時事旬報社

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韓国の「死に至る病」(1)

(1)消された過去


 軍用機や軍用車両には、各国独自のマーキング(国籍識別マーク)を施します。韓国空軍の国籍マークはアメリカ空軍のマークに類似し、中央に太極旗の赤青陰陽表彰をあしらったデザインとなっています。記者はかつて、このマークは北朝鮮軍の空軍マークであると誤解していました。原因は『慕情』という映画です。

 

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 慕情(Love Is a Many-Splendored thing)といえば、年配者であれば誰でも知っている往年の名画です。アメリカ人の従軍記者エリオットと香港の女医スーインとの悲恋を描いたこの映画は、エリオットの戦死が報道されたにもかかわらず、戦時郵便の遅配で、死後、スーインの元に毎日のようにエリオットからの恋文が「届く」という悲劇的なラストシーンでクライマックスを迎えます。失意のスーインが駆け上った香港市を見渡す丘(ビクトリアピーク)は一躍世界的な名所にもなりました。

 記者がこの映画を観たのは小学生であったと思います。映画の公開は1955年ですから、封切りを観たわけではなく、名画座か、テレビ放映であったはずなのですが、記憶が定かではありません。当時、ラブロマンスには何の関心も無く、専ら朝鮮戦争を舞台とする映画の端々に登場する軍用車両や小銃などを観察するという誠に不純な動機から映画を「見ていた」のでした。
 そこで「誤解」なのですが、エリオットが戦死するシーンです。従軍中突然、戦闘機が来襲し、空爆によってエリオットは斃れます。古い記憶なので少々曖昧ですが、確か戦闘機は、P.51で、機体には韓国空軍マークが描かれていました。
 アメリカ人ジャーナリストが同行する一群を国連軍(韓国軍)が空爆するはずはなく、アノ空軍マークは北朝鮮軍なのだ、とソノ時思い込んだのでした。それが誤解である、と知ったのは随分後のことです。

 この空襲シーンですが、何故か、今日見ることができるフィルムは全てカットされ、記憶を確かめる術がありません。しかし暫くの間、あのマークは北朝鮮軍だと信じていたのですから、問題のシーンはあったのだと思えます。

 そのような些細な誤解はほどなく記憶の奧底に埋もれてしまったのですが、1999年、AP通信がスクープした事件で再び「慕情」を思い出すことになりました。「老斤里(ノグンリ)事件」です。

 

老斤里(ノグンリ)事件


 朝鮮戦争の勃発時、不意を突かれた米韓軍は総崩れとなり大混乱となりました。優勢な北朝鮮軍の大攻勢に防衛ラインを死守できないと悟った一部米国部隊は、地域住民に安全な南部に避難するよう発令します。
 この指示に呼応した永同郡の村民500名が老斤里にある京釜線鉄橋に到達すると、突然米軍機の無差別爆撃が始まりました。人々はなす術もなくなぎ倒されてゆきます。生き残った者は鉄橋下の水路用トンネルに逃げ込んだのですが、米軍はトンネル出口に銃座を据え、執拗に一斉射撃を開始、婦女子を含む殆どが射殺され、死体の間で息を潜めていたわずかな生存者が救出されたのは空襲から3日後、地域を制圧した北朝鮮軍の「米軍は撤退しました。安心して出てきなさい」との呼びかけによるものでした。

 最近の資料に拠れば、似たような惨事は老斤里だけではないとされます。明白な戦争犯罪であり虐殺といってもいい事件です。一件は極秘扱いとなり、事件の負傷者や遺族は、補償はおろか、事実そのものの沈黙を強制されました。

 事が公となったのは、1994年事件の生存者が初めて手記を発表、この手記を元に1999年AP通信が米側資料等を発掘し世界中に報道したことによります。今思えば、エリオットが死んだのは老斤里だったのかもしれません。朝鮮戦争終結の2年後に「慕情」は、封切りとなっています。

 なぜ、このような事件が起きたのでしょうか。日本の敗戦とともに半島の南半分を統治した米軍は、韓国民の扱いに苦慮していました。韓国(朝鮮)は勿論、連合国ではありません。国土は大日本帝国編入されていましたから、独立国として参戦できる主権はなかったのです。
 例え国土が外国軍に占領されていたとしても、フランスのように本国政府のドイツ降伏(1940年)後も正規軍本体がイギリスに脱出、国内のレジスタンスと一体となり反抗を続けたというのであれば、戦勝国としての資格があったかもしれません。しかし韓国の抗日パルチザンには統一的主体はなく、それどころか連合国から見れば、1944年以降、徴兵制によって編成された韓国軍(朝鮮軍)は日本軍と共に英米と戦っているのですから、連合国の心証としては「敵(枢軸国)」に近いものがあったでしょう。

 韓半島南部を統治した米軍は、当初、朝鮮総督府の行政機構を活用して軍政を敷いたことからも、連合国は韓国を一旦は敗戦国と見做した、ともいえます。米軍としては韓国民は敵か味方を図りかねていました。

 朝鮮戦争が始まる数年前より済州島事件(4.3事件)のように李承晩政権に対する民衆蜂起が各地で発生していましたから、避難民とはいえ、戦局が不利な状況で敵性勢力が米軍本隊後方に進出するのは驚異です。
 1950年7月27日ウィイリアム・キーン現地軍師団長は、「戦闘地域を移動する全ての民間人を敵とみなし、発砲せよ」と各部隊に命令しました。この命令により老斤里他の惨劇が起こったのです。

 

 徴用工判決


 先月29日、韓国最高裁新日鉄住金に続き三菱重工にも元徴用工の賠償を命じました。すでに同様の訴訟は14件あり、被告となっている企業は80社に及びます。韓国政府機関は299の戦犯企業が現存する、とします。ここに至っては、最高裁としてはその全て、一切合切に賠償を乱発する他ないでしょう。

 しかし、韓国現代史の戦慄すべき悲劇は、むしろ日帝の植民地時代以降に発生しています。韓国市民としては怒髪天を衝く話でしょうが、客観的に現代韓国史を追えば、植民地解放後、韓半島流入したソ連軍による略奪や破壊、軍事政権(韓国政府)や北朝鮮軍、あるいは中国人民解放軍や米軍による人命や財産の損失は、植民地時代とは比べものになりません。

 その間、無数の戦争犯罪がありました。徴用工や慰安婦問題について、協定や合意による外交決着を反故にしてまで、徹底した糾弾を続ける韓国市民の意識は、日帝問題を片付け、引き続き日本以外の賠償請求へと突き進むのでしょうか。それとも市民意識は、「日本」のみを特別視し、それ以外の「問題」は無関心であり、忘却すらできるのでしょうか。
 もしそうだとすると、日韓関係の問題の本質はソコです。「なぜソウなのか」が掴めない限り、問題が不可逆的、最終的に片付くことはないでしょう。

(ソウル通信)

 

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