時事旬報社

時事問題を合理的な角度から追って行きます

「拉致問題」と「戦後賠償(補償)問題」(2)

拉致問題と戦後賠償問題を天秤に

 米朝首脳会談から三週間ほどが経過した。当初拍子抜けと思われた会談であったが、ポツリぽつりと会談の内情を伝える周辺情報が漏れ出てくる。憶測なのか、根拠有る情報源であるのか、玉石混交ニュースが乱れる中にあって目を引くのが「会談で完全非核化に要する費用500億ドル(5兆5000億円)を日本が拠出する約束をしていた」との一報である。日本も加わる密約があった、というのだ。

 先月25日(月)、菅官房長官は「報道にあったような事実は全くない」とすぐさま否定したが、この一報のニュースソースがよく分らない。公表されている記事を見る限り、この報道を自社スクープと明言しているのは世界日報だけであるように思える。
 http://www.worldtimes.co.jp/world/korea/87688.html(2018/6/25版)

 記事の中には「日本政府関係筋が24日、本紙に明らかにした」とあり、当社の独自取材によりスクープを得たとする。ソウだとすると、この報道の当日に政府は「事実は全くない」と否定したことになる。

 

 事の真偽は分らない。通訳のみの二者会談の内容は勿論、合同会合の協議結果についても公式発表には具体的事項が乏しい米朝会談であるから、このようなスクープはよほど高度な情報源がない限り入手できないはずだ。にもかかわらず、連なる大手通信社・新聞社を出し抜き中堅新聞社がこれほどの特ダネをすっぱ抜くことなど出来るのだろうか、との疑問は残る。


 しかし、この一報で「やはり、、、」と感じた向きもあろう。膠着した拉致問題を進展させる絶好の局面である。日本としては、戦後補償とピョンヤン宣言の合わせ技「経済支援」は、北朝鮮に対する唯一のカードといえる。「今、カードを切らずして、いつ切るのだ」と官邸が考えたとしても不思議では無い。


 
 外形的には「北朝鮮が得たもののほうが多い」とされる米朝会談に、トランプ大統領が大成功大成功と有頂天になるのも、安倍首相が「私の考えを伝えて頂いた」と繰り返すのも、このカードと符号する。
 何事もビジネス(利益)が思考秩序であるトランプ大統領にとっては、腹ぺこ北朝鮮が巨額戦後賠償に飛びつくことは疑う余地も無く、釣り竿にぶら下げた「日本の戦後補償」に北朝鮮が食いついてくれば、後は釣り上げるだけで、えさ代タダにして釣果を料理できると踏んだであろうし、日本としてはアメリカの釣り棹捌きに乗じて、拉致問題を盛り付けてゆけばいいと計算できる。戦後賠償は日米共有のカードなのだ。

 

 しかし日米の思惑通りには急展開しない。前号で触れたように戦後賠償ほど北朝鮮にとって大義が立つ資金はない。米韓中露いずこが経済支援を行なっても、それは支援なのであって困窮する北朝鮮への見舞金である。しかし賠償は違う。国土と人民に非道の限りを尽くした日帝日本帝国主義)が奪った財産への返還請求権であり、いわば日本への貸付金のようなものである。これをもぎ取れば、金正恩「73年目にして日帝に勝利し、同時に65年にして朝鮮戦争を完全終結させた希代の指導者となり、その権威は建国者金日成を凌ぐ神話となってもおかしくはない。
 つまり日本の戦後補償は、日米だけではなく北朝鮮にとっても核放棄交渉の行方を左右する重要な駆け引きなのであり、是が非でも北朝鮮の思惑通りに吐き出させねばならない体制維持の要でもある。

 

中間選挙を読む北朝鮮

 米朝会談後即座に進むと思われた核放棄プロセスは、北朝鮮牛歩戦術に再び膠着しているように見える。トランプをコケにすれば、何が起こるかは充分理解しているであろうが、北朝鮮としては年末に向けてのアメリカ議会制民主主義がトランプの弱点であり、そこを見透かしての計算があろう。


 11月6日の議会選挙では435の下院全議席が改選される。丁度大統領任期の半ばに行われるので「中間選挙」と呼ばれる。議員選挙であるが実質上、大統領への信任投票となる。下院は日本の衆議院にあたり、国政に関し上院に優越する。現在、下院はトランプ政権を支える共和党過半数を超えるが、万一、中間選挙に破れ野党に転落すると政権には一大事となる。大統領弾劾決議を民主党が発議し可決できてしまうからだ。
 ロシアゲート事件など弾劾決議の下地はすでにある。可決されれば一期満了を待たずして大統領は失職することになる。トランプ政権にとって今後半年の最優先事項は「中間選挙を乗り切る」に違いない。

 

 米朝会談開催を急いだのも、大使館をエルサレムに移転したのも、イラン核合意を反故にしたのも、中国やヨーロッパと関税紛争を起こすのも中間選挙と無縁ではあるまい。いずれもブーメラン効果により政権にとって失点となるリスクを抱えるが、半年間は、アメリカン・ファーストを標榜する政権の加点として維持されねばならない。
 そのためには米朝会談は大成功大成功を繰り返すだけで、当座具体的な成果はなくてもよいが、あからさまに失敗が明白となる北朝鮮の暴挙が発生すれば途端に苦境に至る。北朝鮮もその点は熟知しているであろうから、このゴールデンタイムにおいて米朝会談という大勝負で決定的な一本勝ちを取ろうとするだろう。

 

 北朝鮮の決勝打とは何か。言うまでもなく

 (1)和平による軍事的緊張状態の除去と制裁の解除

 (2)アメリカによる国体護持の保証

 (3)日本から巨額賠償(貸付金の返還)を取り付けることである。

  そしてその付随事項として、こざかしい日本が騒ぎ立てる「拉致問題」をなかったことにする、が加わる。

 

 「日本はアメリカを使ってコントロールするほうが御しやすい」、北朝鮮ならずとも「日本を取り扱うには」の常道である。北朝鮮中間選挙の直前に弾道ミサイル実験でも行えばトランプ政権には大打撃となる、トランプが逆ギレしない程度に操縦しながらこの弱みを巧みに衝けば、「賠償金を先払いするように、オレからシンゾーに確約させる。拉致問題は後回しだ、、、」をねじ込むことができるかもしれない。

 残り三ヶ月となったゴールデンタイムに一本勝ちし勝負を決める。何が北朝鮮にとって理想的な決着かを論理的に追えば、その思惑はほとんど自明である。

 

1000人の拉致被害者

 ところでなぜ北朝鮮は、「拉致問題は解決済みである」を譲らないのであろうか。米朝会談が友好的に終わったこの段階であるから、ここで誠意をもって対応すれば、アメリカを使わずとも日本の戦後補償は円滑かつ早急に進む。拉致問題をカードと考えているのであれば、「今、カードを切る」もありそうに思える。にもかかわらず拉致問題は解決済みで、「終わった問題を蒸し返すな」を繰り返す。

 もっと有効で高値が付くタイミングがある、と読んでいるのだろうか。それとも真実を公開できない事情があるのだろうか。真実を知れば、日本国中に衝撃が走り、報復に燃え上がるなど特段の事情があれば、事実に蓋をし地底に葬ろうとするだろう。一体何が真実なのであろうか。

 

 

 政府が認定している拉致被害者は17人。拉致された可能性が排除できないとして警視庁が捜査している失踪者(特定失踪者)は868人である。2002年帰国した曽我ひとみさんは特定失踪者の一人であったことより868人も軽視できない。1000人にも及ぶ日本人が誘拐された可能性がある。


