時事旬報社

時事問題を合理的な角度から追って行きます

LGBTの生産性:性的少数者に対する当社の見解

生産性がない

 与党女性議員による「LGBTは生産性がない」発言により所謂「性的少数者」に対する議論が噴出している。「生産性がない」との主張には「子供を作らない伴侶は国益に反する」との含意があるのだろう。主張を掲載した記事(「新潮45」2018年8月号)の趣旨は、「人口増加に無益なLGBTには無駄に税金を使うな」であることから、この議論の「生産性」とは日本という領域限定で生み増やし、労働力人口ならびに納税者人口拡大によって国家に寄与する伴侶を「生産性がある」=「国益がある」と位置づけ、その反射的立論として「LGBTは生産性がない」と談じたのである。

 

 「生産性がない」などと意図的に鋭利な表現を使ったため問題が拗れる。言うまでも無く、独身者であろうが、LGBTだろうが国民経済の生産性に貢献している。「生産性のない人間」とは「生きる価値のない人間」とすら拡大解釈する余地があることから、この表現は人権問題にまで飛火する全くもって愚昧浅薄な一言である。
 では、「少子化が進み、人口減少が収まらない」という国難の一点のみに限定すれば、「生産性はない」に道理があるといえるだろうか。この点のみに集中し、その是非を合理的に追い、「性的少数者に対する当社の見解」を本稿において明確としたい。

 

 結論から言えば、「男に乳首が存在する」事実が、この問題の最終的な解答となるということである。

 

有性生殖の合理性

 そもそも何故男性と女性に分かれるのであろうか。有性生殖は人間だけのものではない。多くの生物が雄と雌に分かれるが、性の分化は進化の途上で出現した。分化する前の種は無性生殖、つまり親と同一のクローンを作って子孫を増やした。進化によって性が分かれたということは、そのほうが種の存続・継承に都合がよかったからと考えられる。

 

 雌雄に分かれると両親の遺伝子を配合した子孫が誕生する。「背が高い低い」、「毛深い、毛が薄い」、「暑さ寒さに強い弱い」など子孫に継承される個体としての形質に幅が広がることより、種を自然環境の変化に柔軟に対応させることができる、つまり地球史に繰り返された環境変化による種の断絶危機に備えるため、雌雄遺伝子配合子孫をもって適者生存の可能性を高めた。種の継承に「進化」が合理的に起ることを前提とすると「性分化のメカニズム」はこのように整理できる。

 

 『はるかなる記憶』(カール・セーガン、アン・ドルーヤン共著)によると生命に運命づけられる寿命という「生の有期限」は、有性生殖体だけの特質である。アメーバやウィルスなど無性生殖体は、外的要因(紫外線を浴びた、栄養源がなくなった等)がなければ寿命で死ぬことがない(永遠に生きる)。
 有性生殖体のみが「寿命で死ぬ」ということは、雌雄は結合によって子孫を残せば任務を完了し、後は死する運命とすることを進化が企画したといえ、このことからしても、性の分化は種の存続・継承に関係していると結論できる。

 

 この結論だけをもってすると、LGBTは「非生産的」との道理を肯定しそうにも思える。しかしそうではない。進化のメカニズムは、人類の狭い思考力では想像できぬ広さを持つと考えるべきである。その傍証が「男の乳首」である。

 

男の乳首

 男の乳首ほど無用なものはない。男の一生で、一度でも「乳首が役に立った」などと経験するものはいまい。使わないのであれば、退化してなくなってもいい。今後、進化が進み男の乳首は消滅するであろうか。おそらく退化することはない。乳首はこの先も男の胸に残るはずである。
 生物を幅広く見回せば、男(雄)の乳首が役だったとの事例が散見される。例えば昨年7月の以下のニュースである。

 

「えー!2代続けて雄ヤギから〝母乳〟 獣医師が確認、兵庫・南あわじ市

https://www.sankei.com/west/news/170517/wst1705170029-n1.html

 

 記事は、母親ヤギの乳が途切れ、慢性的な乳不足から、始終乳欲しさをねだる子ヤギを不憫に思ったか、父親ヤギが自らの乳首からミルクを出したことを伝える。非常事態となれば男の乳首も役立つのだ。


 「腹を空かせた子ヤギのため」という情緒的な事態ばかりではない。将来、奇病が発生し、女性だけが死滅するなどといった非常事態が起らないとは限らない。男のみ生き残った人類は呆然と立ちすくむかもしれない。人類の英知ではどうしようもなくなる。しかし失意がどうであれ、遺伝子の奧底では「男だけで何とかしよう」と進化(突然変異)を起動させるであろう。男の乳首はその時、必要となる。
 女性が短期間に死滅してしまえば進化は間に合わないだろうが、50年100年と時間をかけて少なくなるというのであれば、進化は何とか非常事態に対応しようとするはずだ。

 

 この問題は絵空事ではない。近年の調査によれば男性の精子の濃度が世界的に低下していると報告され、このままでは男女による子孫継承が難しくなるとの予測がある。一方、男性特有のY染色体は脆弱であり、将来「男は絶滅する」などの説もある。いずれかの性が消滅する事態は「起こりうる」のである。

 

変態とヘンタイ

 「変態(ヘンタイ)」という用語には生物学的な意味と俗語としての用法がある。環境変化により男の乳首からミルクが出てくれば生物学的な「変態」といえるが、父親が乳首を赤子に吸わせるシーンは、漫談としては「ヘンタイ」、つまり性的異常行為と映る。

 子ヤギを不憫に思った父親ヤギの乳首からミルクが出たという事象は、「変態」であり「ヘンタイ」でもある。しかし種の起源と進化との視座からすれば、その行為は、遺伝子が持つ正当かつ合理的な現象と言える。この現象を遺伝子の本質的な「生産的」機能と言っても構わない。

 

 LGBTは、少数派であるが故に多数派の狭い了見から不埒と見做されがちであるが、その実体は男の乳首をせせら嗤うに等しい。男の乳首は男全員に共通する形質であるから差別にはならないと言うだけである。男の乳首が100人に一人しか発現しないのであれば、社会はソレを不埒とするであろうし、中には非生産的と酷評する向きもあろう。

 

 歴史を紐解けば随処に同性愛の記録が残る。おそらく人類の起源と共に同性愛の歴史も始まったのだろう。進化は種の存続・継承を有利とするため性を分化させたのであるが、並行して一方の性が消滅するという非常事態に備える安全装置を遺伝子に組み込んだとしても不思議ではない。実際、今でも男の胸には乳首が残っているのである。

 

 同性愛者の割合が、時代を通して一定比率であるのか、変化するのであるのかは分らない。しかし例えば仮に、過去より現在の方が比率が高く、しかもレズビアンの方が、ホモセクシュアルよりも相対的に拡大する傾向にあるなどの状況があれば、社会がLGBTを嗤っている間に、遺伝子は精子の劣化とY染色体の危機を早々に察知し、来るべき非常事態に備え、進化の動力を動かし始めたとみることが出来る。

 

 嗤っているどころではない。人類最後の希望が、LGBTとなる日が来ないとも限らないからだ。

 

