時事旬報社

時事問題を合理的な角度から追って行きます

刑法と浪花節:法律の話(2)

非日常「文章」

 前回の民法に続いて、今回は刑法についてチョッと触れておきたいと思います。本題に入る前に下の文書を見てください。これはある刑事事件について、最高裁判所が下した判決文の一部です。文章を読む必要はありませんが、「原判決の確定した、、、」から始まる冒頭から文末の「主文のとおり判決する」で結ばれるこの文章の中で、読点つまり「。」がいくつあるでしょうか。

----------------------------------------------------------------

f:id:jiji_zyunpo:20181029183119p:plain

----------------------------------------------------------------

 

 答えは一つです。つまりこの文章は一文だということです。文字を数えると533字あります。原稿用紙1.5枚分がワン・センテンスです。このように長い文章は他ではみたことがありません。とても読みにくい文章です。

 

 そもそも日本語は英語と異なり術語(~である。~ではない。)が文末に来るという特質があり、最後の最後で前段主語の結論が正反対となるため長文には不向きな言語といわれています。肯定しているのか否定しているのか分らないまま、原稿用紙一枚以上の前段を読み進まねばならないのはストレスですし、そもそも前段の修飾が余りに多いと、どれが本当の主語か分らなくなる危険もあります。


 このように長い文書は決して気楽に読みたいとは思いません。ですが刑法に限らず、民法においても裁判所の「判決文」は概ね「長い文章」が職人的なスタイルとなっています。偏屈な私などは、職人法律家が門外漢に簡単に理解できないよう「ワザと長くしているのではないか」と疑いたくなるような非日常文章です。


 ソノ真偽はともかく、明治に制定された特殊な法律の専門用語と読みづらい長文が、法律の世界と素人を隔絶する一因となっているとは言えそうです。実社会と密接に関係する民法でも疎遠ですが、更に刑法となればなおさら日常生活とは無縁な存在です。

 


 刑法とは刑事事件が発生した時に適用される法典ですから、そもそも自発的に近づく筋合いではありません。刑法の条文適用を判定する裁判も一件の怨恨や報復を国家権力が代行する他人事ですから、自分に関係の無い判決文など何の興味もありません。それでなくとも分かりにくく、読みにくい判決文ですから、何の関心もないのも当然です。

 同様に六法全書にまとめられている法律の条文も、法律の専門家以外は、よほどの物好きでなければ、積極的に読みたい書物では、ないハズです。電話帳を読むのと同じような、無味乾燥な情報の羅列で、味もそっけも無い、面白みのない文章です。

 消えた刑法200条

 さて、その六法全書ですが、刑法典の第200条を調べると、「削除」となっています。この刑法200条が削除されたのには、チョッとした物語がありました。

 もともとココには、

 

 尊属殺人「自己又は配偶者の直系尊属を殺したる者は死刑又は無期懲役に処す」
 

 と、定められていました。


 直系尊属というのは、直系卑属に対する法律用語で、自分の両親や両親の両親、つまりおじいさん、おばあさんのことです。
 直系卑属とは、自分の子供、孫、といったヒト達のこととなります。
 尊属つまり「尊敬するべきヒト達」、卑属つまり「卑しいヒト達」、という言葉から分かるように、この専門用語は、「親や先祖を敬うのがヒトの道」と教える儒教に影響された日本の伝統的価値観が法律に反映された用語です。


 日本の刑法が制定されたのは明治40年、今から111年前になるのですが、儒教的な当事の日本の価値観が各所にしみこんでいます。

 儒教精神に基づき、同じ殺人でも、親を殺害した場合は、特別に重い刑罰を課す規定が刑法200条「尊属殺人」として定められていました。条文通りに解釈すれば、「親を殺した場合は、死刑か無期懲役」しかありえないのです。

 ところが、この尊属殺人という儒教的社会規律の根幹を揺るがす、いたましい事件が起こりました。昭和43年のことです。

 この年、29歳になる一人の女性が実の父親を殺害した、と自首してきました。女性は逮捕され、尊属殺人の罪で、殺害の動機、背景が調べられました。すると、驚くべき事実が明らかとなったのです。

 女性は、14歳の時から父親に性的虐待を継続的に受け、近親相姦を強制され続けた結果、親子の間であるにも関らず、5人の子供を生み、他に6人を妊娠中絶していました。生まれた5人の子供の内、2人は幼い内に死んでしまいました。

 女性は、仕事をしており、外出も自由でしたが、もし自分がその場から逃げ出すと、同居している妹に悲劇が及ぶことを恐れ、家を出ることもできませんでした。
 ところが、女性が29歳となったとき、職場で運命を大きく変える出来事が訪れました。女性は、「結婚したい」という男性に出会ったのです。相思相愛でした。

 女性は、父親に自分の結婚を懇願しました。話を聞いた父親は激怒し、その日から女性を家に監禁、ことさら女性を弄んだのです。そして、監禁されてから10日目、ついに女性は思い余って、この獣のような父親を絞め殺してしまったのです。

 女性の弁護士は勿論、裁判官も検察さえも、女性に同情しました。なんとかできないか。しかし、刑法200条が定める法定刑は、死刑か無期懲役しかありません。

 裁判は、地裁、高裁、最高裁と審級し、昭和48年4月4日、事件から5年目にして最高裁判所の判決が下りました。この時、裁判所は、裁判史上に残る画期的な判決を女性に言い渡しました。

 「法律が間違っている。」
 これが最高裁が下した判断だったのです。

 尊属殺人が日本の精神風土を体現するものであっても、その量刑が「死刑か無期懲役」しか存在しないことは、立法目的を達成するために許容される量刑の限度をはるかに逸脱しており、普通殺人を規定する刑法199条の法定刑に較べて、著しく不合理な差別的扱いをするものだ、として、「法の下の平等」を定める憲法14条に違反、つまり憲法違反であるから無効である、と最高裁は、女性ではなく刑法200条を処断したのです。

 この判決は、日本国憲法、つまり新憲法が制定されてから、最高裁判所が初めて発動した違憲立法審査権の行使でした。違憲立法審査権などというとどうも堅苦しいのですが、その実は、浪花節であり、誠に人間くさいドラマです。

 結局のところ、裁判所は、女性に懲役2年6ヶ月、執行猶予3年を言い渡し、女性が服役することはありませんでした。

 三権分立により、法律の制定、改廃は、国会の権能ですので、最高裁違憲が出ても、刑法200条はすぐには削除されず、最終的に200条が削除されたのは、判決から22年後、平成7年になってからでしたが、最高裁違憲判決が出てからというもの、もはや検察は200条を適用しなくなりました。

 刑法200条に書かれている「削除」の二文字には、このような物語があったのです。

 上記のワン・センテンスがとても長い判決文ですが、実は、この尊属殺人の時の判決文の一部です。そう思うと、チョッと判決文を読みたくなりませんか(「尊属殺人」、「違憲判決」、「判決文」などのキーワードで検索すれば、インターネットで簡単に探すことができます)。

 味気ない、無機質な条文の塊である法典や判決文も、ひとつひとつの大半が、刑法200条と同様に、人類の長い歴史が積み重ねてきた、無数の人間ドラマ、悲劇、涙、時には流血により書き加えられてきたものです。

 そう思うと、六法全書にも少し親近感がわいてくるかもしれません。

(社会部デスク)