 拉致は、大方1976年から1987年の11年間に実行された。被害者の年齢には幅があるが、現在40~60歳代が多く特別なことがなければ未だ存命のはずである。しかし1000名ほどの被害者の具体的な音沙汰がほとんど漏れ出てこないのは不思議である。
 勿論被害者は当局の厳重な管理下にあるだろうから容易に日本に近況を一報できるものではない。とは言え、被害者が結婚し子供がいれば、関係者は数千人となる。毎年1000人が脱北する状況であるから、「自分の親は拉致被害者だった」、「被害者と会ったことがある」などの証言が定期的にでてきてもおかしくはない。大勢が特定の大規模施設に収容されているのであれば、近隣住民の「見聞きした」噂を完全に管理するのは困難と考えられる。
 北朝鮮当局としても多くを収容給養するのはコストであり、当たり障りのない被害者をまとめて帰国させる、あるいは取引を繰り返し二人三人と小出しで返還してもよさそうであるが、そのような気配すらない。北朝鮮にどういう事情があるのかは分からないが、拉致問題は黙殺、無かったことで決着し、「戦後補償と国交正常化を日本に強いる」が死守すべき方針のように見える。

 

北朝鮮の蛮行わするるべからず

 さて日本である。米朝の思惑に日本が乗ずる策があれば、つけ入るのは当然だ。しかし、戦術であるとしても、拉致問題未解決のまま「戦後補償を先走る」は到底受入れられるものではない。いかにアメリカが威圧しようが、日朝関係の正常化は日本が納得する拉致問題の解決が大前提であることは国民の総意といってもよい。

 

 また戦後補償と拉致問題は同列で語るべき問題ではないことも再度改めておきたい。「戦争とは他の手段をもってする政治の延長に他ならない」とするクラウゼビッツ・テーゼの通り、戦争自体は国際法違反ではない。戦争も植民地支配も敗戦国、被植民地国に甚大な惨禍をもたらしたといえども当代所定の手続のもと履行される限り、国際紛争を解決する国際政治の一態」と整理しうる。

 

 しかし「他国に不法に侵入し、住民誘拐を繰り返す」は明白な国家犯罪であり、政府主導のテロリズムである。その暴挙は帳消しを求め、植民地賠償のみ主張するは、低劣であり言葉を失う。しかも拉致は過去の問題ではなく、現在進行形である。残り時間も逼迫している。解決が遅れれば、被害者もその家族も益々「願い」を来世に繋ぐほかなくなる。


 そしてついぞ北朝鮮が拉致を無きになし、当事者・関係者をして「来世に願いを繋ぐに至らせた場合」は、この蛮行を決して忘れてはならない

 

例え邪知狡知であろうとも

 北朝鮮への戦後賠償自体に反対する意見は少ない。日本の世論は韓国同様、北朝鮮に対しても植民地時代の贖罪として補償金を支出することを受入れるだろう。米朝関係、日朝関係が大転換するチャンスであるこの機に、過去を正当真っ当に清算し、正常化することを望む。
 しかし、自らの暴挙は忘れ、「君たちの先祖は殺人鬼だったんだよ」を声高に「自分のカネを返せといっているだけだ」と臆面もないのであれば、日本も毅然とするほかない。

 事この期に及んでは、もはや「元の木阿弥」で何事も無かったかのように再び膠着に戻ることも耐えがたい。無理にでも事を動かすためにこの際、日本も邪知狡知全てを動員するべきであると思える。

 

 そのために一兆円程度の戦後補償金を国際機関など第三者供託するのはどうか、と思う。一兆円は賠償金として北朝鮮に支出するものだが、拉致問題の全面的解決を停止条件とする。一兆円は北朝鮮のカネだが、日本が拉致問題は解決したと宣言しない限り引き出すことができないカネだ。
 その際、おそらく北朝鮮が「煮えくりかえる」であろう以下の付帯条件を付ける。

 

 「合法非合法を問わず、日本人拉致被害者を救出すれば、一人につき10億円を供託金から支払う」

 

 供託金を被害者救出の懸賞金の原資とする。日本が拉致問題終結宣言を出さず、原資が供託金として留保されている限り、懸賞制度を継続する。中国ロシアなど北朝鮮の友好国あるいは国内から賞金稼ぎを出現させ、一人でも二人でも脱北させるのが計略である。脱北賞金分は当然、賠償金から減算する。実際、拉致被害者が1000人であれば、賞金合計額だけで一兆円となるため、全員を賞金稼ぎが脱北させれば、北朝鮮の取り分はゼロとなる。一人でも帰国できれば、「拉致は解決済み」とする北朝鮮の欺瞞を暴露することもできる。


 本当の被害者かどうかは直ぐに分るはずだ。万一、無関係であっても何かしらの接点があれば、慰労金を準備すべきである。情報だけでも有益である。賞金は危険を冒してでも「やる」との動機付けとなる「高額」でなければならない。
 韓国は勿論、欧米、アジア、アフリカ、各国各地に懸賞金を宣伝するべきである。世界中の賞金稼ぎが関心を寄せれば、日本人拉致問題という国際犯罪を世界に広く認知させることになる。

 

 「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」した日本としては、恥ずべき邪道であるかもしれない。しかし国際的な誘拐事件で政府が救出賞金を設定することは珍しくない。一方の北朝鮮はすでに、状況を読んでは拉致問題を戦後賠償交渉の取引道具と化しているのであるから、日本が同種同様の対抗措置を選んだとしても、さして引け目を感ずる必要は無い。

 

 

 日本が何もしなければ、米朝あるいは米韓朝の談合によって拉致は黙殺したまま、日本の戦後補償を決めてしまう可能性もある。外圧によって巨額戦後賠償拠出を強いられ、結局帰国した5人以外拉致問題は闇に葬られ、残り全員が来世に願いを繋ぐ他ないなどという事態となれば、これほど主権国家として情け無いことは無い。
                                                                                                                                 敬称略

 

(国際部 半島情勢デスク)

 

「拉致問題」と「戦後賠償(補償)問題」(1)

 半年程前であれば、誰も予測できなかった北朝鮮問題の急変には唖然となるばかりである。評価が分かれる今次の米朝首脳初会談であるが、総じてアメリカよりも北朝鮮の方が得るものが多かったとする論評が多い。米朝で密約でもなければ外見上はソノように見える。


 しかし世界的にこれだけ関心を集めたのだから、非核化をとりあえず容認した北朝鮮が「何もやらなければ」今度は、旧を倍にして国際的な非難が集中するであろうし、トランプ大統領が「コケにされた」と確信すれば、金正恩委員長の宿願「国体護持」は途端に建国以来の危機を迎えるとのプレッシャーもあるだろうから、トランプ流「褒め殺し」にもそれなりの効果はある。


 となれば、日本最大の北朝鮮問題である日本人拉致問題が進展するかに期待が高まる。しかし会談を終えた現在、肩すかしをくらったかのような空虚感が漂う。

 

 外電によれば、大統領から委員長に日本人拉致問題の提起があったことは間違いないようである。しかし両者がどれほどの問題意識を「持っていた」あるいは「持ったか」は分らない。会談前の期待値が高かっただけに目立った進展がないことをあげつらい、一部報道機関からは「そもそも日朝二国間の問題であるにも係わらず、何故人任せにした」というような政府の無策非難なども噴出する。


 拉致に関しては「空振り」の米朝会談を機に、急遽、日朝会談実現に慌てふためく様を揶揄する論調なども見られるが、会談前後から部分的にこぼれ落ちる周辺事実を広い集めると、「どうもソウではない」と思えるフシがある。

 

 ソノ周辺事実とは、トランプ大統領の以下の一言である。


(1)「核・ミサイル問題解決後の北朝鮮経済支援は、韓国・中国・日本がやるだろう。アメリカはしない」
(2)「日本に経済協力をしてもらいたいなら、拉致問題にしっかり取り組むように」(米朝会談で金正恩に伝えたとされる)


 また安倍首相の一言も深意がありそうである。


(3)「(拉致)問題についての私の考えについては、トランプ大統領から金正恩委員長に明確に伝えていだだいた」

 

 いずれも米朝会談後の一言であるが、唐突な不思議な言い回しである。
 そもそも(1)であるが、「カネは中国や韓国が払う」などと宣言され、おいそれと中国や韓国が「了解しました」とへつらう筋合いではない。勿論、将来ソウなるかもしれないが、あくまで中国、韓国の自発的判断によるもので、いわば「余計なお世話」の類いといえ問題をこじらせるだけである。