【社説】

ベーシックインカム:日本が天国となる日(6)

業火の火種

 確か天声人語だったと思うのですが、タリバンに爆破されたバーミアンの石窟大仏を痛むコラムが掲載されました。筆者は破壊された大仏を擬人化し、爆破される自らの境遇を描いたのですが、貴重な古代遺産がこのような形で消滅することを嘆きながらも、「慈悲と救いがわが身(大仏)の使命であるにもかかわらず、世界で最も貧しいとされるこの地域(アフガニスタン)で自分は何も出来なかった。せめて、この身を犠牲にすることによって世界の注目を集め、人々の救済を次の世代に繋ぐのだ」、といった内容でした。

 

 タリバンが大仏を爆破したのが2001年3月でした。1991年にソビエトが崩壊、冷戦が終結したことより国際社会は平和と繁栄の時代を迎えるものと期待が高まったのですが、突として、その後の世界はタリバンアルカイダイスラム国と国民国家を構成単位とする伝統的な世界秩序からは想像できない新手の業火を生み、その炎は旧来秩序を壊しながら世界中に飛火しました。

 

 国民主権基本的人権といった普遍原理、あるいは自由選挙、三権分立罪刑法定主義など近代国家に不可欠とされる社会統治システムや価値観が、新しい業火には通用しません。今、市民革命から現代国家へと連なる欧米型国家発展のプロセスとは全く異質の経路に由来する新社会勢力が生まれはじめたといえるかもしれません。

 

 キリスト教勢力とイスラム教勢力との対立、あるいは民主主義と全体主義、資本主義と社会主義との対決など業火反業火の抗争は「イデオロギーの違い」との面があります。しかしイデオロギー云々の前に、この対立が「持てる国」と「持たざる国」という国家や地域的経済格差を背景としていることも明白です。
 極貧が続き、自分も自分の子孫さえも「全く希望は無い」という絶望感が地域を巻き込む業火の火種であることは疑いようもありません。

 

 一方、巨大な経済大国であっても同様の火種がくすぶります。例えば現代中国史の専門家 遠藤誉東京福祉大学国際交流センター長が伝える「チョコレート女子事件」です。
(以下、同センター長がNewsWeekに掲載した記事の一部を転載します)

www.newsweekjapan.jp


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 昨年(2015年)12月28日、甘粛省金昌市永昌県の13歳になる少女が華東超市(華東スーパーマーケット)東街店でチョコレートを万引きした。少女はその日の昼、水しか飲んでいなかった。昼食のために学校から家に戻ってみると、テーブルの上にはわずかな小銭が置いてあるだけだった。華東スーパーがある広場でポップコーンを売っている父親に電話すると、その金で何か買って食べてくれという。少女は家で水だけ飲むと、その小銭で父親のためにうどんを買い、父親に届けた。お前が食べろという父親に「おなか空いてないから、いらない」と言い、その場を離れた。父親は無理やり別の小銭を少女に渡した。

 

 目の前には何でも売っているスーパーマーケットがある。

 少女は思わず店の中に陳列してあるチョコレートに手を伸ばしていた。

 家は貧乏で、チョコレートを買うお金などない。

 スーパーの監視カメラが少女の行動を撮っていた。

 店員に捕まり、客の前で激しい詰問が始まる。

「名前は?」「さっさと名前を言いなさい!」「学校はどこなの?!」「親の名前は?!」「親の電話番号を言いなさい!」

 店主も出てきて、容赦なく罵声を浴びせた。

 周りの客が、「もう、その辺でいいだろ?品物も返したんだし...。学校に戻してあげたら?まだ子供なんだし...」とかばうが、店主は引かない。

 少女は屈辱のあまり何も答えられず、ようやく母親の電話番号を言った。

 

 母親が来ると、店側はチョコレートの10倍はする150元を出せという(1元は約18円)。払わなければ警察に通報し、学校に通知すると脅した。

 しかし母親は10元しか持っていない。

 母親は娘を店で待たせ、ポップコーンを売っている夫のところに飛んでいき事情を話した。二人合わせてかき集めた金額は95元。急いで店に戻り、店主に有り金ぜんぶを渡した。

「だめだ! 足りない! 150元出さなければ警察に通報するぞ!」

 押し問答をしている内に娘の姿が消えていることに気がついた。

 ハッとした時には遅かった。

 

 少女は17階の屋上に行き、飛び降り自殺をしてしまったのである。

 

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/02/post-4449.php

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 この事件を知った民衆は激怒し、一部は暴徒化して当局は数千もの武装警察を投入し鎮圧するほかなかったと記事は伝えています。


 バーミアンにしろチョコレート少女にしろ、共通する問題の根源は「貧困」です。努力すれば報われるというシステムが機能せず、誰もが希望を喪失すれば業火が社会を丸焼けにするでしょう。種を継承するために生命体に進化が起るのだとすれば、市場経済の矛盾が極大化し、多くが生存するのも危ぶまれるという極端な状況に追い込まれれば、生きるために本能が市場経済とそれを成り立たせる社会システムを破壊するように進化したとしてもおかしくありません。

 

 チョコレート少女のようにこの火勢は、市場経済に見捨てられた辺境だけの問題ではありません。経済大国にも大火となりかねない火種が存在します。「努力すれば報われる」がなくなれば国内国外どこからでも焼土が始まります。

 

カネをどうするんだ

  国際的にベーシックインカムの議論が始まっているのも、今の社会システムでは早晩「努力すれば報われる」を維持できなくなるという強い危機感があるからです。マーク・ザッカーバーグイーロン・マスクベーシックインカムを率先して擁護するのも、急激に進むICTやAIの技術革新がいかに旧来型の労働市場を一変させ、無策でいれば、「街中が失業者で溢れかえる」近未来を肌身で感ずるからでしょう。

 

 今後20年以内に人間が行なう仕事の90%が消滅するとの試算もあります。人口の90%が失業者となり、日干しとなって斃死するしかないというのであれば、おそらく「業火」はヒトが生存のための正当な進化といえます。
 セーフティーネットとして失業保険が期待されます。しかし、90%が失業保険で生活する、というのであればベーシックインカムを実施しているのと同じです。勿論、その失業保険も国庫が底をつき支給がストップした段階で業火と化すでしょうから結局は同じです。

 

 「国民である」との資格だけで、誰もが無条件で生活費を支給されるというベーシックインカムは非現実的な話に見えます。20年以内に90%が失業する、も極端な予測かもしれません。「カネをどうするんだ。カネがなければ出来ないだろう」と怪しむのは当然です。


 ですが、事は大地震や巨大津波のように「いつ発生するか分らないが、発生することを前提に対策を準備しておかねばならない段階」に入りつつあると戒めるべきです。異変は落雷のように瞬時に起るのか、小雨がゆっくりと堤防の水かさを押し上げてゆくようにジワジワ進むのかも分りません。どうであれ、産業や労働市場の地脈に誰も経験したことがない波動が観測されることを軽視してはなりません。

 

