時事旬報社

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かが(加賀)とワスプ(Wasp)

 昨日、トランプ大統領国賓としての来日日程を終了し帰国した。最終日のハイライトとして大統領は安倍首相と共に航空母艦改装が決まっている海上自衛隊護衛艦「かが」に乗艦、日米の結束をPRした。

 その後両首脳は米海軍強襲揚陸艦「ワスプ」に移動、訓示を行なった。ワスプは正式空母ではないが、ヘリコプターや垂直離着陸機の運用を前提とする航空艦船である。

 二人が航空甲板に揃って立つのは勿論、緊張が高まるアジア状勢へのメッセージを意図する。しかしそれとは関係なく、かが(加賀)とワスプ(Wasp)という軍艦名に数奇な天運を感じた向きもあっただろう。両艦はいずれも太平洋戦争を戦った宿敵であったからだ。

 

 加賀はいうまでもなく帝国海軍の主力空母であり、赤城、蒼龍、飛龍、瑞鶴、翔鶴とともに連合艦隊海上航空戦力を担った。真珠湾攻撃もこの六隻から発艦した350機により決行されたが、真珠湾からわずか半年、ミッドウェー海戦において加賀は米空母艦載機により撃沈された。

 

 ワスプ(Wasp)はワシントン条約で割り当てられた保有空母排水量の残り枠で建造された軽空母で、日本軍のガダルカナル侵攻に応戦するため投入されたが、戦域に展開する間もなく日本海軍潜水艦(イ-19)の雷撃を受け沈没した。ミッドウェー海戦より三か月後のことである。

 

 77年前、敵の攻撃によって二隻は沈んだ。その過去を知ってか、知らぬか、今、両国首脳が同名後継艦の甲板に立ち並ぶ。

 

 話は外れるが、軍艦の数奇な運命として思い出すのが「長門の最後」である。長門は帝国海軍の旗艦であった。開戦当初、大和、武蔵は海軍の最高機密であり、その存在を知るものは一部に限定された。長いこと海軍のシンボル戦艦として国民に人気であったのは、長門陸奥であった。陸奥は戦争中、謎の爆発事件が起こり沈没したが、長門終戦まで生きながらえ、戦後アメリカに接収された。

 

 敗戦から一年、長門は米軍によってビキニ環礁に回航された。原爆実験の標的艦となったのである。いかなる天運か、長門の隣には戦艦プリンツオイゲンが、そしてその隣には戦艦ネバダが並んだ。彼らもまた標的艦なのである。

 

 海戦ではあまり武勇伝を聞かぬナチス・ドイツ海軍であるが、唯一戦艦ビスマルクと僚艦プリンツオイゲンが、勇名を馳せた。ビスマルクはイギリス艦隊に撃沈されたが、僚艦は可動艦として終戦を迎え、長門と同じ運命をたどった。

 

 ネバダは、アメリカ海軍の主力戦艦であり、真珠湾奇襲時、日本軍の最優先攻撃目標であった。激しい空襲で大破したが、懸命の復旧作業で一年後、アッツ島攻略支援として戦線に復帰、その後ヨーロッパ戦線に転用され、ノルマンディ上陸作戦に参加した。

 

 1946年7月、時代遅れとなったかつての主力戦艦3隻は、原爆の水上艦破壊力を検証する実験に供され、今でもビキニの海底に眠る。

 軍艦を擬人化できるのであれば、あと寸刻で頭上から巨大な火の玉が落ち、自らの命脈が潰えようとするその時、三人は何と声を掛け合ったであろうか。

 

 現役の「かが」と「ワスプ」。この二人が、天寿を全うする前に絶命の辞句をこぼす日が到来しないことを祈るばかりである。

 

時事短観(2)