 にもかかわらずこの一言をこぼしたということは、経済支援の金策については、根拠となるなにがしかの腹案があったのかもしれない。


 その腹案とは日本からの拠出を念頭にしているのではないかを匂わせるのが(2)である。そして(3)の安倍首相の「私の考え」発言である。「私の考え」とは何か。「考え」が「拉致被害者を帰国させてほしい」というだけであれば、あえて「私の考え」と、ことさら述べる必要はない。単に「拉致問題については、トランプ大統領から金正恩委員長に明確に伝えていただいた」で済む。


 だとすれば、「私の考え」とは、「拉致問題解決に対する『私の考え』」と解するべきで、返還に関する具体的な腹案があったと考えることができる。その腹案がトランプ大統領の腹案と一致しているのであれば、(1)(2)(3)は一線に揃う。


 つまり腹案とは、「核・ミサイル問題と並行して、拉致問題が解決すれば、経済復興の資金支援は日本が率先して行なう」、その場合の経済支援とは「植民地支配の戦後補償として実施される」と読める。事によると具体的な「補償額(数字)」もすでに伝えたのかもしれない。

 

 北朝鮮にとって日本の戦後補償(賠償金)ほど巨額かつ大義が立つ資金はない。米中韓からの経済支援は、衰弱した北朝鮮を援助する浄財のようなもので、慈悲であり施しである。給付までには何度も頭を下げ、支払に条件を付され、使い方にも制約を受けるかも知れない。

 しかし賠償金は、言ってみれば北朝鮮が日本に持つ債権(貸付金)のようなもので、借金を返済するのは当然であり、返してもらった金を何に使おうが債務者が口出しできるものではない。

 

 「ついに日本が植民地支配の歴史的大罪を認め、巨額賠償の支払を承諾した」。これほど北朝鮮を昂揚させる魅力的な大義(スローガン)はない。その額は、日韓基本条約を算定基準とすれば、兆の単位に達するのは確実で、5兆円との試算もある。北朝鮮にとって米中韓の経済支援と日本からもぎ取る戦後補償とでは次元が異なるのである。

 

 金正恩委員長は今年の年頭挨拶で、「私を固く信じ、一心同体となって熱烈に支持してくれる、この世で一番素晴らしいわが人民を、どうすれば神聖に、より高く戴くことができるかという心配で心が重くなります。いつも気持ちだけで、能力が追いつかないもどかしさと自責の念に駆られながら昨年を送りましたが、今年は一層奮発して全身全霊を打ち込み、人民のためにより多くの仕事をするつもりです」と語った。
 経済が停滞し、慢性的空腹を抱える人民を憂い涙をこぼす映像が流れたとの報道もあった。

 

 曲がりなりにも「国家存亡の要とし、あらゆる犠牲を払ってでも開発を優先させた核戦力を放棄する」と公言したからには、人民をして「払った犠牲」を償う代償が即座に実感できねば、独裁政権といえども安泰ではあるまい。

 

 核保有国とのタガを外すのであるから国家団結の新しい吸引力が必要である。そのためには、抗日戦争に勝利し独立国家「北朝鮮」を建国した金日成国家元首の三代目が「戦後補償を勝ち取った」は、現体制を将来に渡り維持強化する最も理想的で「美しい」ドラマといえる。しかも兆の補償金があれば、当座人民を「腹一杯」にすることもできる。そのためにも、北朝鮮の胸中は、日本の戦後賠償確保は何ものにも代えがたい価値があると考えているに違いない。

 


 もし安倍政権がソコまで計算して米朝会談において「私の考え」を伝え、急遽、日朝会談の開催へと歩を進めたのであれば、かなりの高等戦術といえる。突然、開催が決まった米朝会談は日本としても予測できなかったであろうから、「決まった」段階から、日本のディールをトランプ大統領に仕込んだことになる。


 今回の米朝会談は、北朝鮮だけが得、アメリカは特段具体的な成果がないように見えるが、大成功を繰り返すトランプ大統領の有頂天の背後に「巨額の賠償金に北朝鮮が飛びつかないはずがない」との自信が隠れていると考えれば合点がいく。「アメリカはカネを出さないが、周辺国が出す」の一言にも繋がる。

 

 とはいえ、日本としては割り切れないものが淀む。拉致問題は国家犯罪なのであって、日本から北朝鮮に賠償を求めたい筋合いである。国家犯罪を放免するだけではなく、巨額賠償まで同意し、「勝った、勝った」と北朝鮮を小躍りさせる事態など、おいそれと承服できるものではない。
 しかしもはや一刻の猶予もない拉致問題を動かす方策として、政府が仮にこのような戦略をとったとしても国民は支持するように思ええる。

 

 勿論、拉致問題と核・ミサイル問題は一体であって、どちらが停滞しても戦後賠償はない。「巨額賠償、勝った勝った」と叫ぶには、正真正銘の決断と誠実な履行なくしてはあり得ないことは北朝鮮も十分理解しているだろう。
 「完全かつ検証可能で不可逆的」は、拉致問題にも当てはまり、例えアメリカが北朝鮮のサラミ戦術に押し切られ、見返りの小出しを始めたとしても、日本が拉致問題について毅然を押し通すのであれば、北朝鮮として理想的で完全な「勝った、勝った」が訪れることはない。

 

(付記)
 補償と賠償は、意味が異なる。日韓基本条約締結時、韓国は植民地支配の「賠償」を日本に求めたが、日本政府は「韓国と交戦状態にあったことはなく、戦争賠償金としての賠償を支払う立場にはない」として要求を拒絶、日韓基本条約上の補償金を「経済協力金」の名目で支出した。


 北朝鮮との戦後補償交渉にも同様の議論がありうるが、拉致問題、核・ミサイル問題解決の方策として戦後補償を進めるのであれば、表現がどうであるかはあまり意味がない。重要なのは取引が成立するか、である。


 なお、1965年の日韓基本条約には、北朝鮮分の補償金も含まれるとの議論もある。条約は経済協力金の支出だけではなく植民地時代に日本が半島に投資した公的財産、個人財産の全てを放棄するとともに韓国は対日請求権を放棄することを定めた。


 もし、日韓基本条約北朝鮮が含まれないとすると北朝鮮に残した財産については、「財産権を放棄していない」と解釈する余地が生まれる。逆に北朝鮮も含まれるのでれば、戦後補償を支出する義務は韓国にあることになる。

 

 ただし、2002年訪朝した小泉純一郎首相と金正日国防委員長(いずれも当時)が合意した日朝ピョンヤン宣言では「不幸な過去を清算し、多額の経済支援を行なう」ことを織り込み、実質的に国交正常化のため戦後補償実施を約したものと解釈されている。

 

(国際部 半島情勢デスク)

平成天皇の太陽

 来年の5月1日に年号が変わる。言うまでも無く今上天皇の譲位があるからだ。あまりにも不敬なことであるので、話は表にだすべきではないとも考えたが、やはり平成が終わってしまう前に筆者の体験を記録しておこうと思う。

 

25年ほど前の話である。当時私は都内の会社に勤め、事務所は赤阪見附にあった。確か4階か5階かのフロアで、目の前に首都高4号線が通る。丁度目線が道路の高さと一致し、窓からは首都高を往来する車がよく見えた。

 フロアの片隅には室内の喫煙場所がある。首都高との距離はおそらく30メートルぐらいで、ここからは運転手の姿まではっきりと分る。

 

 毎日この部屋でニコチンの補給をしていたのだが、ある日、いつものように一服しようと入室すると首都高の異変に気がついた。日中慢性的に渋滞している首都高が、この日に限って、車が一台も走っていないのだ。

「どこかの国の大統領でも通るのか」。外国要人警護のため交通規制された首都高はこれまでもあった。ほどなくパトカーに先導された黒塗りの高級車が近づいてくる。しかしVIPは外国要人ではなかった。車は両陛下の御料車であったのだ。