 技術革新が伝統的な旧来の労働市場を奪うことは珍しくありません。しかしこれまでは、技術革新が新たな労働市場を創出し、失業者を吸収できました。ところが、AIやディープラーニング、IoTといった一連のテクノロジー革命は、いずれも「省労働力化」、つまり人間が行う活動の代行を目的としています。ヒトの活動を代行する(人手をなくす)こと自体が目的の技術革新ですから、「その新技術から新たに(人が行う)労働市場を形成する」は望めません。人が行う活動余地が残る、というのであれば、それは新テクノロジーとして不十分であることを意味し、技術を改善して「余地」も取り除かれてしまうでしょう。

 

 教育や物流といった定性定時的産業は勿論、医師や為替ディーラー、小説家や作曲といった従来人間の高度な知性に拠る他ないとされた仕事すら人工頭脳が代行するのはもはや時間の問題となりつつあります。誰もが経験したことがない産業社会が近づいていることは直視しなければなりません。

 

 もし無策のまま業火が世界を席巻してしまえば、新人類の意識は、資本主義や市場経済を恰も「ヘビの死骸」かのように忌み嫌うはずです。店頭には商品が並ぶのに稼ぐ術がないとなれば、市場経済は「生存」に対して害悪でしかありません。しかし貨幣経済を否定してしまえば、物質文明、更には物質文明から生まれた崇高な精神文化も壊れてしまいます。

 

 

 天声人語は、地域の惨状を訴えるため石窟大仏は一身を犠牲にした、としました。しかしソウとは限らないかもしれません。大仏は貧困がこのまま世界を覆ってしまえば、人類がどうなるかを伝えたかった、のかもしれないのです。


(社会部デスク)

「拉致問題」と「戦後賠償(補償)問題」(2)

拉致問題と戦後賠償問題を天秤に

 米朝首脳会談から三週間ほどが経過した。当初拍子抜けと思われた会談であったが、ポツリぽつりと会談の内情を伝える周辺情報が漏れ出てくる。憶測なのか、根拠有る情報源であるのか、玉石混交ニュースが乱れる中にあって目を引くのが「会談で完全非核化に要する費用500億ドル(5兆5000億円)を日本が拠出する約束をしていた」との一報である。日本も加わる密約があった、というのだ。

 先月25日(月)、菅官房長官は「報道にあったような事実は全くない」とすぐさま否定したが、この一報のニュースソースがよく分らない。公表されている記事を見る限り、この報道を自社スクープと明言しているのは世界日報だけであるように思える。
 http://www.worldtimes.co.jp/world/korea/87688.html(2018/6/25版)

 記事の中には「日本政府関係筋が24日、本紙に明らかにした」とあり、当社の独自取材によりスクープを得たとする。ソウだとすると、この報道の当日に政府は「事実は全くない」と否定したことになる。

 

 事の真偽は分らない。通訳のみの二者会談の内容は勿論、合同会合の協議結果についても公式発表には具体的事項が乏しい米朝会談であるから、このようなスクープはよほど高度な情報源がない限り入手できないはずだ。にもかかわらず、連なる大手通信社・新聞社を出し抜き中堅新聞社がこれほどの特ダネをすっぱ抜くことなど出来るのだろうか、との疑問は残る。


 しかし、この一報で「やはり、、、」と感じた向きもあろう。膠着した拉致問題を進展させる絶好の局面である。日本としては、戦後補償とピョンヤン宣言の合わせ技「経済支援」は、北朝鮮に対する唯一のカードといえる。「今、カードを切らずして、いつ切るのだ」と官邸が考えたとしても不思議では無い。


 
 外形的には「北朝鮮が得たもののほうが多い」とされる米朝会談に、トランプ大統領が大成功大成功と有頂天になるのも、安倍首相が「私の考えを伝えて頂いた」と繰り返すのも、このカードと符号する。
 何事もビジネス(利益)が思考秩序であるトランプ大統領にとっては、腹ぺこ北朝鮮が巨額戦後賠償に飛びつくことは疑う余地も無く、釣り竿にぶら下げた「日本の戦後補償」に北朝鮮が食いついてくれば、後は釣り上げるだけで、えさ代タダにして釣果を料理できると踏んだであろうし、日本としてはアメリカの釣り棹捌きに乗じて、拉致問題を盛り付けてゆけばいいと計算できる。戦後賠償は日米共有のカードなのだ。

 

 しかし日米の思惑通りには急展開しない。前号で触れたように戦後賠償ほど北朝鮮にとって大義が立つ資金はない。米韓中露いずこが経済支援を行なっても、それは支援なのであって困窮する北朝鮮への見舞金である。しかし賠償は違う。国土と人民に非道の限りを尽くした日帝日本帝国主義)が奪った財産への返還請求権であり、いわば日本への貸付金のようなものである。これをもぎ取れば、金正恩「73年目にして日帝に勝利し、同時に65年にして朝鮮戦争を完全終結させた希代の指導者となり、その権威は建国者金日成を凌ぐ神話となってもおかしくはない。
 つまり日本の戦後補償は、日米だけではなく北朝鮮にとっても核放棄交渉の行方を左右する重要な駆け引きなのであり、是が非でも北朝鮮の思惑通りに吐き出させねばならない体制維持の要でもある。

 

中間選挙を読む北朝鮮

 米朝会談後即座に進むと思われた核放棄プロセスは、北朝鮮牛歩戦術に再び膠着しているように見える。トランプをコケにすれば、何が起こるかは充分理解しているであろうが、北朝鮮としては年末に向けてのアメリカ議会制民主主義がトランプの弱点であり、そこを見透かしての計算があろう。


 11月6日の議会選挙では435の下院全議席が改選される。丁度大統領任期の半ばに行われるので「中間選挙」と呼ばれる。議員選挙であるが実質上、大統領への信任投票となる。下院は日本の衆議院にあたり、国政に関し上院に優越する。現在、下院はトランプ政権を支える共和党過半数を超えるが、万一、中間選挙に破れ野党に転落すると政権には一大事となる。大統領弾劾決議を民主党が発議し可決できてしまうからだ。
 ロシアゲート事件など弾劾決議の下地はすでにある。可決されれば一期満了を待たずして大統領は失職することになる。トランプ政権にとって今後半年の最優先事項は「中間選挙を乗り切る」に違いない。

 

 米朝会談開催を急いだのも、大使館をエルサレムに移転したのも、イラン核合意を反故にしたのも、中国やヨーロッパと関税紛争を起こすのも中間選挙と無縁ではあるまい。いずれもブーメラン効果により政権にとって失点となるリスクを抱えるが、半年間は、アメリカン・ファーストを標榜する政権の加点として維持されねばならない。
 そのためには米朝会談は大成功大成功を繰り返すだけで、当座具体的な成果はなくてもよいが、あからさまに失敗が明白となる北朝鮮の暴挙が発生すれば途端に苦境に至る。北朝鮮もその点は熟知しているであろうから、このゴールデンタイムにおいて米朝会談という大勝負で決定的な一本勝ちを取ろうとするだろう。

 

