時事旬報社

時事問題を合理的な角度から追って行きます

「拉致問題」と「戦後賠償(補償)問題」(1)

 半年程前であれば、誰も予測できなかった北朝鮮問題の急変には唖然となるばかりである。評価が分かれる今次の米朝首脳初会談であるが、総じてアメリカよりも北朝鮮の方が得るものが多かったとする論評が多い。米朝で密約でもなければ外見上はソノように見える。


 しかし世界的にこれだけ関心を集めたのだから、非核化をとりあえず容認した北朝鮮が「何もやらなければ」今度は、旧を倍にして国際的な非難が集中するであろうし、トランプ大統領が「コケにされた」と確信すれば、金正恩委員長の宿願「国体護持」は途端に建国以来の危機を迎えるとのプレッシャーもあるだろうから、トランプ流「褒め殺し」にもそれなりの効果はある。


 となれば、日本最大の北朝鮮問題である日本人拉致問題が進展するかに期待が高まる。しかし会談を終えた現在、肩すかしをくらったかのような空虚感が漂う。

 

 外電によれば、大統領から委員長に日本人拉致問題の提起があったことは間違いないようである。しかし両者がどれほどの問題意識を「持っていた」あるいは「持ったか」は分らない。会談前の期待値が高かっただけに目立った進展がないことをあげつらい、一部報道機関からは「そもそも日朝二国間の問題であるにも係わらず、何故人任せにした」というような政府の無策非難なども噴出する。


 拉致に関しては「空振り」の米朝会談を機に、急遽、日朝会談実現に慌てふためく様を揶揄する論調なども見られるが、会談前後から部分的にこぼれ落ちる周辺事実を広い集めると、「どうもソウではない」と思えるフシがある。

 

 ソノ周辺事実とは、トランプ大統領の以下の一言である。


(1)「核・ミサイル問題解決後の北朝鮮経済支援は、韓国・中国・日本がやるだろう。アメリカはしない」
(2)「日本に経済協力をしてもらいたいなら、拉致問題にしっかり取り組むように」(米朝会談で金正恩に伝えたとされる)


 また安倍首相の一言も深意がありそうである。


(3)「(拉致)問題についての私の考えについては、トランプ大統領から金正恩委員長に明確に伝えていだだいた」

 

 いずれも米朝会談後の一言であるが、唐突な不思議な言い回しである。
 そもそも(1)であるが、「カネは中国や韓国が払う」などと宣言され、おいそれと中国や韓国が「了解しました」とへつらう筋合いではない。勿論、将来ソウなるかもしれないが、あくまで中国、韓国の自発的判断によるもので、いわば「余計なお世話」の類いといえ問題をこじらせるだけである。

 にもかかわらずこの一言をこぼしたということは、経済支援の金策については、根拠となるなにがしかの腹案があったのかもしれない。


 その腹案とは日本からの拠出を念頭にしているのではないかを匂わせるのが(2)である。そして(3)の安倍首相の「私の考え」発言である。「私の考え」とは何か。「考え」が「拉致被害者を帰国させてほしい」というだけであれば、あえて「私の考え」と、ことさら述べる必要はない。単に「拉致問題については、トランプ大統領から金正恩委員長に明確に伝えていただいた」で済む。


 だとすれば、「私の考え」とは、「拉致問題解決に対する『私の考え』」と解するべきで、返還に関する具体的な腹案があったと考えることができる。その腹案がトランプ大統領の腹案と一致しているのであれば、(1)(2)(3)は一線に揃う。


 つまり腹案とは、「核・ミサイル問題と並行して、拉致問題が解決すれば、経済復興の資金支援は日本が率先して行なう」、その場合の経済支援とは「植民地支配の戦後補償として実施される」と読める。事によると具体的な「補償額(数字)」もすでに伝えたのかもしれない。

 

 北朝鮮にとって日本の戦後補償(賠償金)ほど巨額かつ大義が立つ資金はない。米中韓からの経済支援は、衰弱した北朝鮮を援助する浄財のようなもので、慈悲であり施しである。給付までには何度も頭を下げ、支払に条件を付され、使い方にも制約を受けるかも知れない。

 しかし賠償金は、言ってみれば北朝鮮が日本に持つ債権(貸付金)のようなもので、借金を返済するのは当然であり、返してもらった金を何に使おうが債務者が口出しできるものではない。

 

 「ついに日本が植民地支配の歴史的大罪を認め、巨額賠償の支払を承諾した」。これほど北朝鮮を昂揚させる魅力的な大義(スローガン)はない。その額は、日韓基本条約を算定基準とすれば、兆の単位に達するのは確実で、5兆円との試算もある。北朝鮮にとって米中韓の経済支援と日本からもぎ取る戦後補償とでは次元が異なるのである。