 

 大学時代、社会主義が好きであった私は、天皇制については懐疑的であった。出生により異なる身分が存在するということは非合理であり、自発的な民意によって伝統家系を繋ぐというのであればいざ知らず、憲法で殊更、異なる身分を顕示するのは筋違いではないか、それどころか「内閣の助言と承認」なくば、公に内心も「口にできない」などはむしろ人権問題であり、それこそが憲法違反である、と考えていたのだった。

 

 御料車はますます近づき、車中もうかがえる。運転手後席の天皇陛下は、前方を見据え目をそらすことがない。助手席後席の皇后陛下は車窓からの景色を観察されているようだ。

 「この人達が、かの天皇家なのだ」、偶然の遭遇に、憲法抽象論と俗物根性的な好奇心とで混乱し、漫然と通過を見守っていたが、まさに御料車が目の前を通り過ぎる瞬間、私は衝撃を受けた。 

 その瞬間、私と皇后陛下の目と目が合い、皇后様から先に会釈をされたのだった。

 

 直後の記憶が私にはない。気がつくと最敬礼の姿勢のまま、喫煙室で固まっていた。首都高はすでに普通車が走っていたので、瞬間からは15分20分が経過していたのだろう。

 戦後の平和教育を受けた私であったが、先代の倫理は体に染みついていた。しかしこの時、私は心に決めた。「二人が皇室である限り、天皇制のことを悪く言うのはやめよう」。そして悟ったのだった。「美智子妃殿下が平成天皇の太陽なのだ。やさしく、暖かく平成天皇を煌めかす後光であるのだ」と。

 

(編集部主筆

ベーシックインカム:日本が天国となる日(5)

 ベーシックインカム社会で暮らす、とは

 


 「日本国民である」との資格だけで誰もが、自動的に生活費の最低額(12万円)が支給される社会で人々はどのように暮らすのでしょうか。仮に12万円をもらったとしても半分が税金として徴収されるなどというのでは意味がありません。単に支給額の問題だけではなく、ベーシックインカム社会で暮らすためには、税制他社会制度も対応するよう整備されていなければなりません。

 

 今回は「ベーシックインカム社会で人々はどう暮らすのか」を空想してみましょう。

 

 世界で議論される「ベーシックインカム」ですが、その背景にはAIを初め、高度に進歩した技術革新によって「ほとんどの人手が不要となる社会の到来が近い」、つまりこのまま無策であれば大量失業時代が到来するとの切迫感があるのでした。「市民のほとんどがスラムで最低限の生活をする」、どこかの映画のシーンにでも出てくるような頽廃した絶望社会を回避するための一案がベーシックインカムなのです。

 

 この議論で注意したいのが、「技術革新が人手を不要とする」という点です。従来10人で100の価値(成果物)を産みだしていたところ、機械が導入された結果、人手(労働力)は不要になったというのであれば、「労働力ゼロでも100の価値は生産され続けている」という状況です。極端な話をすれば、国民全員が無職となっても「国家としてのGDPに変化がない」という状況がベーシックインカムの着眼です。
 不況で工場閉鎖(つまり価値の生産も中止)、その結果、労働力を対価とする収入も奪われる「失業」と、ベーシックインカムの「無職」とは議論すべき構造が異なっています。無策であれば街中に失業者が溢れるかも知れません。しかしベーシックインカム無職が大勢であっても、従来型の雇用とは別の「新しい価値」を産む役割を付与される「無職」が出現することになります。
 ベーシックインカムは弱者救済・扶助制度との一面がありますが、この施策は大量のベーシックインカム無職をいかに今後の新しい価値や経済市場を生み出す担い手とするかという国家的マスタープランを一体として導入せねば機能しないとの意味で単なる弱者救済とは次元が異なります。「ベーシックインカムが国力の源泉となる」との青写真が描けなければ、この議論は荒唐無稽の一言で終わってしまうのです。

 したがってベーシックインカムを持続させるためには、ベーシック無職を次世代経済の大黒柱へとシフトさせる社会システムの整備を推進しなければなりません。そのためには従来とは異なる「勤労」と「報酬」に対する発想の転換が求められるように思われます。

 

労働者との概念


 ほとんどのサラリーマンは「生活のために働く」のであって、「お金の問題はない」とならば、「仕事は辞めたい」、「転職したい」と考える人は多いと思います。ベーシックインカムはこの拘束を開放しますので、離職や転職は激増することでしょう。
 就業人口の数パーセントは「生涯仕事をしない」、「最低限の生活でよい」と割り切るでしょうが、おそらくその割合は、現在でも「生産年齢でありながら、生活保護で暮らす」人々の割合と大きく違いはないように思えます。
 多くは例え現職を辞めても、より豊かな生活のため、あるいは社会で生きる張り合いを得るために職を求めるでしょう。勿論、再就職者の間でも離職・再々転職は日常となるには違いありません。それでも「自分に与えられた使命を全うする=勤労する」は、人間の本能と専門家は指摘します。つまり、大方は、いかなる状況であっても「仕事をしたい」と願うはずで、必要なのは「働きたい」と「ここで働いてください」をいかにベーシックインカム社会で組み合わせるのかの仕組み作りです。

 

 とはいえベーシックインカム時代となると(旧来型の)就職先絶対数が激減していますので、「何の仕事をしようか」を自ら切り開く必要もあります。一部の天才的な起業家や漫画や小説家として一芸に秀でる人であれば、「何を」を探すのに苦労しないかも知れませんが、人並みの万人にはそうも行きません。
 ですから、「何を」については、その仲介をする社会システムが整備されていなければ一般人としては身動きがとれなくなります。そのためには、社会を躍動させる新エンジンを掘り起こさねばなりません。後継者がいなく消滅しようとしている日本の伝統工芸や耕作放棄地として廃れ行く地方の農地や山野に隠れたエンジンがあるかもしれません。当座は一銭の稼ぎにもならない仕事であってもとりあえず生活費は心配ありませんので、各地で地道に「取り組む」には好条件です。「廃れ行く」と「何を・・・」を結びつけるシステムが上手く機能すれば、「廃れ行く」を食い止めるだけではなく、新しい価値が生まれるかもしれません。

 

 また、ベーシックインカム時代では大学の役割が益々重要になると思えます。古典や現代文学、歴史といった人文学や法律、経済学といった実用社会科学も単なる愛好から本職へと考える人もいるでしょう。「どんな学問でも10年続ければ専門家」との例えもあります。真面目に「究めたい」と考える人には半生を大学で過ごせるよう門戸を大幅に開いても構わないのではないでしょうか。様々な専門分野に学会が存在し、学術の研磨を担っていますが、大学半生層が大挙して学会加入し研究に加わるというのであれば、それを「国益」といってもいいように思います。

 

 一方、理系の学部について、です。産業立国を支える技術革新は民間企業と大学の研究室が牽引しますが、理系に心得がある大学半生者が倍増すれば、新発見・新開発の可能性は向上するでしょう。民間の研究開発部門と理系大学半生が連携する仕組みも有効です。産業立国として国際競争力維持が国策なのであれば、むしろこちらの方が優先であるといえます。技術革新には製造装置や実験設備などの環境が必要で、この意味でも理系大学半生層が実験生産設備にアクセスできる制度が不可欠です。

 

 いずれにしても、「労働」という概念を「押しつけられる」から「率先して」に転換できるかが重要です。もし失敗すれば、ベーシックインカム社会の生産性を確保できず、新社会は立ち上がることなく潰えるでしょう。

 