 北朝鮮の決勝打とは何か。言うまでもなく

 (1)和平による軍事的緊張状態の除去と制裁の解除

 (2)アメリカによる国体護持の保証

 (3)日本から巨額賠償(貸付金の返還)を取り付けることである。

  そしてその付随事項として、こざかしい日本が騒ぎ立てる「拉致問題」をなかったことにする、が加わる。

 

 「日本はアメリカを使ってコントロールするほうが御しやすい」、北朝鮮ならずとも「日本を取り扱うには」の常道である。北朝鮮中間選挙の直前に弾道ミサイル実験でも行えばトランプ政権には大打撃となる、トランプが逆ギレしない程度に操縦しながらこの弱みを巧みに衝けば、「賠償金を先払いするように、オレからシンゾーに確約させる。拉致問題は後回しだ、、、」をねじ込むことができるかもしれない。

 残り三ヶ月となったゴールデンタイムに一本勝ちし勝負を決める。何が北朝鮮にとって理想的な決着かを論理的に追えば、その思惑はほとんど自明である。

 

1000人の拉致被害者

 ところでなぜ北朝鮮は、「拉致問題は解決済みである」を譲らないのであろうか。米朝会談が友好的に終わったこの段階であるから、ここで誠意をもって対応すれば、アメリカを使わずとも日本の戦後補償は円滑かつ早急に進む。拉致問題をカードと考えているのであれば、「今、カードを切る」もありそうに思える。にもかかわらず拉致問題は解決済みで、「終わった問題を蒸し返すな」を繰り返す。

 もっと有効で高値が付くタイミングがある、と読んでいるのだろうか。それとも真実を公開できない事情があるのだろうか。真実を知れば、日本国中に衝撃が走り、報復に燃え上がるなど特段の事情があれば、事実に蓋をし地底に葬ろうとするだろう。一体何が真実なのであろうか。

 

 

 政府が認定している拉致被害者は17人。拉致された可能性が排除できないとして警視庁が捜査している失踪者(特定失踪者)は868人である。2002年帰国した曽我ひとみさんは特定失踪者の一人であったことより868人も軽視できない。1000人にも及ぶ日本人が誘拐された可能性がある。


 拉致は、大方1976年から1987年の11年間に実行された。被害者の年齢には幅があるが、現在40~60歳代が多く特別なことがなければ未だ存命のはずである。しかし1000名ほどの被害者の具体的な音沙汰がほとんど漏れ出てこないのは不思議である。
 勿論被害者は当局の厳重な管理下にあるだろうから容易に日本に近況を一報できるものではない。とは言え、被害者が結婚し子供がいれば、関係者は数千人となる。毎年1000人が脱北する状況であるから、「自分の親は拉致被害者だった」、「被害者と会ったことがある」などの証言が定期的にでてきてもおかしくはない。大勢が特定の大規模施設に収容されているのであれば、近隣住民の「見聞きした」噂を完全に管理するのは困難と考えられる。
 北朝鮮当局としても多くを収容給養するのはコストであり、当たり障りのない被害者をまとめて帰国させる、あるいは取引を繰り返し二人三人と小出しで返還してもよさそうであるが、そのような気配すらない。北朝鮮にどういう事情があるのかは分からないが、拉致問題は黙殺、無かったことで決着し、「戦後補償と国交正常化を日本に強いる」が死守すべき方針のように見える。

 

北朝鮮の蛮行わするるべからず

 さて日本である。米朝の思惑に日本が乗ずる策があれば、つけ入るのは当然だ。しかし、戦術であるとしても、拉致問題未解決のまま「戦後補償を先走る」は到底受入れられるものではない。いかにアメリカが威圧しようが、日朝関係の正常化は日本が納得する拉致問題の解決が大前提であることは国民の総意といってもよい。

 

 また戦後補償と拉致問題は同列で語るべき問題ではないことも再度改めておきたい。「戦争とは他の手段をもってする政治の延長に他ならない」とするクラウゼビッツ・テーゼの通り、戦争自体は国際法違反ではない。戦争も植民地支配も敗戦国、被植民地国に甚大な惨禍をもたらしたといえども当代所定の手続のもと履行される限り、国際紛争を解決する国際政治の一態」と整理しうる。

 

 しかし「他国に不法に侵入し、住民誘拐を繰り返す」は明白な国家犯罪であり、政府主導のテロリズムである。その暴挙は帳消しを求め、植民地賠償のみ主張するは、低劣であり言葉を失う。しかも拉致は過去の問題ではなく、現在進行形である。残り時間も逼迫している。解決が遅れれば、被害者もその家族も益々「願い」を来世に繋ぐほかなくなる。


 そしてついぞ北朝鮮が拉致を無きになし、当事者・関係者をして「来世に願いを繋ぐに至らせた場合」は、この蛮行を決して忘れてはならない

 

例え邪知狡知であろうとも

 北朝鮮への戦後賠償自体に反対する意見は少ない。日本の世論は韓国同様、北朝鮮に対しても植民地時代の贖罪として補償金を支出することを受入れるだろう。米朝関係、日朝関係が大転換するチャンスであるこの機に、過去を正当真っ当に清算し、正常化することを望む。
 しかし、自らの暴挙は忘れ、「君たちの先祖は殺人鬼だったんだよ」を声高に「自分のカネを返せといっているだけだ」と臆面もないのであれば、日本も毅然とするほかない。

 事この期に及んでは、もはや「元の木阿弥」で何事も無かったかのように再び膠着に戻ることも耐えがたい。無理にでも事を動かすためにこの際、日本も邪知狡知全てを動員するべきであると思える。

 

 そのために一兆円程度の戦後補償金を国際機関など第三者供託するのはどうか、と思う。一兆円は賠償金として北朝鮮に支出するものだが、拉致問題の全面的解決を停止条件とする。一兆円は北朝鮮のカネだが、日本が拉致問題は解決したと宣言しない限り引き出すことができないカネだ。
 その際、おそらく北朝鮮が「煮えくりかえる」であろう以下の付帯条件を付ける。

 

 「合法非合法を問わず、日本人拉致被害者を救出すれば、一人につき10億円を供託金から支払う」

 

 供託金を被害者救出の懸賞金の原資とする。日本が拉致問題終結宣言を出さず、原資が供託金として留保されている限り、懸賞制度を継続する。中国ロシアなど北朝鮮の友好国あるいは国内から賞金稼ぎを出現させ、一人でも二人でも脱北させるのが計略である。脱北賞金分は当然、賠償金から減算する。実際、拉致被害者が1000人であれば、賞金合計額だけで一兆円となるため、全員を賞金稼ぎが脱北させれば、北朝鮮の取り分はゼロとなる。一人でも帰国できれば、「拉致は解決済み」とする北朝鮮の欺瞞を暴露することもできる。


 本当の被害者かどうかは直ぐに分るはずだ。万一、無関係であっても何かしらの接点があれば、慰労金を準備すべきである。情報だけでも有益である。賞金は危険を冒してでも「やる」との動機付けとなる「高額」でなければならない。
 韓国は勿論、欧米、アジア、アフリカ、各国各地に懸賞金を宣伝するべきである。世界中の賞金稼ぎが関心を寄せれば、日本人拉致問題という国際犯罪を世界に広く認知させることになる。

