていることに気がついた。

 ハッとした時には遅かった。

 

 少女は17階の屋上に行き、飛び降り自殺をしてしまったのである。

 

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/02/post-4449.php

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 この事件を知った民衆は激怒し、一部は暴徒化して当局は数千もの武装警察を投入し鎮圧するほかなかったと記事は伝えています。


 バーミアンにしろチョコレート少女にしろ、共通する問題の根源は「貧困」です。努力すれば報われるというシステムが機能せず、誰もが希望を喪失すれば業火が社会を丸焼けにするでしょう。種を継承するために生命体に進化が起るのだとすれば、市場経済の矛盾が極大化し、多くが生存するのも危ぶまれるという極端な状況に追い込まれれば、生きるために本能が市場経済とそれを成り立たせる社会システムを破壊するように進化したとしてもおかしくありません。

 

 チョコレート少女のようにこの火勢は、市場経済に見捨てられた辺境だけの問題ではありません。経済大国にも大火となりかねない火種が存在します。「努力すれば報われる」がなくなれば国内国外どこからでも焼土が始まります。

 

カネをどうするんだ

  国際的にベーシックインカムの議論が始まっているのも、今の社会システムでは早晩「努力すれば報われる」を維持できなくなるという強い危機感があるからです。マーク・ザッカーバーグイーロン・マスクベーシックインカムを率先して擁護するのも、急激に進むICTやAIの技術革新がいかに旧来型の労働市場を一変させ、無策でいれば、「街中が失業者で溢れかえる」近未来を肌身で感ずるからでしょう。

 

 今後20年以内に人間が行なう仕事の90%が消滅するとの試算もあります。人口の90%が失業者となり、日干しとなって斃死するしかないというのであれば、おそらく「業火」はヒトが生存のための正当な進化といえます。
 セーフティーネットとして失業保険が期待されます。しかし、90%が失業保険で生活する、というのであればベーシックインカムを実施しているのと同じです。勿論、その失業保険も国庫が底をつき支給がストップした段階で業火と化すでしょうから結局は同じです。

 

 「国民である」との資格だけで、誰もが無条件で生活費を支給されるというベーシックインカムは非現実的な話に見えます。20年以内に90%が失業する、も極端な予測かもしれません。「カネをどうするんだ。カネがなければ出来ないだろう」と怪しむのは当然です。


 ですが、事は大地震や巨大津波のように「いつ発生するか分らないが、発生することを前提に対策を準備しておかねばならない段階」に入りつつあると戒めるべきです。異変は落雷のように瞬時に起るのか、小雨がゆっくりと堤防の水かさを押し上げてゆくようにジワジワ進むのかも分りません。どうであれ、産業や労働市場の地脈に誰も経験したことがない波動が観測されることを軽視してはなりません。

 

 技術革新が伝統的な旧来の労働市場を奪うことは珍しくありません。しかしこれまでは、技術革新が新たな労働市場を創出し、失業者を吸収できました。ところが、AIやディープラーニング、IoTといった一連のテクノロジー革命は、いずれも「省労働力化」、つまり人間が行う活動の代行を目的としています。ヒトの活動を代行する(人手をなくす)こと自体が目的の技術革新ですから、「その新技術から新たに(人が行う)労働市場を形成する」は望めません。人が行う活動余地が残る、というのであれば、それは新テクノロジーとして不十分であることを意味し、技術を改善して「余地」も取り除かれてしまうでしょう。

 

 教育や物流といった定性定時的産業は勿論、医師や為替ディーラー、小説家や作曲といった従来人間の高度な知性に拠る他ないとされた仕事すら人工頭脳が代行するのはもはや時間の問題となりつつあります。誰もが経験したことがない産業社会が近づいていることは直視しなければなりません。

 

 もし無策のまま業火が世界を席巻してしまえば、新人類の意識は、資本主義や市場経済を恰も「ヘビの死骸」かのように忌み嫌うはずです。店頭には商品が並ぶのに稼ぐ術がないとなれば、市場経済は「生存」に対して害悪でしかありません。しかし貨幣経済を否定してしまえば、物質文明、更には物質文明から生まれた崇高な精神文化も壊れてしまいます。

 

 

 天声人語は、地域の惨状を訴えるため石窟大仏は一身を犠牲にした、としました。しかしソウとは限らないかもしれません。大仏は貧困がこのまま世界を覆ってしまえば、人類がどうなるかを伝えたかった、のかもしれないのです。


(社会部デスク)