使用者との概念


 ベーシックインカム社会では、労働者に対する使用者(雇用主)の立場についても大転換が認められるべきと思います。その一つは労働者の自由解雇です。「目つきが悪い」、「ウマが合わない」などこれまででは到底合理的な解雇事由と認められないような理由であっても雇用主の自由判断で解雇できる、その解雇による法的なペナルティもない、としてもいいように思えます。
 労働者はベーシックインカムによって嫌な職場はとっとと離職するでしょうから、使用者にとっても「一緒に働きたくない」と思える社員はさっさと退場してもらう、が結局は生産性に結びつくと思えます。非常識な話です。ですが、心底身勝手で最低な経営者(使用者)であれば、誰もそんな会社で働こうとはしません。その会社の勤務を続けるかどうかは、本人の自由意志だけに任されている社会です。社員が誰一人居着かない会社は自滅するしかありません。
 一方、社長との「ウマが合わない」が理由で社員が次々退職する会社でも、時として社長と意気投合する社員が現れるというのであれば、辞職と解雇を繰り返しながらも最終的に「ウマが合う」仲間だけが残れば、生産性は格段に向上するでしょう。
 好きな仲間と仕事ができるまで「何度も転職する、何人も社員を解雇する」が労使双方の日常であっても、「社会とはそういうものだ」と誰もが納得できるのであれば、それが常識となり、特段「人生は苦行」という根性論に固執する理由もありません。

 

 また、賃金に関しても新しい制度を導入すべきと思えます。ベーシックインカム分は、企業が支給する給与から控除してもいいのではないでしょうか。月給が30万円であれば、ベーシックインカム12万円を差し引いた残額18万円を企業の支給分とするということです。
 ベーシックインカムを実現するためには法人税や消費税など大幅な増税が必要となるでしょうから、財力の乏しい中小企業の経営を逼迫します。個人にとっては、生活保障金としてのベーシックインカムですが、法人にとっては販管費の助成制度とし機能させる。控除ではなく、ひと思いに現在の最低賃金を半額に切り下げるなどの荒技も一考かもしれません。
 東京都の最低賃金は現在958円、その半額となれば479円です。労働基準法が定める週40時間のフルタイムで一ヶ月労働した場合の月額最低賃金は約8万円となります。勿論、ベーシックインカムがありますから、個人としての最低月額所得は20万円(8万+12万円)です。個人としては月額20万円の収入、企業としては8万円の月給支給。この最低基準は、労使共に納得できる線ではないでしょうか。

 

 政府による人材派遣業


 以上のように想定すると、ベーシックインカム時代は現在の労働市場の常識はもはや成り立たない社会となることが予見されます。おそらく会社経営者以外の一般人は、政府が胴元となる人材派遣業の登録者のような身分となり、本人が納得すれば派遣先で働く、仕事が自分に不向きと思えば、次の派遣先の紹介を受ける。「派遣」という言葉にマイナスイメージがあり不適切というのであれば、特任公務員といった身分といえるでしょうか。
 特任公務員の基本給は月額12万円。この基本給は無条件に生涯保証です。基本給に加え、実績(赴任先企業での勤労)分が加算される。一芸を極めたいとか研究を大学で続けたいとか、地方に行き農業、林業、漁業に従事するというのであれば、合理的な評価基準に基づく相応の手当を受け取る。同時に従来型の労働市場が激減しているベーシックインカム時代ですから、新しいビジネスを掘り起こすシステムを整備し、ベーシック無職のアイデアを吸い上げ、起業へと誘導する政策を国家が牽引することも必要です。
 特任公務員を受け入れる会社経営者としては、ウマが合う人を自由に選別し、特に重用したい人材を役員とし、企業拡大へと繋ぐ。ベーシックインカムが成熟すると、企業は「固定人材:ウマが合う経営者(社長+役員)」と「流動人材:派遣された特任公務員(社員)」で構成されるなどの形となるかもしれません。

 

べーシックインカムで暮らすとは

 

 ベーシックインカムで暮らすとはこういった社会となるでしょうか。所得税地方税といった個人の税負担や社会保障費の支出については触れませんでしたが、月額12万円の基本給に賦課することは回避すべきと思われます。わずかでも基本給に手をつけると財政悪化となるや容易に増税し、果てはベーシックインカムを破綻させるおそれがあるからです。
 ベーシックインカムを始めるからには、途中で放棄・変化させないとの強固な意志と国家財政を賄う永続的なシステム整備が伴わねばならず、更には日本という国家の国際競争力も維持される仕組みでなければなりません。

 

 ヘソが茶を沸かすような空想と映るでしょうか。しかしベーシックインカムの議論は迫り来る巨大地震に備えることと似ています。見方によっては大地震よりも着実かつ広域に迫る危機であるとも言えます。地震の備えと異なりベーシックインカムは社会の構造を一変させることになります。
 その時、私たちは「どういう社会に暮らすことを望むのか」。誰も見たことも経験したこともない社会です。それを実現するというのであれば、大いに空想を繰り返し、全員で議論し、次なる社会の青写真を準備せねばなりません。

 

(社会部デスク)

ベーシックインカム:日本が天国となる日(4)

日本人が世界の手本に

 

 隣の半島情勢デスクでは、状況の激変に今後が読めず大混乱です。北朝鮮問題の成り行きは社会部としても他人事ではないのですが、コチラではもう少し日本社会の中長期的展望を追ってみましょう。ベーシックインカム実現の話です。

 

 スイスが国民投票ベーシックインカムを否決したことはすでに触れました。全員が無条件で自動的に生活費を支給されるようになると、勤労意欲は減退し、スイスという国家の海外競争力が奪われ、国際社会での地位が転落することを懸念したのでしょう。しかしもしこの時、世界に先駆けてベーシックインカムを始めたのだとすれば、スイスが全世界から羨望の的となったことは間違いありません。


 一人毎月2500スイスフラン(約28万円)を受給する。夫婦であれば一家としてその倍の生活費を受け取るわけですから、「万一失業すれば、、、」という切迫感、恐怖感から永遠に解放されます。これほどの安堵はありません。誰もが「スイス国民になりたい」と羨むに違いありません。

 

 この「羨み」ですが、現在の収入や資産の状況によって人それぞれソノ度合いが異なることは当然です。高給取りの多いスイス(独身者の平均月収6250フラン(約72万円))では、一律28万円支給はそれほどの魅力とは写らなかったかもしれません。しかしカスカスの収入でいつも腹ぺこな人たちにとっては28万円は天国以外の何物でもありません。日本のベーシックインカムを月額12万円と想定してココでは検討していますが、月給100万円か10万円かでは、日本人の間でもベーシックインカムの見方が違ってくることでしょう。


 また競争社会の今日、努力して高給取りを勝ち取った人と(努力した人から見れば)怠惰が原因で低賃金に置かれる人たちの間でもベーシックインカムの受け止め方が異なるはずです。努力して成功すれば「報われる」のは当然で、そうでなければ敗者としての「報い」を受けるのは社会の摂理だ、との主張もあり得ます。
 勝者にとっては、怠け者が何もせずに月額12万円を国から受け取ることなど「以ての外」となるかもしれません。実際、アメリカなどでは国政でもこのような議論が堂々と交わされます。
 民主党オバマ大統領は、日本の国民皆保険に相当する社会保険制度の実現を目指しましたが、医療費の自己責任を主張する反論が、共和党トランプ政権誕生の一因ともなりました。

 

 

 国民皆保険や年金制度、ベーシックインカムは、国による社会扶助制度です。日本で国民皆保険が本格的に始まったのは昭和33年、年金制度は36年からです。おそらく日本ではこの制度を否定する人はほとんどいないでしょう。日本の国民であるとの資格だけで、低額(定額)で医療を受けられる、高齢者となれば年金を受給する。あるいは失業し収入がなくなれば、失業保険を国からもらう、は社会としては自然のことである、というのが一般的な日本的感性と思えます。弱者救済は税金の無駄遣いだとの主張は聞いたことがありません。なぜソノ人が弱者となったのかは、二の次の問題です。


 様々な不備や課題を指摘されている日本の社会福祉制度ですが、世界を見渡せばソノ日本程度でも実現できない国は多く、問題だらけの年金制度にしても海外からは、すでに羨望されるほど整備されているのです。

 

 この意味では、日本はベーシックインカム実現に特別な地位にあると思います。財源の問題その他実現するための課題は山積みですが、少なくとも「日本人である」という資格だけで、誰もが均等に「報われる」という発想自体に抗う向きは多くないはずです。