 

 「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」した日本としては、恥ずべき邪道であるかもしれない。しかし国際的な誘拐事件で政府が救出賞金を設定することは珍しくない。一方の北朝鮮はすでに、状況を読んでは拉致問題を戦後賠償交渉の取引道具と化しているのであるから、日本が同種同様の対抗措置を選んだとしても、さして引け目を感ずる必要は無い。

 

 

 日本が何もしなければ、米朝あるいは米韓朝の談合によって拉致は黙殺したまま、日本の戦後補償を決めてしまう可能性もある。外圧によって巨額戦後賠償拠出を強いられ、結局帰国した5人以外拉致問題は闇に葬られ、残り全員が来世に願いを繋ぐ他ないなどという事態となれば、これほど主権国家として情け無いことは無い。
                                                                                                                                 敬称略

 

(国際部 半島情勢デスク)

 

「拉致問題」と「戦後賠償(補償)問題」(1)

 半年程前であれば、誰も予測できなかった北朝鮮問題の急変には唖然となるばかりである。評価が分かれる今次の米朝首脳初会談であるが、総じてアメリカよりも北朝鮮の方が得るものが多かったとする論評が多い。米朝で密約でもなければ外見上はソノように見える。


 しかし世界的にこれだけ関心を集めたのだから、非核化をとりあえず容認した北朝鮮が「何もやらなければ」今度は、旧を倍にして国際的な非難が集中するであろうし、トランプ大統領が「コケにされた」と確信すれば、金正恩委員長の宿願「国体護持」は途端に建国以来の危機を迎えるとのプレッシャーもあるだろうから、トランプ流「褒め殺し」にもそれなりの効果はある。


 となれば、日本最大の北朝鮮問題である日本人拉致問題が進展するかに期待が高まる。しかし会談を終えた現在、肩すかしをくらったかのような空虚感が漂う。

 

 外電によれば、大統領から委員長に日本人拉致問題の提起があったことは間違いないようである。しかし両者がどれほどの問題意識を「持っていた」あるいは「持ったか」は分らない。会談前の期待値が高かっただけに目立った進展がないことをあげつらい、一部報道機関からは「そもそも日朝二国間の問題であるにも係わらず、何故人任せにした」というような政府の無策非難なども噴出する。


 拉致に関しては「空振り」の米朝会談を機に、急遽、日朝会談実現に慌てふためく様を揶揄する論調なども見られるが、会談前後から部分的にこぼれ落ちる周辺事実を広い集めると、「どうもソウではない」と思えるフシがある。

 

 ソノ周辺事実とは、トランプ大統領の以下の一言である。


(1)「核・ミサイル問題解決後の北朝鮮経済支援は、韓国・中国・日本がやるだろう。アメリカはしない」
(2)「日本に経済協力をしてもらいたいなら、拉致問題にしっかり取り組むように」(米朝会談で金正恩に伝えたとされる)


 また安倍首相の一言も深意がありそうである。


(3)「(拉致)問題についての私の考えについては、トランプ大統領から金正恩委員長に明確に伝えていだだいた」

 

 いずれも米朝会談後の一言であるが、唐突な不思議な言い回しである。
 そもそも(1)であるが、「カネは中国や韓国が払う」などと宣言され、おいそれと中国や韓国が「了解しました」とへつらう筋合いではない。勿論、将来ソウなるかもしれないが、あくまで中国、韓国の自発的判断によるもので、いわば「余計なお世話」の類いといえ問題をこじらせるだけである。

 にもかかわらずこの一言をこぼしたということは、経済支援の金策については、根拠となるなにがしかの腹案があったのかもしれない。


 その腹案とは日本からの拠出を念頭にしているのではないかを匂わせるのが(2)である。そして(3)の安倍首相の「私の考え」発言である。「私の考え」とは何か。「考え」が「拉致被害者を帰国させてほしい」というだけであれば、あえて「私の考え」と、ことさら述べる必要はない。単に「拉致問題については、トランプ大統領から金正恩委員長に明確に伝えていただいた」で済む。


 だとすれば、「私の考え」とは、「拉致問題解決に対する『私の考え』」と解するべきで、返還に関する具体的な腹案があったと考えることができる。その腹案がトランプ大統領の腹案と一致しているのであれば、(1)(2)(3)は一線に揃う。


 つまり腹案とは、「核・ミサイル問題と並行して、拉致問題が解決すれば、経済復興の資金支援は日本が率先して行なう」、その場合の経済支援とは「植民地支配の戦後補償として実施される」と読める。事によると具体的な「補償額(数字)」もすでに伝えたのかもしれない。

 

 北朝鮮にとって日本の戦後補償(賠償金)ほど巨額かつ大義が立つ資金はない。米中韓からの経済支援は、衰弱した北朝鮮を援助する浄財のようなもので、慈悲であり施しである。給付までには何度も頭を下げ、支払に条件を付され、使い方にも制約を受けるかも知れない。

 しかし賠償金は、言ってみれば北朝鮮が日本に持つ債権(貸付金)のようなもので、借金を返済するのは当然であり、返してもらった金を何に使おうが債務者が口出しできるものではない。

 

 「ついに日本が植民地支配の歴史的大罪を認め、巨額賠償の支払を承諾した」。これほど北朝鮮を昂揚させる魅力的な大義(スローガン)はない。その額は、日韓基本条約を算定基準とすれば、兆の単位に達するのは確実で、5兆円との試算もある。北朝鮮にとって米中韓の経済支援と日本からもぎ取る戦後補償とでは次元が異なるのである。

 

 金正恩委員長は今年の年頭挨拶で、「私を固く信じ、一心同体となって熱烈に支持してくれる、この世で一番素晴らしいわが人民を、どうすれば神聖に、より高く戴くことができるかという心配で心が重くなります。いつも気持ちだけで、能力が追いつかないもどかしさと自責の念に駆られながら昨年を送りましたが、今年は一層奮発して全身全霊を打ち込み、人民のためにより多くの仕事をするつもりです」と語った。
 経済が停滞し、慢性的空腹を抱える人民を憂い涙をこぼす映像が流れたとの報道もあった。

 

 曲がりなりにも「国家存亡の要とし、あらゆる犠牲を払ってでも開発を優先させた核戦力を放棄する」と公言したからには、人民をして「払った犠牲」を償う代償が即座に実感できねば、独裁政権といえども安泰ではあるまい。

 

 核保有国とのタガを外すのであるから国家団結の新しい吸引力が必要である。そのためには、抗日戦争に勝利し独立国家「北朝鮮」を建国した金日成国家元首の三代目が「戦後補償を勝ち取った」は、現体制を将来に渡り維持強化する最も理想的で「美しい」ドラマといえる。しかも兆の補償金があれば、当座人民を「腹一杯」にすることもできる。そのためにも、北朝鮮の胸中は、日本の戦後賠償確保は何ものにも代えがたい価値があると考えているに違いない。

 


