金正恩 命を賭けた大勝負(1):第2次朝鮮戦争の勝算
戦争のリアリティ
米韓合同軍事演習(フリーダムガーディアン)が21日から始まった。米国の出方を「もう少し見る」としていた北朝鮮であるが、今のところ「無慈悲な報復と容赦ない懲罰を免れない」と舌戦に及ぶのみで、本格的な軍事衝突の徴候はない。
局地戦であれ全面戦争であれ、一旦火蓋を切ってしまえば、北朝鮮に勝算が無いことは専門家や関係者のほぼ一致した見解である。北の出来ることといえば「国家滅亡と引換えに米韓にどれだけ損害を与えることができるか」か「あわよくば中国の軍事的支援を導き再び休戦に持ち込む」といった程度しかない。
確かに兵員の頭数をともかくとすると、兵器や装備の水準、軍需物資の動員力や総合的な戦争遂行力の規模を比較すれば、「戦争となる」という北朝鮮のかけ声は瀬戸際外交の常套売り言葉として響くのみで第2次朝鮮戦争のリアリティはない。正気であれば自殺行為となる無茶な行動をとるはずはないと思える。
しかし、北朝鮮は無茶な軍事行動に踏み切った前例がある。2010年3月の韓国軍哨戒艇「天安(チョナン)」撃沈事件と同11月の韓国領「延坪島(ヨンピョン島)」砲撃事件である。
乗組員104名の内46人が死亡した天安撃沈を北朝鮮は認めていないので現状は沈没事故であるが、船体が二つに切断され瞬く間に沈んでいる状況などから、韓米英オーストラリア、スウェーデンの合同調査団は北朝鮮軍艦艇(半潜水艇の可能性が高い)による魚雷攻撃により天安は撃沈されたと断定した。
延坪島事件では、韓国領延坪島を対岸から約170発砲撃し、韓国海兵隊員2名、民間人2名が死亡した。いずれの事件も金正日政権末期に奇襲攻撃としておこなわれた。
軍事行動決行の要素
全面戦争ともなりかねない冒険をなぜ北朝鮮が断行したかは定かでないが、一説に拠れば「大青海(デチョン海)」の報復であったとされる。黄海の南北国境線は双方で主張が異なり、小競り合いを繰り返してきたが、2009年11月には北朝鮮の警備艇と韓国の哨戒艇との銃撃戦があった。このとき北朝鮮側に多数の死傷者が出たとされる(韓国側に人的被害はない)。この「恨み」が天安と延坪島に繋がったという。もしそれが事実だとすれば、北朝鮮の軍事行動決行には「執念(恨み)」が一つの要素となることを意味する。
一方、天安・延坪島事件に金正日政権が末期であったことを関連づける見方もできる。1970年代から80年代にかけて北朝鮮による日本人拉致が行なわれた。2002年の日朝首脳会談で金正日がその事実を認め口頭で謝罪するが、拉致事件の首謀者は金正日本人であるとの推測がある。
「日本語の教師が必要であった。日本人のパスポートが必要であった」など拉致の理由につき様々な推測がなされているが、誘拐というリスクが高い暴挙に出ずとも別の方法で大方間に合うことを考えると、最もありそうな動機は単なる「肝試し(豪胆)」との憶測に行き着く。
金日成の長男である正日は、後継者の有力候補であるが、腹違いの弟との間に激しい権力闘争があったことが知られている。後継者の地位を不動にするため父に「自分はこんな大胆なことも実行できる」と印象付けるため日本人拉致を敢行した、とでも解釈しなければ、このような不合理な事件を起こす説明がつかないからだ。
そのような体質が北朝鮮にあるとすれば、金正恩が父正日に豪胆さを示すため、天安・延坪島事件を引き起こしたとしても不思議ではない。事件の翌年(2011年)、父は死去し、正恩は体制を引き継いだ。権力構造のこのような本性を勘案するのであれば、北朝鮮の軍事行動には権力者の「肝試し(豪胆)」といった要素も考えておかねばならない。
ただし、執念と豪胆だけで軍事行動が始まるわけではない。大青海の恨みが延坪島砲撃を誘発したとしても、その実行は一年後であった。激怒したからといってすぐさま軽挙妄動に走ることはない。周到に準備し、効果的で有利なタイミングを待つ策略を熟考する執拗さは備えている。北朝鮮の軍事行動は、それなりの「計画性」に基づいている。
更に、北朝鮮は「有言実行」に執着すると言える。「核実験に成功した」、「水素爆弾を完成した」、「ICBMを保有した」。北朝鮮からの第一報が伝わると、当初誰もが大風呂敷を疑った。しかし個々の完成度の軽重はともかく、北朝鮮がそう主張する何かしらの根拠は実証してみせてきた。
だとすると、曲がりなりにも「無慈悲な報復と容赦ない懲罰を免れない」と宣言したからには、(いつそれを断行するかはさておき)「執念」と「豪胆」さで、計画的に有言実行する用意を密かに進めていると考えるべきであるかもしれない。
では、北朝鮮にとって「報復と懲罰」を下す「勝算ある軍事作戦」とは、いかなる立案が考えられるであろうか。
(つづく)
【国際部半島情勢デスク】2017.8.23配信