 

 

 隣の半島情勢デスクでは、「このままでは日本はかやの外になる」、「韓国と北朝鮮が連携し、これに中国が加わり一体となって反日勢力に固まるとやっかいだ」、「もはやアメリカも自国の手柄を優先し、日本を置き去りにするかもしれない」などと侃々諤々です。
 そうなのかもしれません。しかしソレとは無関係に、もし日本でベーシックインカムをいち早く実現し上手に運営するのであれば、いかに周辺国が日本を政治や外交、歴史で非難しようとも、「日本人になりたい」に火をつけること受け合いです。
 ソレは日本の自慢です。「日本が世界の手本となる」と言ってもいいほどです。解決の緒が見いだせない近隣諸国との対外問題ですが、ヒョッとすると、国内問題が事態を動かす一歩となるかもしれません。

 

(社会部デスク)

物損事故(物件事故)と警察の民事不介入

 社会には実際経験してみないと常識では想像もできないような苦難に出会うことがある。東京郊外に住むAさんが体験した交通事故(物損事故)もそんな話の一つだ。

 

当日

  いつものように近所のスーパーにマイカーで出かけたAさん、帰り道で十字路に差し掛かった。信号はない交差点である。道幅は狭く対向車とすれ違うのがやっとで、緩やかな登り起伏もあるため、侵入すると視界が悪く、日頃から通過には細心の注意を払っていた交差点だ。

 

 見ると右方向よりウィンカーを点滅させコチラに左折しようとする対向車がある。そこでAさんは一時停止標識前の停止線に車を止め、対向車の通過を待った。対向車は微速前進で左折を開始したが、大きく膨らみ、このままでは正面衝突する状況である。咄嗟にAさんはクラクションに手をかけたが、同時に対向車はブレーキをかけ停止する趣きである。「コチラに気がつき停止してバックするのか」と思った瞬間、対向車は再び前進、A車の右側面に衝突した。衝突といっても時速数キロ程度、怪我人が出るほどではない。それでもA車の右ウィンカーは破損し、バンパーが歪んだ。

 

 対向車には中年女性二人が乗車し、ハンドルを握っていたB女さんは、仰天した風で車から駆け寄り、「前を見ていなかったのでぶつかってしまった」と詫びた。「事故ですから警察に連絡します」とAさんは告げ、110番通報した。
 小さな事故であると警察が判断したからか、近隣の派出所から原付に乗った警察官一人が到着するまで30分程かかった。その間、道路の往来を堰き止めるわけにもゆかず、自走に問題のないA車、B女車共に交差点から数十メートル離れた路肩に車を移動し、警察を待った。

 

 現場にやってきた警察官は、第一に負傷者がいないことを確認し、双方から事故時の状況を聴取した。B女さんの動揺は収まらず、「前を見ずに衝突した」、「A車の修理代は自分が払う」と話し、Aさんもその話の通りだ、と同意した。その後、警察官は衝突現場に行き、一時停止線上に散乱するB車のウィンカー破片やA車、B女車の破損状況を持参したデジタルカメラに収め、両者の運転免許証や自賠責保険などの必要箇所を書き写し、名前、勤務する派出所を告げ、現場を去った。

 Aさん、B女さんも相互に名前、連絡先、任意保険の会社名、証券番号を確認し、別れた。「相手は非を認めていることだし、コチラは停止していたのだから、相手方に全ての責任はある」と、Aさんは何の疑問ももたなかった。ただ別れ際にB女さんがAさんに告げた一言「気をつけて帰ってください、、、」が少々気になった。当然、「気をつけるのは、ソッチだろう」だからだ。

 

 Aさんの苦悩はこの時より始まる。約1年に渡り続く苦悩である。後日、Aさんを大いに後悔させたことが二つあった。一つはA車がドライブレコーダーを装着していなかったことだ。そしてもう一つは、車を移動させる前に、現場で衝突状況をスマホカメラで撮影しておかなかったことだ。

 

翌日~数日後

  事故翌日、B女さんの保険会社から電話がある。修理工場や代車の手配など補償の話と思いきや、「B女さんは、交差点を突進してきたA車にぶつけられた」と主張していると知り言葉を失う。「賠償は過失割合の問題となる。事故交差点は、A車レーンに一時停止線があることから、進入優先権はB女車にあり、過失割合はA車80%、B車20%の料率と算定するが、その条件で了承するか」というものだった。
 Aさんは狼狽する。そもそも事実に反するし、B女さんも警察にその事実を認めていると反論しても、「反論する事実をどうやって実証できるのか」、「警察の証言や資料は証拠となるが、その立証責任は反論者側となる」と取り付く島もない。

 

 「到底了承できない」と電話を切り、Aさんの保険会社に連絡、相談すると「保険会社の担当者同士で交渉してみる」との話となる。数日後、結果の連絡があるが、「交渉により80:20の料率を70:30、つまりAさんの過失責任を10%押さえることができた」と実績を自慢するかのような話方。事故の過失は7割はAさんにある、保険会社としての交渉はこれが限度で、「責任を認めるほかない」と自分の保険会社から説得される事態にAさんは頭を抱える。

 

 後日、判明したことであるが、損保会社には力関係が存在する。B女さん加入の損保は国内大手の民族系保険会社で、Aさんは、通販型の格安損保であった。格安損保は、人員や調査体制が限られ、よほど大きな事故でない限り(つまり数十万程度の賠償案件については)、人件費を節約するため(事故内容はどうであれ)さっさと賠償金を払って一件落着させる傾向にある。逆にその手の内が分っている大手損保は、「さっさと損保」には強気に出る、というのである。

 

 過失を認めるよう諭されたAさんであるが、納得ゆかない。A車が停止していたのが事実で、相手方に再交渉を依頼するが、ここでまた思いもよらない損保のルールを知る。「保険会社同士の交渉は料率交渉のみが許されており、ゼロ対100、つまりAさんが無過失を主張する場合は対応ができない」と言うのだ。なぜこのような「定め」になっているのかについては、Aさんの知るところではない。いずれにしてもAさんは単独でB女さん損保と渡り合う他ない状況となる。

 

民事不介入の原則

 方策がなくなったAさんは、現場検証に着た派出所警察官に連絡した。現場で「B女さんが話したこと」、「一時停止線上にA車のウィンカー部品が散乱していた」などの事実をB女さん保険会社に話してもらいたいと思ったのだ。ここでまたAさんは、これまで無縁であった法律の「定め」を知り呆然とする。

 

  「警察には民事不介入の原則があり、私人間の財産的な紛争については、司法権(裁判所)の管轄となり警察権は介入できないことになっている。したがって、B女さん保険会社が連絡してきても、自分の判断で、何を見た、どう考えたか、は話すことができない」。
 どうも警察官は、同様な事例を何度も経験しているようで、Aさんの依頼に至極こなれた対応である。「何のために警察は現場検証をするのだ」、Aさんは苛立つが、負傷者がでる事故(人身事故)は刑事事件となり警察権の本務として事故原因を究明し、事実を認定するが、私人間の物損事故(物件事故)の場合は、民事事件であり警察は介入しないのが原則である。

 それでも、「このままでは被害者の私が加害者となってしまう」との懇願に同情したのか、警察官は電話を切る間際、「事故報告書は、すでに地域警察署に提出してある。B女さんが甲欄だ」と告げた。

 当初、その一言の意味をAさんは理解できなかった。おそらく一言は、警察の民事不介入原則をすでに違反しているのだろう。その後、何度かAさんは担当警察官とのコンタクトを試みたが、常に同僚が対応し、本人とは二度と話すことができなかった。
 とはいえ、事故に関し報告書があることは朗報である。早速、Aさんは地域警察署に行き開示を求めるが、門前払いとなる。物損事故(物件事故)は、自動車運転過失致死障害罪違反(刑法211.2等)での立件がないため、原則として「刑事記録(実況見分調書)」のようなものが無い。物件事故の場合は、「物件事故報告書」を作成するが、基本的に警察の 内部資料の扱いとなり、公開はしていない、という説明であった。