 もし安倍政権がソコまで計算して米朝会談において「私の考え」を伝え、急遽、日朝会談の開催へと歩を進めたのであれば、かなりの高等戦術といえる。突然、開催が決まった米朝会談は日本としても予測できなかったであろうから、「決まった」段階から、日本のディールをトランプ大統領に仕込んだことになる。


 今回の米朝会談は、北朝鮮だけが得、アメリカは特段具体的な成果がないように見えるが、大成功を繰り返すトランプ大統領の有頂天の背後に「巨額の賠償金に北朝鮮が飛びつかないはずがない」との自信が隠れていると考えれば合点がいく。「アメリカはカネを出さないが、周辺国が出す」の一言にも繋がる。

 

 とはいえ、日本としては割り切れないものが淀む。拉致問題は国家犯罪なのであって、日本から北朝鮮に賠償を求めたい筋合いである。国家犯罪を放免するだけではなく、巨額賠償まで同意し、「勝った、勝った」と北朝鮮を小躍りさせる事態など、おいそれと承服できるものではない。
 しかしもはや一刻の猶予もない拉致問題を動かす方策として、政府が仮にこのような戦略をとったとしても国民は支持するように思ええる。

 

 勿論、拉致問題と核・ミサイル問題は一体であって、どちらが停滞しても戦後賠償はない。「巨額賠償、勝った勝った」と叫ぶには、正真正銘の決断と誠実な履行なくしてはあり得ないことは北朝鮮も十分理解しているだろう。
 「完全かつ検証可能で不可逆的」は、拉致問題にも当てはまり、例えアメリカが北朝鮮のサラミ戦術に押し切られ、見返りの小出しを始めたとしても、日本が拉致問題について毅然を押し通すのであれば、北朝鮮として理想的で完全な「勝った、勝った」が訪れることはない。

 

(付記)
 補償と賠償は、意味が異なる。日韓基本条約締結時、韓国は植民地支配の「賠償」を日本に求めたが、日本政府は「韓国と交戦状態にあったことはなく、戦争賠償金としての賠償を支払う立場にはない」として要求を拒絶、日韓基本条約上の補償金を「経済協力金」の名目で支出した。


 北朝鮮との戦後補償交渉にも同様の議論がありうるが、拉致問題、核・ミサイル問題解決の方策として戦後補償を進めるのであれば、表現がどうであるかはあまり意味がない。重要なのは取引が成立するか、である。


 なお、1965年の日韓基本条約には、北朝鮮分の補償金も含まれるとの議論もある。条約は経済協力金の支出だけではなく植民地時代に日本が半島に投資した公的財産、個人財産の全てを放棄するとともに韓国は対日請求権を放棄することを定めた。


 もし、日韓基本条約北朝鮮が含まれないとすると北朝鮮に残した財産については、「財産権を放棄していない」と解釈する余地が生まれる。逆に北朝鮮も含まれるのでれば、戦後補償を支出する義務は韓国にあることになる。

 

 ただし、2002年訪朝した小泉純一郎首相と金正日国防委員長(いずれも当時)が合意した日朝ピョンヤン宣言では「不幸な過去を清算し、多額の経済支援を行なう」ことを織り込み、実質的に国交正常化のため戦後補償実施を約したものと解釈されている。

 

(国際部 半島情勢デスク)

平成天皇の太陽

 来年の5月1日に年号が変わる。言うまでも無く今上天皇の譲位があるからだ。あまりにも不敬なことであるので、話は表にだすべきではないとも考えたが、やはり平成が終わってしまう前に筆者の体験を記録しておこうと思う。

 

25年ほど前の話である。当時私は都内の会社に勤め、事務所は赤阪見附にあった。確か4階か5階かのフロアで、目の前に首都高4号線が通る。丁度目線が道路の高さと一致し、窓からは首都高を往来する車がよく見えた。

 フロアの片隅には室内の喫煙場所がある。首都高との距離はおそらく30メートルぐらいで、ここからは運転手の姿まではっきりと分る。

 

 毎日この部屋でニコチンの補給をしていたのだが、ある日、いつものように一服しようと入室すると首都高の異変に気がついた。日中慢性的に渋滞している首都高が、この日に限って、車が一台も走っていないのだ。

「どこかの国の大統領でも通るのか」。外国要人警護のため交通規制された首都高はこれまでもあった。ほどなくパトカーに先導された黒塗りの高級車が近づいてくる。しかしVIPは外国要人ではなかった。車は両陛下の御料車であったのだ。

 

 大学時代、社会主義が好きであった私は、天皇制については懐疑的であった。出生により異なる身分が存在するということは非合理であり、自発的な民意によって伝統家系を繋ぐというのであればいざ知らず、憲法で殊更、異なる身分を顕示するのは筋違いではないか、それどころか「内閣の助言と承認」なくば、公に内心も「口にできない」などはむしろ人権問題であり、それこそが憲法違反である、と考えていたのだった。

 

 御料車はますます近づき、車中もうかがえる。運転手後席の天皇陛下は、前方を見据え目をそらすことがない。助手席後席の皇后陛下は車窓からの景色を観察されているようだ。

 「この人達が、かの天皇家なのだ」、偶然の遭遇に、憲法抽象論と俗物根性的な好奇心とで混乱し、漫然と通過を見守っていたが、まさに御料車が目の前を通り過ぎる瞬間、私は衝撃を受けた。 

 その瞬間、私と皇后陛下の目と目が合い、皇后様から先に会釈をされたのだった。

 

 直後の記憶が私にはない。気がつくと最敬礼の姿勢のまま、喫煙室で固まっていた。首都高はすでに普通車が走っていたので、瞬間からは15分20分が経過していたのだろう。

 戦後の平和教育を受けた私であったが、先代の倫理は体に染みついていた。しかしこの時、私は心に決めた。「二人が皇室である限り、天皇制のことを悪く言うのはやめよう」。そして悟ったのだった。「美智子妃殿下が平成天皇の太陽なのだ。やさしく、暖かく平成天皇を煌めかす後光であるのだ」と。

 

(編集部主筆

ベーシックインカム:日本が天国となる日(5)

 ベーシックインカム社会で暮らす、とは

 


 「日本国民である」との資格だけで誰もが、自動的に生活費の最低額(12万円)が支給される社会で人々はどのように暮らすのでしょうか。仮に12万円をもらったとしても半分が税金として徴収されるなどというのでは意味がありません。単に支給額の問題だけではなく、ベーシックインカム社会で暮らすためには、税制他社会制度も対応するよう整備されていなければなりません。

 

 今回は「ベーシックインカム社会で人々はどう暮らすのか」を空想してみましょう。

 

 世界で議論される「ベーシックインカム」ですが、その背景にはAIを初め、高度に進歩した技術革新によって「ほとんどの人手が不要となる社会の到来が近い」、つまりこのまま無策であれば大量失業時代が到来するとの切迫感があるのでした。「市民のほとんどがスラムで最低限の生活をする」、どこかの映画のシーンにでも出てくるような頽廃した絶望社会を回避するための一案がベーシックインカムなのです。

 