 

 金正恩委員長は今年の年頭挨拶で、「私を固く信じ、一心同体となって熱烈に支持してくれる、この世で一番素晴らしいわが人民を、どうすれば神聖に、より高く戴くことができるかという心配で心が重くなります。いつも気持ちだけで、能力が追いつかないもどかしさと自責の念に駆られながら昨年を送りましたが、今年は一層奮発して全身全霊を打ち込み、人民のためにより多くの仕事をするつもりです」と語った。
 経済が停滞し、慢性的空腹を抱える人民を憂い涙をこぼす映像が流れたとの報道もあった。

 

 曲がりなりにも「国家存亡の要とし、あらゆる犠牲を払ってでも開発を優先させた核戦力を放棄する」と公言したからには、人民をして「払った犠牲」を償う代償が即座に実感できねば、独裁政権といえども安泰ではあるまい。

 

 核保有国とのタガを外すのであるから国家団結の新しい吸引力が必要である。そのためには、抗日戦争に勝利し独立国家「北朝鮮」を建国した金日成国家元首の三代目が「戦後補償を勝ち取った」は、現体制を将来に渡り維持強化する最も理想的で「美しい」ドラマといえる。しかも兆の補償金があれば、当座人民を「腹一杯」にすることもできる。そのためにも、北朝鮮の胸中は、日本の戦後賠償確保は何ものにも代えがたい価値があると考えているに違いない。

 


 もし安倍政権がソコまで計算して米朝会談において「私の考え」を伝え、急遽、日朝会談の開催へと歩を進めたのであれば、かなりの高等戦術といえる。突然、開催が決まった米朝会談は日本としても予測できなかったであろうから、「決まった」段階から、日本のディールをトランプ大統領に仕込んだことになる。


 今回の米朝会談は、北朝鮮だけが得、アメリカは特段具体的な成果がないように見えるが、大成功を繰り返すトランプ大統領の有頂天の背後に「巨額の賠償金に北朝鮮が飛びつかないはずがない」との自信が隠れていると考えれば合点がいく。「アメリカはカネを出さないが、周辺国が出す」の一言にも繋がる。

 

 とはいえ、日本としては割り切れないものが淀む。拉致問題は国家犯罪なのであって、日本から北朝鮮に賠償を求めたい筋合いである。国家犯罪を放免するだけではなく、巨額賠償まで同意し、「勝った、勝った」と北朝鮮を小躍りさせる事態など、おいそれと承服できるものではない。
 しかしもはや一刻の猶予もない拉致問題を動かす方策として、政府が仮にこのような戦略をとったとしても国民は支持するように思ええる。

 

 勿論、拉致問題と核・ミサイル問題は一体であって、どちらが停滞しても戦後賠償はない。「巨額賠償、勝った勝った」と叫ぶには、正真正銘の決断と誠実な履行なくしてはあり得ないことは北朝鮮も十分理解しているだろう。
 「完全かつ検証可能で不可逆的」は、拉致問題にも当てはまり、例えアメリカが北朝鮮のサラミ戦術に押し切られ、見返りの小出しを始めたとしても、日本が拉致問題について毅然を押し通すのであれば、北朝鮮として理想的で完全な「勝った、勝った」が訪れることはない。

 

(付記)
 補償と賠償は、意味が異なる。日韓基本条約締結時、韓国は植民地支配の「賠償」を日本に求めたが、日本政府は「韓国と交戦状態にあったことはなく、戦争賠償金としての賠償を支払う立場にはない」として要求を拒絶、日韓基本条約上の補償金を「経済協力金」の名目で支出した。


 北朝鮮との戦後補償交渉にも同様の議論がありうるが、拉致問題、核・ミサイル問題解決の方策として戦後補償を進めるのであれば、表現がどうであるかはあまり意味がない。重要なのは取引が成立するか、である。


 なお、1965年の日韓基本条約には、北朝鮮分の補償金も含まれるとの議論もある。条約は経済協力金の支出だけではなく植民地時代に日本が半島に投資した公的財産、個人財産の全てを放棄するとともに韓国は対日請求権を放棄することを定めた。


 もし、日韓基本条約北朝鮮が含まれないとすると北朝鮮に残した財産については、「財産権を放棄していない」と解釈する余地が生まれる。逆に北朝鮮も含まれるのでれば、戦後補償を支出する義務は韓国にあることになる。

 

 ただし、2002年訪朝した小泉純一郎首相と金正日国防委員長(いずれも当時)が合意した日朝ピョンヤン宣言では「不幸な過去を清算し、多額の経済支援を行なう」ことを織り込み、実質的に国交正常化のため戦後補償実施を約したものと解釈されている。

 

(国際部 半島情勢デスク)