 

それから数ヶ月

  そうこうしている間、すでに数ヶ月が経過したところでA車保険会社から連絡がある。Aさん保険会社はすでに対応できないと撤退しているので連絡は意外だ。
 「B女さん保険会社から、料率を50:50に引き下げるとの提案があった。これで決着してはどうか」というのが、話の内容である。70:30であろうが、50:50であろうが、Aさんの忸怩に変わりは無い。返答に躊躇していると、損保担当者は「裁判を考えているのですか」と質す。「裁判をしても、証拠は何もありませんよ。B女さんは中央線がある優先道路を走行していたのですから、状況はAさんが不利です」と言う。

 

 勿論、裁判など考えたことはない。しかし雰囲気から損保会社は「裁判」を懸念していることは想像できる。そのまま黙っていると「Aさんは、弁護士特約に加入されていますので、弁護士費用として300万円まで保険でカバーできます。特約を利用されても保険等級に変化はありません」。
 おそらく担当者は、保険内容の説明義務として弁護士特約の説明をしたのだろう。しかしこの話はAさんを啓発した。

 

 「特約を使う場合、弁護士事務所を紹介してもらえるのですか」
 「ご紹介している弁護士はいません。ご本人様で探していただく必要があります。弁護士事務所をお決めいただき、請求書を弊社に送って頂くことになります」
 短い電話であったが、膠着していた事態がこれで、再び動く。

 

弁護士事務所

 「代理人(弁護士)に事の解決を委ねる」を決意したAさんは、当初、勤務先の顧問弁護士に依頼した。事情を一通り聞いた顧問弁護士は、「了解しました」と代理人となることを快諾、Aさんも安堵する。ところがその後、一ヶ月、二ヶ月、弁護士から何の連絡もない。業を煮やしAさんが顧問弁護士に連絡すると「忙しくて時間がとれない」と陳謝する。
 これも後日判明したのであるが、医者に内科や外科があるように弁護士にも専門分野がある。ましてや高々数十万円程度の物損では解決しても弁護士報酬はたかが知れている。専門外の顧問弁護士の腰が引けるのも無理は無い。弁護士であれば誰でもいい、ということではないのだ。

 

 Aさんは丁重に依頼解除を申し出て、交通事故専門の弁護士をネットで探し、電話で代理人を依頼したところ、「B女さんの保険会社は、○○損保ですか?」と質す。「いえ、△△損保です」と答えると、「それならば対応できます」との返事だ。
 聞けば、この弁護士は○○損保の契約弁護士であり、紛争相手が○○損保の場合は「引き受けない」とのこと。実に厄介な業界である。

 

 しかし交通事故専門弁護士に依頼し今度は、急速に事態が進む。依頼から数日後、新弁護士から次のような話がある。
 「B女さん損保担当者と話しました。Aさん、衝突で破損した箇所は、もう自費で修理してしまったでしょうか」
 「いいえ、破損したウィンカーの電球だけは交換しましたが、それ以外はガムテープで補修する不様な姿のまま乗り続けています」
 「それはよかった。B女さん損保が一度、アジャスターに破損状況を検証させたいといっていますので、アジャスターの検証が終わるまで、修理しないでください」
 「アジャスター?」
 「損害車輌の事故原因を調査し、被害額を査定する技術者で、事故調査員の資格を持つ人のことです。検証日時を決めるため、損保担当者が直接Aさんに連絡したいといっていますが、構いませんか」

 

 一度代理人(弁護士)を立てると、交渉窓口は代理人に一本化される。B女車損保担当者もAさんに直接連絡する場合は、代理人を経由してAさんの了承を得る必要がある。そんな「仕組みになっている」、ということもこの時初めて知った。無論拒否するような筋合いでもない。

 

 ほどなく、損保担当者から連絡があり、アジャスターにはAさんが指定した日時、場所に来てもらうことにした。
 並行してAさんは弁護士に地域警察署に管理されている物件事故報告書の開示を求めていた。第三者の証人もドライブレコーダーのような物証も無い状況では、事故状況を立証するのは唯一、この報告書だけではないか、とAさんは考えていたのだ。
 「弁護士の資格をもって当該報告書の開示請求を警察署に行なった」弁護士からの一報にAさんの期待は高まるが、二週間ほど後、「正式に拒絶された」との回答に再び落胆する。またもや暗雲が漂うが、想定外のところから光明がさす。アジャスターの検証だ。

 

アジャスター検証

 指定した場所に時間通りにやってきたアジャスターは、自己紹介し、名刺をAさんに差し出した。B女車損保会社の社員である。そして事故車に歩み寄り、損傷箇所を見た途端「イヤー、チャンと残ってますね」と言う。Aさんには何のことだか理解できない。
 その後、アジャスターはメジャーで長さを測ったり、写真を撮ったり、特定箇所を虫眼鏡で眺めたりで、15分ほど作業を続けた。
 一通りの検証を終えたアジャスターは、Aさんの胸を衝く驚くべき一言を放つ。

 

 「エンジニアの良心として話しますが、この事故の被害者はAさんです」

 

 「なんでソンなことが分るのか」、Aさんは混乱する。状況が理解できず唖然としているAさんにアジャスターが「なぜか」を説明する。

 

 「バンパーに残るこの四角いヘコミを見てください」
 確かに指示された箇所にウッスラと長方形のヘコミがある。

 「これは業界ではプレート痕(ナンバープレート痕)と呼ばれるもので、相手車のナンバープレートがココに衝突し、スタンプしたかのように残った刻印です。プレート痕はぶつけられた車に残る、という特性があります」
 言葉を失うAさんにアジャスターは続ける。

 

 「場合によっては、相手車のナンバーが判別できるほど刻印が残るものがあり、そのようなケースでは100%停車していた車輌にぶつかったと断言できます。A車の場合はソコまでではありませんが、明確にプレート痕が残っていることと、相手車のプレートペンキが一部A車に付着しているところから、A車は停車していたか、超微速で前進している最中に数倍のスピードで相手車が衝突した事故であると判断できます。
 もう一つ、航空写真(Google Map)から現場の四つ角は河川上にあり、道路側面に欄干があるため、車は路外にはみ出すことができず、衝突の箇所は幾何学的な制約を受けます。A車前方右辺がこの角度で凹んでいることは、Aさんが主張する一時停止線上での停止を裏付けるものです。逆にA車が突進してきて交差点上で衝突したとするB女さんの主張では、この凹み方を説明できません」
 プロの仕事とはこういうものか、Aさんは圧倒される。

 

 「ただし、」とアジャスターは続ける。「私はB女さんのアジャスターですので、その立場で報告書を書きます。こういうことは言ってはいけないのですが、Aさんの側でもアジャスターを手配し、Aさんの主張を立証する調査報告書を準備されるべきです」

 

 このアジャスターが来てくれたことは、なんと幸運なことか。早速Aさんは、弁護士を通じ、Aさん側のアジャスターを手配、再び事故車検証を実施、「全ての状況からA車が停車中の事故であることは、疑いようがない」と結論する報告書をB女車損保に送った。

 

 そうこうしている内に思いもよらない吉報が飛び込む。弁護士より諦めていた地域警察署の「物件事故報告書が開示されることになった」との連絡があったのだ。弁護士個人の資格では開示拒絶となったので、弁護士会会長名で再要請し、開示に至ったという。
 数日して弁護士より開示された報告書が郵送されてきた。高鳴る鼓動を抑えながら、開封すると中身は意外なものであった。A4用紙に事故日時、場所、当事者の氏名や住所などの基本情報に、「A車停車中にB女車がぶつかった」と一言事故内容欄に書き入れられた誠に簡素なものであった。状況の詳細や現場聴取の記録、写真など一切無く、単に一言あるだけである。

 

 面を食らったAさんであるが、後日、物件事故報告書は警察官の多忙さの度合いや性分などにより内容の密度に相当なバラツキがあることを知る。小破したA車事故などは警察が優先すべき順序としては相当低いに違いない。事によると警察が、物件事故報告書を原則非公開とするのはコレが理由かなどと邪推したくもなる。