 この議論で注意したいのが、「技術革新が人手を不要とする」という点です。従来10人で100の価値(成果物)を産みだしていたところ、機械が導入された結果、人手(労働力)は不要になったというのであれば、「労働力ゼロでも100の価値は生産され続けている」という状況です。極端な話をすれば、国民全員が無職となっても「国家としてのGDPに変化がない」という状況がベーシックインカムの着眼です。
 不況で工場閉鎖(つまり価値の生産も中止)、その結果、労働力を対価とする収入も奪われる「失業」と、ベーシックインカムの「無職」とは議論すべき構造が異なっています。無策であれば街中に失業者が溢れるかも知れません。しかしベーシックインカム無職が大勢であっても、従来型の雇用とは別の「新しい価値」を産む役割を付与される「無職」が出現することになります。
 ベーシックインカムは弱者救済・扶助制度との一面がありますが、この施策は大量のベーシックインカム無職をいかに今後の新しい価値や経済市場を生み出す担い手とするかという国家的マスタープランを一体として導入せねば機能しないとの意味で単なる弱者救済とは次元が異なります。「ベーシックインカムが国力の源泉となる」との青写真が描けなければ、この議論は荒唐無稽の一言で終わってしまうのです。

 したがってベーシックインカムを持続させるためには、ベーシック無職を次世代経済の大黒柱へとシフトさせる社会システムの整備を推進しなければなりません。そのためには従来とは異なる「勤労」と「報酬」に対する発想の転換が求められるように思われます。

 

労働者との概念


 ほとんどのサラリーマンは「生活のために働く」のであって、「お金の問題はない」とならば、「仕事は辞めたい」、「転職したい」と考える人は多いと思います。ベーシックインカムはこの拘束を開放しますので、離職や転職は激増することでしょう。
 就業人口の数パーセントは「生涯仕事をしない」、「最低限の生活でよい」と割り切るでしょうが、おそらくその割合は、現在でも「生産年齢でありながら、生活保護で暮らす」人々の割合と大きく違いはないように思えます。
 多くは例え現職を辞めても、より豊かな生活のため、あるいは社会で生きる張り合いを得るために職を求めるでしょう。勿論、再就職者の間でも離職・再々転職は日常となるには違いありません。それでも「自分に与えられた使命を全うする=勤労する」は、人間の本能と専門家は指摘します。つまり、大方は、いかなる状況であっても「仕事をしたい」と願うはずで、必要なのは「働きたい」と「ここで働いてください」をいかにベーシックインカム社会で組み合わせるのかの仕組み作りです。

 

 とはいえベーシックインカム時代となると(旧来型の)就職先絶対数が激減していますので、「何の仕事をしようか」を自ら切り開く必要もあります。一部の天才的な起業家や漫画や小説家として一芸に秀でる人であれば、「何を」を探すのに苦労しないかも知れませんが、人並みの万人にはそうも行きません。
 ですから、「何を」については、その仲介をする社会システムが整備されていなければ一般人としては身動きがとれなくなります。そのためには、社会を躍動させる新エンジンを掘り起こさねばなりません。後継者がいなく消滅しようとしている日本の伝統工芸や耕作放棄地として廃れ行く地方の農地や山野に隠れたエンジンがあるかもしれません。当座は一銭の稼ぎにもならない仕事であってもとりあえず生活費は心配ありませんので、各地で地道に「取り組む」には好条件です。「廃れ行く」と「何を・・・」を結びつけるシステムが上手く機能すれば、「廃れ行く」を食い止めるだけではなく、新しい価値が生まれるかもしれません。

 

 また、ベーシックインカム時代では大学の役割が益々重要になると思えます。古典や現代文学、歴史といった人文学や法律、経済学といった実用社会科学も単なる愛好から本職へと考える人もいるでしょう。「どんな学問でも10年続ければ専門家」との例えもあります。真面目に「究めたい」と考える人には半生を大学で過ごせるよう門戸を大幅に開いても構わないのではないでしょうか。様々な専門分野に学会が存在し、学術の研磨を担っていますが、大学半生層が大挙して学会加入し研究に加わるというのであれば、それを「国益」といってもいいように思います。

 

 一方、理系の学部について、です。産業立国を支える技術革新は民間企業と大学の研究室が牽引しますが、理系に心得がある大学半生者が倍増すれば、新発見・新開発の可能性は向上するでしょう。民間の研究開発部門と理系大学半生が連携する仕組みも有効です。産業立国として国際競争力維持が国策なのであれば、むしろこちらの方が優先であるといえます。技術革新には製造装置や実験設備などの環境が必要で、この意味でも理系大学半生層が実験生産設備にアクセスできる制度が不可欠です。

 

 いずれにしても、「労働」という概念を「押しつけられる」から「率先して」に転換できるかが重要です。もし失敗すれば、ベーシックインカム社会の生産性を確保できず、新社会は立ち上がることなく潰えるでしょう。

 

使用者との概念


 ベーシックインカム社会では、労働者に対する使用者(雇用主)の立場についても大転換が認められるべきと思います。その一つは労働者の自由解雇です。「目つきが悪い」、「ウマが合わない」などこれまででは到底合理的な解雇事由と認められないような理由であっても雇用主の自由判断で解雇できる、その解雇による法的なペナルティもない、としてもいいように思えます。
 労働者はベーシックインカムによって嫌な職場はとっとと離職するでしょうから、使用者にとっても「一緒に働きたくない」と思える社員はさっさと退場してもらう、が結局は生産性に結びつくと思えます。非常識な話です。ですが、心底身勝手で最低な経営者(使用者)であれば、誰もそんな会社で働こうとはしません。その会社の勤務を続けるかどうかは、本人の自由意志だけに任されている社会です。社員が誰一人居着かない会社は自滅するしかありません。
 一方、社長との「ウマが合わない」が理由で社員が次々退職する会社でも、時として社長と意気投合する社員が現れるというのであれば、辞職と解雇を繰り返しながらも最終的に「ウマが合う」仲間だけが残れば、生産性は格段に向上するでしょう。
 好きな仲間と仕事ができるまで「何度も転職する、何人も社員を解雇する」が労使双方の日常であっても、「社会とはそういうものだ」と誰もが納得できるのであれば、それが常識となり、特段「人生は苦行」という根性論に固執する理由もありません。

 

 また、賃金に関しても新しい制度を導入すべきと思えます。ベーシックインカム分は、企業が支給する給与から控除してもいいのではないでしょうか。月給が30万円であれば、ベーシックインカム12万円を差し引いた残額18万円を企業の支給分とするということです。
 ベーシックインカムを実現するためには法人税や消費税など大幅な増税が必要となるでしょうから、財力の乏しい中小企業の経営を逼迫します。個人にとっては、生活保障金としてのベーシックインカムですが、法人にとっては販管費の助成制度とし機能させる。控除ではなく、ひと思いに現在の最低賃金を半額に切り下げるなどの荒技も一考かもしれません。
 東京都の最低賃金は現在958円、その半額となれば479円です。労働基準法が定める週40時間のフルタイムで一ヶ月労働した場合の月額最低賃金は約8万円となります。勿論、ベーシックインカムがありますから、個人としての最低月額所得は20万円(8万+12万円)です。個人としては月額20万円の収入、企業としては8万円の月給支給。この最低基準は、労使共に納得できる線ではないでしょうか。

