時事旬報社

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「進化」という摩訶不思議な動力(1)

滅亡回避への道


 前回の社説に少し関係する話である。LGBTは、人間という「種」を存続継承する遺伝子に組み込まれた「進化の動力」からすれば、すこぶる真っ当な現象であり、何かしらの外因により男女いずれかの性が死滅するような非常事態が発生した時、同性婚による子孫継承へとシフトする安全装置なのだ、とした。

 

 安全装置が機能するとき、突然異変という進化がおこる。地球が誕生したのは約46億年前、最初に「生命」が生まれたのが約38億年前とされる。生まれたばかりの原始的な生命は、海の中で合成されたアミノ酸、塩基、糖などの有機物であった。その生命がやがて単細胞を生み、更には多細胞、無性生殖から有性生殖へと進化を続ける。

 

 言うまでもなく人間も進化の産物である。「進化を起こす」という動力は、生命体の誕生とともに始動し、おそらくは現在でも機能している。なぜ生命体の誕生とともにそのような動力が備わったのかは形而上学的な話で、人間の英知を動員しても解明できるものではないだろう。しかし「何故進化がおこるのか」については、進化は「生存競争を有利とする」、「環境変化に呼応し、適者生存力を増大する」方向に進むことから、生命体や種の存続を維持する、つまり滅亡を回避するために起動する、としてもいいだろう。

 

 アミノ酸のような原始的な生命体に意識や意志があるとは考えにくい。にもかかわらず有機物を出発点として生物は進化を進めてゆくのであるから、進化の動力(スイッチ)は、本来、生物が持つ意識や意志とは無関係に「動く」ことは間違いない。しかもそれが動くベクトルは、環境に適用し、生存競争を有利とするため「強く」、「早く」という合理的方向へ「動く」のである。


 一方、特定の種や個体の意識・意志と関連すると思われる進化もある。進化を同種進化新種進化に分けて考えれば、同種進化の中には明確に個体の意識が関係していると思われる進化がある。同種進化とは特定の種の一部形体を変化させる進化であり、異種進化とは在来種とは異なる新種の生物を産む進化である。生命体は進化動力のスイッチを二つもっている、といえる。

 

 進化本来の任務を考えれば、地球上に「特定の種を存続させる」ことよりも種の種別は問わずともかく「何かしらの生命体が存続する」ほうが優先であると考えられるから、進化の本流は新種進化、亜流が同種進化の関係となるだろう。

 

同種進化と競争原理

 

 海から陸へと生物が進出した時、海中の三次元(立体)生活から、陸上の二次元(平面)生活となった。原始的な四つ足爬虫類が、雲を眺めながら、「空を飛べたら」いかほど生活が楽か、と考える。進化はやがて始祖鳥を誕生させる。始祖鳥の誕生は新種進化となる。このような場合は、新種進化でも在来種の意識が関係する進化である。

 

 地域によって人の目や皮膚の色が異なるのは、地域環境に適合させた進化の結果であり、人間という特定の種の範囲内で起る同種進化である。この場合は、「肌を黒くしたい」などと意識したとは考えにくく、意識とは無関係な同種進化が起ったものと考えられる。
 太陽光の強い地域で皮膚の色が黒くなるのは、皮膚癌から体を保護するためとされる。天然色素メラニンは太陽の直射日光から皮膚を保護する機能があるが、メラニンが多いほど肌は黒くなる。人類がそのカラクリを知るのはごく最近であるが、進化は人間の知識や意志とは無関係に一定の科学的合理性の元に動く。

 

 新種進化、同種進化共に在来種の意識に関係する、しない、形態がありうるが、有性生物以降は同種進化の中に特徴的な意識進化が見られる。その多くは、進化の原則としては一見不合理と思える進化である。

 

 雄のヘラジカは最大2メーターにも達する巨大な角を持つが、このように不必要に大きな角は生活には不便でしかない。なぜ生活の障害となる進化が起るのかについて、専門家は角が大きければ、大きいほど雌にモテるからだとする。雌と子孫を残す機会を増やすため進化が起るのであるから、一見不合理な進化も種の存続継承と関係する。このような進化は、メラニン進化と異なり、「角を大きくしたい」という個体の意志が関係している。

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 人間の体毛もその類例である。人間ほど体毛が少ない動物はいない。体の殆どは、直接皮膚が露出している。人間がサルから進化したのであれば、サル並に体毛が体を包んでいてもおかしくはない。防寒や外傷を避けるには厚い体毛のほうが有利である。にもかかわらず人類がツルツル皮膚となったのは、雌雄共に「体毛が少ない異性に魅力を感じたから」が有力説となっている。
 体毛がなければ冬は凍える。寒いので動物の毛皮を身にまとう。すこぶる不効率であるが、効率を犠牲にしても、進化は「異性の関心」を優先する。それほど有性生物にとって「異性の関心」は進化の強い動機となる。