 とはいえ、一言は事故の責任がB女車であることを明確にしている。これは警察が認定した事実であるからして、もし相手方が事実と違うと争うのであれば、警察の事実認定を覆す証拠が必要となる。ここに至りようやくAさんは、「証拠があるのか」とB女さんを質す立場へと逆転した。事件発生から一年が近づきつつあった。

 

意外な結末

 翌日、弁護士から早急に会いたいとの連絡があり、一件落着も近いと小躍りして事務所を訪れたAさんは意外な話を聞く。

 

 「コチラのアジャスター報告書を送り、交渉した結果、B女さん損保から料率を30:70とし、自分の責任のほうが大きいことを認める、といってきました。本件に関しては、ここら辺りが収めどころと考えます。仮に裁判に持ち込んでも勝てる見込みはなく、通常裁判では相手側は100:0と責任が一切ないと主張するのが通例で、そうなると相手方の責任7割すら勝ち取れなくなるリスクがあります」

 

 いきなり切り出した弁護士の話にAさんはたじろぐ。物件事故報告書を入手し圧倒的有利となったはずであるが、3割の過失を認め和解するようにと語気強く勧める。
 弁護士依頼からすでに半年を経過している。おそらく弁護士としてもAさんのような少額紛争にこれ以上時間を割かれたくはないのだろう。ましてや裁判ともなれば、小さな事案で更に稼働を奪われる。
 「これ以上は係わりたくない」を察したAさんも「もはやコレまでか」を決心する。

 

 「物件事故報告書はB女車損保に送ったのでしょうか」
 「まだです」
 「では、30:70で妥協するしないは、先生の判断にご一任いたします。ですが、物件事故報告書を提示し、一応10:90、20:80と少しでも相手の責任を積み上げる交渉をなさってください。それでも30:70を譲らない、というのであれば、その場で30:70で和解していただいて構いません」
 「了解しました」

 

 Aさんは若干の脱力感を感じながら弁護士事務所を出る。社会とはそういうものか、などと考える。ともあれ、コレで一年余続いた苦悩からは開放される。奥底に淀むものはあるが、安堵は安堵だ。

 

 数日後、弁護士から連絡がある。妥結した料率を尋ねると、「0:100となりました。B女さんは全面的に責任を認めました」。急変する事態にAさんも混乱する。

 

 「物件事故報告書を提示すると即座に0:100を認めました」

 

 B女車損保からはここ最近頻繁に弁護士事務所に和解確認の連絡が来ていたとのこと。どうも少額案件で一年も長引くことは異例で、Aさんが裁判に持ち込む準備をしていると警戒したようである。そのタイミングで提出された物件事故報告書、「このままでは裁判になる」の一言でB女さんも「折れた」模様とのこと。

 

 「A車補償修理の件で、B女車損保の担当者が、Aさんと直接話たいと言っていますが、構いませんか」
 例によって直接コンタクトの許可だ。無論やぶさかではない。

 

 

 ほどなくして、担当者から電話がある。
 「この度は、ご迷惑をおかけいたしまして申し訳ございませんでした」
 この担当者とも一年の付き合いである。これまでの加害者扱いの態度が豹変したことに腹がむずがゆくなる。しかしこの時、Aさんは心底「終わった」を実感したのであった。

 

 ○B女さん損保が負担したA車修理費用 約40万円

 ○Aさん損保が負担した弁護士費用 約70万円

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

 人身事故よりも物件事故(物損事故)の方がはるかに多い。警察の民事不介入となる物件事故では、保険会社の力関係や弁護士の度量、あるいは当事者の声の大きさ、時の運不運で真実が歪む。泣き寝入りするしかない被害者は想像以上に多いようだ。
 この一件一番の教訓は、「ドライブレコーダーを装着せよ」である。無い場合は、少なくとも車を移動させる前に現場の写真を撮っておかねばならない。
 第二は「任意保険の弁護士特約に加入せよ」だ。そもそも弁護士特約はAさんのような事態への備えなのである。特約費用も大した金額ではない。いざという時に備える不可欠な特約といえる。
 Aさんのように良心的なアジャスターと出会えるかは、時の運に属するであろうが、特約加入であれば、弁護士事務所を通じて、コチラ側のアジャスターを依頼することもできる。そのためにも交通事故専門の弁護士に依頼するべきだ。

 

  保険会社のアンケート調査によれば、過去1年で何某かの事故に遭遇したドライバーの比率は10%、つまり10人に一人は事故に会う勘定となる。人身事故でなければそれだけでも幸運といえるが、被害者でありながら、加害責任を負う理不尽もジャンケンで二連勝する程度の確率で起り得る「事故」に含まれるのだ。

 

【時事デスク】

 

 

 

 

 

 

 

 

電撃訪中:中朝首脳会談

日本は蚊帳の外か

 3月26日、極秘裏に金正恩委員長が訪中、習近平国家主席と首脳会談を実施した。張成沢の処刑以来、中朝関係は冷え切っていたとされてきただけに正に意表をつく訪中である。28日午前、朝鮮中央放送は「習近平主席の招きにより26日から28日まで中国を非公式に訪問した」とし、中国の招きであったと報ずるが、中朝どちらが積極的に仕掛けたのかは明らかではない。


 中朝にとっていは、南北・米朝会談を控えるこのタイミングで会っておく意義は大きい。会うだけで米国、韓国への強力なプレッシャーになる。この筋書きを金正恩が書いたのだとすれば、彼は想像以上の才物であるといえる。この指導者と対峙するのは一筋縄ではゆかないことを察する必要がある。


 もう一つ、今回の訪中でハッキリしたのが金正恩という人物の外交的存在感である。独裁者の後継者として帝王学を仕込まれた金正恩であったが、終始箱入り生活の世間知らず、内向的(内弁慶)で、外交のように「自分にひれ伏さない」相手との対等交渉は苦手、安全な大奥から鵜飼い政治を行なうのみで、習近平やトランプなど百戦錬磨の巨漢に面と向かう度胸はないなどとの憶測もあった。しかし今回で、ソンな小粒ではないことも分った。

 

 張成沢処刑は、彼が中国に金正恩排除を仕掛けていた謀略の発覚であったことより、習近平がその気になれば、ノコノコと訪中してきた問題児を拘束し排除するとのリスクを金正恩が警戒しないはずはない。そのリスクを冒してでも、今後の対米、対韓、対中交渉の主導権確保に奔走したことは、月並みではない外交手腕と見るべきであろう。

 

 

 さて日本である。北朝鮮問題の急展開に関し、日本は目立った関与がない。このままでは蚊帳の外となる不安感が漂う。しかし関与がないのは接点がないとのことで、接点がないのであれば、無理に接点を作る必要も無いと思える。無論、日本には拉致問題という急迫した難題があり、事態を傍観するような余裕は無いが、急いて足下を見られるような事態も回避せねばならないだろう。

 今後、米朝会談が実現するか、実現し半島問題が平和的解決に向かうのかは誰にも分らない。日本が「動く」のであれば、どの方向に向かったとしても対応できる方策を周到に用意しておかねばならない。

 

 例え誰がプレイヤーとなって情勢を動かしたとしても、結果として半島の緊張が解消され、平和国家北朝鮮が国民経済本意の政策にシフトしてゆくのであれば、喜ばしい進展であることに変わりは無い。誰の手柄かはともかく、好転すれば、拉致問題解決の好機も自然と訪れるに違いない。

 

 

 しかし、並ではない才物が相手であるからして、日本唯一のカードともいえるピョンヤン宣言(巨額戦後補償金拠出)をトランプ流ディールとして最大限に活用する、つまり、匂いだけ嗅がせるとか最低分だけの小出しを繰り返すなど、若い老獪にコチラも権謀術策の限りを尽くし、目的を達成する程度の悪知恵は求められる。

 

【国際部半島情勢デスク】