時事旬報社

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財務省データ改ざん問題

森友学園加計学園:官僚忖度の無情

 本日、財務省が森友文章の書き換えを認めた。「文書は破棄した」の主張を撤回、その上で国会に提出した文章が改ざんされていたのだから、財務省としては度重なる失態である。しかし何故このようなことがおきたのであろうか。


 森友問題と加計問題は、次の点で本質が似ている。

 (1)共に官邸に対する忖度が行政府をして特定の第三者に便宜を与えた疑義。

 (2)共に教育機関設立に対し優遇があったのではないかとの疑義。


 大会社や官庁の出世の極意とは、「成功はしなくともよい。失敗だけはするな」であるから、官僚としては前例のない冒険は「やりたくない」が基本であろう。にもかかわらず特定私人の便宜や優遇となる無理筋を敢えて通したのであるから、よほど高度なパワーが働いたと考える他無い。言うまでも無くパワーの震源は現在の内閣総理大臣である。


 加計学園理事長は総理の竹馬の友である。森友学園開校には総理夫人が奇妙な形で関与した。二つの問題が同根であろうことは、もはや否定しがたい。

 しかしそれにしても「不思議」、、である。おそらく加計と森友では、首相の「思い入れ」は、桁違いだろうからだ。

 

 昨年5月、首相補佐官文科省事務次官を訪れ、「総理は自分の口からは言えないから、私が代わりに言う」と加計学園獣医学部早期開設を迫ったとされる。国会答弁でも加計問題について、総理は一人称で話す。直接指揮した当事者であることを否定しない。

 しかし森友学園に関しては、自分も妻も関係のない第三者の話と突き放す。対岸の火事であるもかかわらず風に煽れ迷惑にも火の粉が飛び込んでくる、といった風である。

 


 論理的に考えてもこの差異は推測できる。竹馬の友が官僚の岩盤規制により長きにわたり獣医学部新設が阻まれる恨み節は、総理も漏れ聞いていたであろうし、規制緩和アベノミクスの柱でもある。加計は総理の人情と政策が一体化した(少なくとも意識的には)重要政策であったに違いない。

 しかし、いかに愛国教育が総理の思想と符合したといえ、海千山千の森友新設小学校に政治生命をかけるような気合いがあったとは到底思えない。実際総理は森友学園については、ほとんど何も知らなかったとのフシがある。

 


 そこで忖度である。総理が自らのポリシーとして獣医学部設立を切望したとしても、行政機関の長としては固有名詞(加計)を出すこともできず、「何が言いたいかは分るな」的語法で間接伝意すれば、「前例の無い便宜で学園の早期開設」のみが伝令ゲームとなる。

 それでも岩盤を微動だにしなかった文科省については、首相補佐官を送り、直接「加計」を伝えたかもしれないが、財務省には「前例のない早期開設」のみ伝播したのだとすると、森友を加計と混同したとしてもおかしくは無い。

 


 今回の財務省改ざんデータ事件では、財務大臣も関与している可能性がある。邪推を拡大すれば、財務大臣も総理に忖度し、森友を押したのかもしれない。事が公になる前、財務大臣にとって森友と加計を区別できなかったとしても不思議ではない。


 そうだとすると更に一つ不思議が増える。邪推の通りだとすると、総理夫人まで忖度して、森友に特別な便宜を図った、となるからだ。夫人自体は、愛国教育の学園に特別な思い入れがあるとは考えにくい。夫である総理大臣の主義主張を体現する学校であるから森友に加勢したのであろう。しかし加計に比べれば森友など総理にはどうでもいい存在であろうから、夫人がその後、夫の立場を危うくするほど森友に肩入れしてしまったのは、やはり過剰な「忖度」とするべきなのであろうか。


 「主語を言わない、直接的な動詞を用いない、見方によって意味が異なる表現をする」など責任回避話術「永田町会話」に振り回され自殺者まで出したのだとすれば、「朦朧表現は罪だ」といえる。

 

社会部デスク