時事旬報社

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心に残る昭和の名画とドラマ

 

 

 「これまでの人生で最も感動した映画とドラマは何か」、この質問に即答できる人は少ないでしょう。名画や名作と呼ばれる映画、ドラマは無数にあります。とても一つに絞れるものではありません。ところが記者の場合、「アレとコレ」と断言できる一作があります。
 もとより文芸や演劇には、ほとんど関心が無く、「見た」作品も圧倒的に少ないのですから「アレとコレ」と確定できるのでしょうし、社会経験が未熟な多感な時期に「見た」ので、殊更印象深いということもあるでしょう。
 ともに「こぼれる涙を抑えることができない」感動のラストシーンであることが共通し、「生きるとは」を考えさせられる一作であることも共通しています。
 その「アレとコレ」は、「喜びも悲しみも幾歳月」(邦画)と「ROOTS」(米国TVドラマ)です。平成も残り僅か、昭和は遠のくばかりですが、記者が知る昭和の30余年間で出会った自己中な感動の巨篇2作を記録に残しておきます。

 

喜びも悲しみも幾歳月


 「おいら、岬の灯台守は、、、」の主題曲で有名な「喜びも悲しみも幾歳月」(松竹:木下恵介監督)が封切られたのは1957年、戦後の復興から高度成長へと繋ぐ過渡期でした。テレビ放送はすでに始まっていましたが、総天然色の映像娯楽といえば、圧倒的に映画の時代でした。記者がこの一作を観たのは、どこかの名画座だったと思います。二時間を越える大作ですが、登場人物にはタダの一人も「悪人」がいないという希有な作品で、出演者全員が純朴に誠実に自らに与えられた人生を全うします。


 物語は戦前戦後、日本の僻地へと転勤を繰り返しながら、過酷な駐在生活を送る灯台守夫婦(有沢四郎と妻きよ子)の生き様を描きます。灯台守とは、航海の安全を守るため灯台の灯火を維持する職員のことです。職員は3-5年のローテーションで転勤を繰り返し、台長(灯台長)他2-3組の職員夫婦で現地の灯台を守ります。


 殆どの灯台は岬の先端や離島など人里から隔絶された場所にあり、今のように交通機関も発達していないので町に出ることも容易ではありません。きよ子夫人は、夫(有沢四郎)と見合い後、即日嫁ぎ、結婚日の夜行電車で赴任地に赴く慌ただしさで、灯台勤務が何たるかも知らず夫との灯台守生活をスタートさせます。


 赴任日の当夜、きよ子は宿舎を兼ねる灯台官舎で、発狂した醜女と鉢合わせとなり怖気立ちます。僻地であるがためまともな医療を受けられず、目の前で息子を亡くし発狂した同僚の妻です。きよ子は今後の辛苦を予感します。


 その洗礼は直ぐに訪れます。雪深い北海道の赴任灯台で初めての出産を迎えますが、産婆が間に合わず、長女は夫が自ら取り上げました。体調を崩した同僚の妻は、病状が急変、ソリを仕立てて急遽町の病院へと向かいますが、ソリの中で息絶えました。離島灯台での勤務では真水が慢性的に不足しており、海水を含んだ水でつくる料理が夫に不評で、仲のいい夫婦にも亀裂が走ります。別の灯台では、上司の台長が暴風雨の中、故障した風速計を修理中に転落死しました。戦争中、灯台は米軍艦載機の攻撃目標となり何人もの灯台守が国内で「戦死」しました。


 危険と不便、更には社会との隔絶という押しつぶされそうな暮らしの中で、二人の子供だけが夫婦の唯一の生きがいとなります。しかし職員家族数人だけの閉鎖された暮らしで、同年代の子供友達も居ない不憫、もっと高等な学問を修めるため進学もさせてやりたい、と願い夫婦は、子供を東京の知人宅に下宿させることを決めます。


 ところが別居先で長男は町のトラブルに巻き込まれ命を落し、夫婦の生きがいは娘一人となってしまいます。その娘も縁があり学校卒業後、貿易会社に就職した青年と結ばれます。娘の帰郷を心待ちにしていた夫婦は落胆します。それどころか追い打ちを掛けるように娘婿最初の転勤地が、カイロ(エジプト)となってしまいます。一般人が移動に飛行機が使えるような時代ではありません。赴任するだけで何週間もの船旅ですから、もはや盆暮れに娘夫婦と出会うことも叶いません。「よりにもよってアフリカとは」、、、。


 そして映画はクライマックスを迎えます。

 勤続27年にして有沢四郎は静岡県御前崎灯台に初めて台長として着任します。ある日の夕刻、漆黒の大海を一直線に照らす巨大な灯火を背に、灯塔の露台手すりには双眼鏡を手にした有沢夫妻が身を投げださんばかりに居並びます。「やってきた」の声にきよ子も後を追うと遠方から一隻の客船が向かってきます。カイロに向かう娘夫婦が乗る客船です。


 一方、船上デッキからも娘夫婦が並んで灯火を見つめています。「あれがお父さんとお母さんの灯台」を確信した時、灯台から霧笛が届きます。霧笛とは灯台設備の一つで、風雨や霧で灯火の到達輝度が低下する場合、灯台の存在を船に知らせるために鳴らず信号音のことです。おそらく霧笛の連呼は、規則違反であったことでしょう。
 しかし娘婿夫婦にとっては、この霧笛が自分達への祝砲であることは明確です。「ボク、船長さんと掛け合ってくる」と言い残し娘婿は新婦をデッキに残し走り出します。