 

 「異性の関心」進化は、種全体の欲求というよりは、特定の個体(個人)の心理が動力となる進化である。同族の中にあって他よりも強くなりたい、誰よりも美しい容姿になりたい、という願望から起る形体や資質変化である。したがって同種進化の中でも個体の心理(願望)が関係する進化は、同族競争と繋がる。競争心が遺伝子の奧底に格納された進化スイッチを押すのである。「異性の関心」進化が同族競争を起こすということは、「偉くなりたい」、「金持ちになりたい」などあまたある人間社会の競争心は、結局のところ「男女関係で優越したい」という本源的競争心=同族競争の最終目的から派生する欲と整理できる。

 


 更に進化の形態を眺めると、一定のルールに気づく。それは在来種が既に獲得している個体形状の「部分変化として進化は進む」ということである。四つ足陸上生物から始祖鳥が進化したとき、両手が翼に変化した。鳥は翼を得るために両腕を失った。機能性だけを追求するのであれば、両腕はそのまま残し、背中から新たに翼が生える方が便利であるが、そうはならない。何かしらの既存機能を失う代償として進化は新機能を与える。もし両手を持つ鳥が必要であれば、動物の手足が4本と確定する以前まで遡り進化をスタートさせねばならない。

 

 

 どんな創造主が生命に進化のメカニズムを組み込んだのかは分らないが、進化という現象を論理的に追えば、地球に何かしらの生命が存続継承することを天命とし、生存に有利となる変異を繰り返しながら生命を繋ぐことを本流としながら、その亜流として特に有性生物出現後は同族競争による適者生存動力を付加、特定種単位の絶滅回避のリスクを減ずるよう機能させたようにみえる。

 

オマエはサルだ


 さて、生物進化の最高位に位置する人間であるが、進化の宿命からすれば「同族競争」本能が回避できないと想定される。ことさら進化云々を云わずとも、「そもそも動物社会は弱肉強食であるのだから、当然人間社会も生存競争が本質である」との主張もまかり通る。動植物を支配するだけではなく、人間同士でも適者のみが生存するのが人間社会の本質だ、との見方である。
 しかし「オマエはサルだ」といえば、最大の侮辱となる。人は単なる動物とは違う崇高な存在でありたい、と誰もが思う。ならば、人類は進化と競争の宿命を超越する存在となりうるであろうか。
 「人間はサルではない」と反論するのは容易いが、「何を根拠にそう言えるのか」をどう説明すればいいのであろうか。この点につき、人間のみが進化という生命体の摂理に抗う術を手に入れた事実が反論の足がかりとなる。人類が育てた科学技術のことである。

 

 競争が種の存続継承を求める進化から要請されているのであれば、人類が科学技術の応用で「死滅回避」を担保すれば、「自然界の」あるいは「超自然界の」摂理に捕らわれる必要は無い。
 人間が自然の猛威を完全にコントロールすることは今少し先であろうが、繰り返された凶作による大飢饉の歴史は、農業技術と物流の発展によりすでに対策が進む。医学や生命工学の進歩がやがて不滅の生命を実現するかもしれない。
 環境変化や外敵が種滅亡の主因であるが、進化や競争に拠らずして人類は種としての存続継承を自力で遂げる可能性がある。それが実現できるのであれば、人間は進化を超越する生物として特別な存在といってもいい。

 

 注意したいのは、科学技術があるから人間は自然界を支配するという単純な話ではない、ということである。競争が本質のサルが科学技術を持てば、大量破壊により種は滅亡の危機に瀕する。人間の意識の奧底に潜むサル的野生が増殖すれば、科学技術は人類滅亡の刃となる。

 

 生命の誕生とともに天命は、種の存続継承を定めとした。定めを実現する具体的装置として進化や競争を生命体に宿した。しかしいかなる天恵であるか、人間のみが自然摂理の拘束から逃れる自由を付与された。


 幾分宗教哲学的な領域となるが、もし自由の付与をも天運のシナリオだとすれば、科学技術という天恵は、天命に沿うよう行使せねばならない。万一用途を間違え、人間の科学技術が地球の生命体の脅威へと進むのであれば、脅威を除去するため、天命を全うするため、人間の知識や意識とは無関係に新種進化スイッチが起動しないとも限らない。

 

(編集部主筆