 

 政府による人材派遣業


 以上のように想定すると、ベーシックインカム時代は現在の労働市場の常識はもはや成り立たない社会となることが予見されます。おそらく会社経営者以外の一般人は、政府が胴元となる人材派遣業の登録者のような身分となり、本人が納得すれば派遣先で働く、仕事が自分に不向きと思えば、次の派遣先の紹介を受ける。「派遣」という言葉にマイナスイメージがあり不適切というのであれば、特任公務員といった身分といえるでしょうか。
 特任公務員の基本給は月額12万円。この基本給は無条件に生涯保証です。基本給に加え、実績(赴任先企業での勤労)分が加算される。一芸を極めたいとか研究を大学で続けたいとか、地方に行き農業、林業、漁業に従事するというのであれば、合理的な評価基準に基づく相応の手当を受け取る。同時に従来型の労働市場が激減しているベーシックインカム時代ですから、新しいビジネスを掘り起こすシステムを整備し、ベーシック無職のアイデアを吸い上げ、起業へと誘導する政策を国家が牽引することも必要です。
 特任公務員を受け入れる会社経営者としては、ウマが合う人を自由に選別し、特に重用したい人材を役員とし、企業拡大へと繋ぐ。ベーシックインカムが成熟すると、企業は「固定人材:ウマが合う経営者(社長+役員)」と「流動人材:派遣された特任公務員(社員)」で構成されるなどの形となるかもしれません。

 

べーシックインカムで暮らすとは

 

 ベーシックインカムで暮らすとはこういった社会となるでしょうか。所得税地方税といった個人の税負担や社会保障費の支出については触れませんでしたが、月額12万円の基本給に賦課することは回避すべきと思われます。わずかでも基本給に手をつけると財政悪化となるや容易に増税し、果てはベーシックインカムを破綻させるおそれがあるからです。
 ベーシックインカムを始めるからには、途中で放棄・変化させないとの強固な意志と国家財政を賄う永続的なシステム整備が伴わねばならず、更には日本という国家の国際競争力も維持される仕組みでなければなりません。

 

 ヘソが茶を沸かすような空想と映るでしょうか。しかしベーシックインカムの議論は迫り来る巨大地震に備えることと似ています。見方によっては大地震よりも着実かつ広域に迫る危機であるとも言えます。地震の備えと異なりベーシックインカムは社会の構造を一変させることになります。
 その時、私たちは「どういう社会に暮らすことを望むのか」。誰も見たことも経験したこともない社会です。それを実現するというのであれば、大いに空想を繰り返し、全員で議論し、次なる社会の青写真を準備せねばなりません。

 

(社会部デスク)

ベーシックインカム:日本が天国となる日(4)

日本人が世界の手本に

 

 隣の半島情勢デスクでは、状況の激変に今後が読めず大混乱です。北朝鮮問題の成り行きは社会部としても他人事ではないのですが、コチラではもう少し日本社会の中長期的展望を追ってみましょう。ベーシックインカム実現の話です。

 

 スイスが国民投票ベーシックインカムを否決したことはすでに触れました。全員が無条件で自動的に生活費を支給されるようになると、勤労意欲は減退し、スイスという国家の海外競争力が奪われ、国際社会での地位が転落することを懸念したのでしょう。しかしもしこの時、世界に先駆けてベーシックインカムを始めたのだとすれば、スイスが全世界から羨望の的となったことは間違いありません。


 一人毎月2500スイスフラン(約28万円)を受給する。夫婦であれば一家としてその倍の生活費を受け取るわけですから、「万一失業すれば、、、」という切迫感、恐怖感から永遠に解放されます。これほどの安堵はありません。誰もが「スイス国民になりたい」と羨むに違いありません。

 

 この「羨み」ですが、現在の収入や資産の状況によって人それぞれソノ度合いが異なることは当然です。高給取りの多いスイス(独身者の平均月収6250フラン(約72万円))では、一律28万円支給はそれほどの魅力とは写らなかったかもしれません。しかしカスカスの収入でいつも腹ぺこな人たちにとっては28万円は天国以外の何物でもありません。日本のベーシックインカムを月額12万円と想定してココでは検討していますが、月給100万円か10万円かでは、日本人の間でもベーシックインカムの見方が違ってくることでしょう。


 また競争社会の今日、努力して高給取りを勝ち取った人と(努力した人から見れば)怠惰が原因で低賃金に置かれる人たちの間でもベーシックインカムの受け止め方が異なるはずです。努力して成功すれば「報われる」のは当然で、そうでなければ敗者としての「報い」を受けるのは社会の摂理だ、との主張もあり得ます。
 勝者にとっては、怠け者が何もせずに月額12万円を国から受け取ることなど「以ての外」となるかもしれません。実際、アメリカなどでは国政でもこのような議論が堂々と交わされます。
 民主党オバマ大統領は、日本の国民皆保険に相当する社会保険制度の実現を目指しましたが、医療費の自己責任を主張する反論が、共和党トランプ政権誕生の一因ともなりました。

 

 

 国民皆保険や年金制度、ベーシックインカムは、国による社会扶助制度です。日本で国民皆保険が本格的に始まったのは昭和33年、年金制度は36年からです。おそらく日本ではこの制度を否定する人はほとんどいないでしょう。日本の国民であるとの資格だけで、低額(定額)で医療を受けられる、高齢者となれば年金を受給する。あるいは失業し収入がなくなれば、失業保険を国からもらう、は社会としては自然のことである、というのが一般的な日本的感性と思えます。弱者救済は税金の無駄遣いだとの主張は聞いたことがありません。なぜソノ人が弱者となったのかは、二の次の問題です。


 様々な不備や課題を指摘されている日本の社会福祉制度ですが、世界を見渡せばソノ日本程度でも実現できない国は多く、問題だらけの年金制度にしても海外からは、すでに羨望されるほど整備されているのです。

 

 この意味では、日本はベーシックインカム実現に特別な地位にあると思います。財源の問題その他実現するための課題は山積みですが、少なくとも「日本人である」という資格だけで、誰もが均等に「報われる」という発想自体に抗う向きは多くないはずです。

 

 

 隣の半島情勢デスクでは、「このままでは日本はかやの外になる」、「韓国と北朝鮮が連携し、これに中国が加わり一体となって反日勢力に固まるとやっかいだ」、「もはやアメリカも自国の手柄を優先し、日本を置き去りにするかもしれない」などと侃々諤々です。
 そうなのかもしれません。しかしソレとは無関係に、もし日本でベーシックインカムをいち早く実現し上手に運営するのであれば、いかに周辺国が日本を政治や外交、歴史で非難しようとも、「日本人になりたい」に火をつけること受け合いです。
 ソレは日本の自慢です。「日本が世界の手本となる」と言ってもいいほどです。解決の緒が見いだせない近隣諸国との対外問題ですが、ヒョッとすると、国内問題が事態を動かす一歩となるかもしれません。

 

(社会部デスク)