 

 灯台から響き渡る霧笛を浴びながら「お父さん、お母さん」を繰り返す娘の背後からほどなくして汽笛の連呼が始まります。灯台の祝砲に対する客船の返砲です。何度となく霧笛と汽笛を贈り合いながら、客船は大海の闇へと消えてゆくのでした。

 

ROOTS

 

 ROOTS(「ルーツ」)は、アメリカの黒人作家アレックス・ヘイリーの原作を元に制作された大河テレビドラマで1977年全米で(同年に日本でも)放映され大ヒットとなりました。出所や生い立ちを意味する「ルーツ」という言葉が日常用語となったのも、このドラマからです。


 黒人としてアメリカで暮らすアレックス・ヘイリーは、ある日「自分の出自を知りたい」と決意します。以後、12年の歳月をかけ彼はアフリカを起源とする自分の来歴を調べ上げ、執念で自分の祖先が1765年奴隷狩りによってアフリカ西海岸からアメリカに連れてこられた「クンタ・キンテ」であることを突き止めます。

 

 15歳のクンタ・キンテ(渡米後は「トビー」に強制改名)は、売買奴隷として南部の農場を転々とします。逃亡が失敗し足首を切り落とされる刑罰を受けるなど過酷な虐待にも屈することなくクンタ・キンテは奴隷ではなく故国の部族の一員としての誇りを忘れませんでした。その後、奴隷仲間のベルを妻として、キジーという長女を授かります。
 しかしキジーは若くして他の農場へ売却、そこで強姦されジョージ(チキン・ジョージ)を生みます。商才に長けたジョージは波乱の人生を過ごしますが、妻マチルダとの間に長男トム(トム・ハービー)が生まれます。このトムがアイリーンと結婚し、末娘シンシアが誕生、アレックス・ヘイリーに繋がるのです。

 その間、独立戦争や奴隷反乱、南北戦争、あるいは奴隷解放宣言後に出現した黒人差別運動、更には第一次大戦と一族はアメリ近現代史の荒波に翻弄され、数え切れない苦難に襲われます。


 ただしドラマは白人支配(悪)、黒人弱者(犠牲者)という単純なステレオタイプで一貫させず、白人社会は白人社会として黒人社会は黒人社会として、それぞれ葛藤や矛盾があったことを並行して描き、社会が善悪二元論に収まるほど単純ではないことを伝えてゆきます。

 

 そして大河ドラマのクライマックス(Roots2:Roots The Next Generations)です。

 

 アレックス・ヘイリーは並ではありません。彼はアメリカにおける一族の来歴解明に飽き足らず、アフリカにおける先祖の「ルーツ探し」まで乗り出します。調査の結果、クンタ・キンテは現在のガンビア(西アフリカ)北岸地域に存在する「ジュフレ」という村落の出身である可能性が高いことを突き止め、村に乗り込みます。


 「遠い縁者が来た」と村人はアレックス・ヘイリーを歓迎してくれますが、当然300年前のクンタ・キンテを知る者などおりません。過去の戸籍や住民票なども整備されていませんから調査は難航します。しかし村には「語り部」がおり、部族の遍歴を代々口伝えで継承していることを知ります。


 広場の一角、炎天の下で通訳を交えながら古老の語り部が神話時代から始まる部族の歴史を語り出します。二時間、三時間、語り部の物語は止むことがありません。アレックス・ヘイリーの気力も朦朧となりはじめた時、通訳の一言に衝撃を受けます。
 「ある日、木を切りに行ってクンタ・キンテはそのまま戻らなかった」、古老の口述を通訳がそう伝えたのでした。「この村」と「この部族」がアレックス・ヘイリーと繋がった一瞬でした。


 翌日、大いに満足したアレックス・ヘイリーは別れを惜しむ村民を後にして帰路につきます。桟橋からはしけに乗り移った時、彼は取り囲んだ村民の後方から走り寄る一人の青年に気がつきます。
 「キンテ、キンテ」と叫びながら手を振り、半分踊るように向かってくるその青年。アレックス・ヘイリーは何事かといぶかります。そして息を切らせながら青年は目の前ににじり寄り、アレックス・ヘイリーの胸元を指さしながら「キンテか」と尋ねます。
 「そうだよ。オレの祖先はクンタ・キンテだ」と状況が分らないまま応えたアレックス・ヘイリーは、続く青年の一言に愕然とします。
 青年は今度は自分を指さし、「オレもキンテだよ!」と言ったのです。

 この青年は何百年か前に生き別れた親戚だったのです。全てを理解したアレックス・ヘイリーは、その巨漢で細身の青年を思いっきり抱きしめ、号泣したのでした。

 

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 アレックス・ヘイリーはこの一作でピューリツァー賞を受賞しました。そのテレビ・ドラマ版は、アメリカだけで1億3千万人が視聴したとされます。彼自身がこの物語をファクト(史実)とフィクション(創作)を合わせた「ファクション」であると称すように「ルーツ」はドラマです。


 ですが事実に忠実であるかは余り問題ではありません。「喜びも悲しみも幾歳月」がそうであるように多くを感動させる芸術であることに意味があります。完成度が高いからこそ、黒人の物語でありながら、人種や民族を超越して涙を誘うのです。史実よりも芸術のほうが時間や地域を飛び越す普遍性があり、よほど人間味があると見ることもできるのです。

 

(社会部デスク)