時事旬報社

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令和としての新年を迎えて

 

 アメリカが参戦した戦争は建国以来数百を数えるが、議会の承認を経たものは数少ない。ベトナム戦争を始め多くの戦争が大統領の個人的権限で始まった。太平洋戦争は、その中の少ない例外である。日本と同時にドイツとも開戦しているので、正確にはアメリカの第2次大戦参戦である。

 

 日本軍の真珠湾奇襲は、宣戦布告の無い「だまし討ち」であったと喧伝されたので、アメリカ世論は沸騰し、「日本打つべし」に米国議会も一色となる。しかし大統領発議の開戦議決において一人だけが反対した。史上初の女性アメリカ下院議員ジャネット・ランキンである。

 

 生涯を通じて平和主義者として活動した彼女は、「正義のための戦争よりも、欺瞞に満ちた平和の方が100倍も良い」と、いかなる理由であっても戦争そのものを否定したのだった。

 

 

 今年は、新年号として迎える最初の年となった。昭和生まれの記者としては、昭和、平成に続き令和を迎えたことになる。無礼ながら、明治、大正、昭和を生きた老公をずいぶんな年寄りと認識してきたので、自らが三代に突入したとなると少々複雑である。年齢を考えれば、令和が自分が生きる最後の年号となるであろうと思えば、尚更だ。

 

 昭和33年生まれの記者は、昭和を31年間過ごした。奇しくも、平成もまた31年間を暮らした。天運が令和をいかほど生かすかは分らないが、おそらくは生涯を三代で大旨三等分し、果てそうである。

 

 人生最後の一呼吸を迎えとき、意識はどの時代の半生を振り返るだろうか、と考える。令和の後半は頭がボケ、新しい記憶は湯気のごとく消えてゆくだろうから、「私という存在」は、昭和もしくは平成を黙想するに違いない。とりわけ、かすれゆく意識の中では、思春期、青春を過ごした昭和に思いを馳せそうである。

 

 太平洋戦争が終結した13年後に記者は生を受けた。当時はまだ殆どの人々に戦争のリアリティが残ってた。幸い、その後、記者が生きた61年間、日本は戦争に巻き込まれることはなかった。

 

 戦地や銃後の夥しい犠牲、悲鳴、嗚咽が、平和な日本をプレゼントしてくれた。昭和であれば、いかなる大義があるとしても「戦争そのものを否定する」に大方、同意したことだろう。

 

 しかし、いささか令和が不安である。昭和からのプレゼントへの感謝が、令和もまた続くことを願うばかりである。

 

(社会部デスク)